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2019年1月

2019年1月27日 (日)

所沢市で一番標高の高い比良の丘と山之神神社の神の声、蝋梅のきれいな糀谷八幡神社

狭山湖からは景色が一望できるので、あの辺りが所沢市で一番高いところなのかと思っていました。

所沢市の案内マップを見ていたら、「比良の丘」というところが一番標高が高いと書かれていたので行ってみました。

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↑芝生の中にテーブル付きベンチが一つあるだけの広場です。

早い者勝ちの限定一組が独占できますが、先客がいましたので離れて撮影です。

上の写真は西から東に見ていますが、南には狭山湖周辺の林が見渡せます。

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↑そちらに下っていくと、砂川を経て狭山湖に行けるようです。

比良の丘の一番高いところの標高は157メートル位で、2か月前に砂川の源泉探しで行った早稲田大学フロンティアリサーチセンター付近はすぐそばの、距離で200~300メートルほどのところです。

あのゲートのあった辺りの標高は120メートルほどですから、37メートルもの標高差があります。

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↑北東に向けては展望が開けており、所沢市から狭山市方面を見渡せます。

ここを少し下ると、その名も「山之神神社」があります。

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いい名前の神社ですが、この社殿の中からはテレビかラジオらしき音声が大音量で聞こえてきました。

神の声なのでしょうか。

反対側から入ってしまったようで、北から南に向けて九十九折りの登り坂の参道がありました。

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でも、あの音は気になります。

神職または関係者の方が、社殿の中でテレビかラジオを楽しんでいるだけなのでしょうか。

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2019年1月20日 (日)

旧村名の大岱が小学校名にもなっている恩多町の天然記念物の大ケヤキと水車と神社

野火止用水に架かっている東村山運動公園前を通っている道路の橋は、「万年橋」といいます。

ここには大きなケヤキの木があり、「万年橋のケヤキ」と呼ばれています。

幹周り6メートル、高さ30メートルあり、東村山市の天然記念物に指定されています。

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江戸時代初期の承応4年(1655年)に野火止用水が開削された時には、既に大木になっていたといいます。

「根の下を掘って水を通した」とか、「岸辺のケヤキが土橋の中に根を伸ばし対岸まで渡った」など多くの伝説を持つケヤキだそうです。

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土橋を根で固めてしまうほど強く「万年はもつ」とまで言われており、脇に石橋が架けられる以前はケヤキの根が橋として利用されていたそうです。

となると、このケヤキがあるから橋の名が万年橋となったということになります。

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近くで見てみると、本当に根の下に水が流れています。

この東村山市恩多町の野火止用水沿いには、素敵なものが多くあります。

一つ上流側にある都道129号東村山東久留米線に架かる「中橋」です。

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都道とは思えないような狭い道の小さな橋ですが、これは明治42年のレンガアーチ橋だそうで、歴史のある橋です。

前回見てきた東村山3・4・5号線が開通したら、そちらが都道となり、現在のこの道路は市道になるのでしょうか。

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↑さらに野火止用水のこの少し上流には、水車小屋が見えます。

恩多野火止水車苑として整備されているので、近くで見ることができます。

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2019年1月13日 (日)

開通したけど東村山方面に通り抜けできない東村山3・4・5号久留米東村山線と更地になった元イトーヨーカドー滝山店

東久留米市の滝山団地を東西に通っている滝山中央通りは、久留米西団地のセブンイレブンの辺りから東村山方面には繋がっていませんでした。

2014年10月にはこの東村山都市計画道路3・4・5号線の概要と工事説明会が開かれたことを、このブログでもお伝えしたところです。

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その先には黒目川が流れており、その橋梁工事も必要であることからそう簡単には開通しないと思っていました。

↑ところが、どうやら開通したようです。

しかし、東から西に真っ直ぐ入っていけないように、あえて作られています。

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↑開通した西側から東側を見るとわかりますが、北に向けてT字路のような形態にして通りづらくなっています。

所々に、「この先、東村山方面への通り抜けはできません」との看板が立っています。

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東久留米市の中だけ開通したという事なのでしょうか。

黒目川の橋梁が完成しないからかとも思いましたが、見る限りは道路は先まで続いているようです。

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↑黒目川の北側から東久留米市立第十小学校の方を見るとわかるように、橋は架かっています。

逆に南側から見ると、さほど大きな橋ではないことがわかります。

この川沿いには遊歩道がありますが、有り難いことに信号付き横断歩道がありました。

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空堀川の所沢街道など、遊歩道があるというのに、幹線道路を渡る横断歩道や信号機が無く、大きく迂回しなければいけないところが数多くある中、ここは素晴らしいです

黒目川のすぐ先には、元々300メートル位の短い既開通区間がありましたので、行ってみます。

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2019年1月 6日 (日)

国指定史跡の武蔵国府跡で見るVRとオリンピックロードレースの最初の10キロの意味

武蔵国の国府があったため、府中という地名となったということですが、その武蔵国府跡が国指定史跡になっているようなので見てきました。

大國魂神社のすぐ東側にあります。

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この区画のみが国府跡なわけではなく、南北約300メートル、東西約200メートルという現在の大國魂神社全域やその東側という広い範囲に国衙があったということで、「武蔵国衙跡地区」とされています。

展示施設があり、横には朱色の柱が複数本立っているのが特徴的です。

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この展示施設の側面はミラーガラスの映り込みを利用し、当時の建物の規模を表現しているそうです。

国府の中でも中枢施設として市内で最大規模の建物で、この朱色の柱は、発掘で見つかった当時の国衙の中枢にあった建物の柱の位置を示しています。

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大化の改新後、奈良時代初期から平安時代中期にかけて、各国を治める国司が政務を行う施設(国庁)が全国60数ヵ所に置かれていました。

その国庁が置かれた都市は国府と呼ばれ、政治、経済、文化の中心として栄えていました。

ややこしいですが、「国衙」は国府の中でも政務の中心となった施設である国庁を含む役所群(エリア)のことです。

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この施設内よりも、大國魂神社境内?かというところにある府中市「ふるさと府中歴史館」にある大型画面のCGによる「国府百景バーチャルツーリング」などで、詳しく知ることができます。

その建物は外壁工事中で分かりづらいですが、営業しており、2階には宮前図書館もあります。

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↑国史跡の指定範囲は、大國魂神社境内やその西側にも広げられ、2018年11月25日には「国史跡武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場」が、「国司館と家康御殿史跡広場」としてオープンしました。

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