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2018年12月

2018年12月30日 (日)

武蔵国の総社という大国魂神社とオリンピックの自転車ロードレースコースにもなる欅並木

神社としての、総社と一ノ宮の違いがわかっていませんでしたが、前回に武蔵国の二ノ宮について調べている中で理解しました。

その武蔵国総社である大国魂神社に行ってきました。

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府中市にあり、この「府中」という地名は、奈良・平安時代に武蔵国の国府が置かれたことに由来します。

↑大鳥居は高さ10メートル、重さは95トンあり、御影石製としては日本一だそうです。

参道を進むと右手に手水舎がありますが、千鳥破風の屋根、獅子や龍、獏や鳳凰等の彫刻が素晴らしい明治30年に完成したもので、場所はここに移築されたようです。

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その先には随神門があり、左右に随神像が納められています。

平成23年の「大國魂神社御鎮座壱千九百年事業」として改築されたものです。

1900年間とは驚きですが、社伝によれば、景行天皇41年(111年)5月5日、武蔵国の護り神として大国魂大神を祀ったのがこの神社の始まりとされています。

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国産の檜で製作され、屋根は銅板葺き、木造の門としても希に見る大きさといいます。

正面からだと、正月に向けた飾りつけがあるためかよく見えませんが、内側から見たほうが、形状がよく分かります。

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左右には恵比寿と大黒、かと思いきや大国が納められています。

大国魂大神を祀っているのですから、大国様です。

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↑続いて、中雀門があります。

さらにその奥には拝殿がありますが、こちらは明治18年に改築したもので、その後昭和53年に改修されたそうです。

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拝殿正面には「総社六所宮」の扁額もあります。

この拝殿もそうですが、神社の建築物は正面よりも斜めから見た方が、美しさが際立ちます。

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2018年12月23日 (日)

武蔵国の二ノ宮は二説あるけれど、あきる野市の二宮神社ということなのか

全国に一ノ宮、二ノ宮・・・六ノ宮とされている神社がありますが、武蔵国の二ノ宮には二説があるようです。

埼玉県児玉郡神川町にある金鑽神社と東京都あきる野市にある二宮神社です。

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↑地名もあきる野市二宮で、JR五日市線東秋留駅すぐ近くに二宮神社はあります。

武蔵国の総社である大國魂神社が祀っている武州六社宮では、二ノ宮はこの二宮神社とされています。

総社と一ノ宮の位置付けがわかっていませんでしたが、国府近くに国内の神を合祀したものが総社です。

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古代には各国の国司は全ての神社を一ノ宮から順に巡拝していたものを、より簡単に行えるよう、まとめて祭祀を行うようにしたものです。

二宮神社の創建は不明のようですが、古代にはこの地が多摩郡小川郷に属していたことから小川大明神と呼称されてもいたそうです。

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平将門の乱の時は藤原秀郷が戦勝祈願したとされ、小田原北条氏の氏政から社領500石の寄付を受け、滝山城主北条氏照も崇敬したといいます。

↑本殿は江戸時代に建てられたものです。

徳川家康より代々15石の朱印を与えられましたといいます。

↓本殿の中にある宮殿は室町時代のものだといい、あきる野市指定有形文化財となっています。

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二宮神社は延喜式内社でなく、武州六社宮の中で唯一の式外社であることから、どうやら後に別の二ノ宮説もあるようです。

ここは二宮神社並びに城跡として、東京都指定旧跡となっています。

神社東側段丘上の「御屋敷」と呼ばれる地点から、14世紀の豪族居館跡が発見されました。

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周辺には、土塁や空堀の跡も確認されており、神社境域及びその周辺は、室町時代にこの地域に勢力をもつ豪族であった大石氏の城館であった可能性が考えられているそうです。

秋留台地の東南の端にあるため、東方の多摩川方向に向けて景色がよく見えます。

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2018年12月16日 (日)

砂川堀調整池の水位監視システムとふじみ野市にある不思議なヘリポート?

先月には所沢市で砂川の源泉探しをしましたが、その橋が東京狭山線を通っていたらありました。

下流部では砂川堀という名称になります。

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さらに堅いことを言えば、砂川堀雨水幹線という、狭山丘陵を水源として一級河川の新河岸川へ注ぎ込む、流域下水道の雨水幹線です。

このすぐ下流には調整池があります。

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保水機能を持っていた武蔵野丘陵が、急激な都市化によって大雨時の排水が不可能になったため、水害を防ぐ目的で改修してできた水路だそうです。

集水区域は、川越市、所沢市、狭山市、富士見市、ふじみ野市及び三芳町の5市1町にまたがる約4408haで、幹線の延長は約13kmあります。

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↑川の奥にある広い敷地が「下富調整池」です。

ここ以外も含めて、計画貯留量94000立方メートルの調整池があるといいます。

川からの流入口を探してみました。

一定の水位を越えると、水が流れ込むようになっているようです。

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↑上にあるのは監視カメラのようです。

埼玉県HPに、水害から県民の生命や財産を守るため、簡単な操作で分かりやすく水位等の情報を提供する「砂川堀雨水幹線水位監視システム」がありました。

監視カメラの画像、水位状況をリアルタイムに確認することが可能となります。

この後、比較的近くにあり、行ってみたかったところに立ち寄りました。

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2018年12月 9日 (日)

白子川の河岸段丘にある武州白子熊野神社の黄葉と富士塚

練馬区から北に向け白子川が流れていることは知っていましたが、和光市に白子という地名があることは知りませんでした。

板橋区と和光市の都県境を流れ新河岸川に合流する白子川の名前の由来のようです。

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↑その川越街道と東武東上線の間、駅でいうと成増駅と和光市の中間に熊野神社があります。

背後は林になっているので分かりづらいですが、急斜面となっています。

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この神社は白子村の鎮守として栄え、創建年は不明ですが社伝によれば約1000年前といいます。

白子は江戸時代には川越街道の宿場町として栄えていたそうです。

熊野神社本殿に向かって右側、方角としては北側には富士塚があります。

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鳥居があり、富士嶽神社となっています。

入り口にはいくつもの碑があります。

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ハチに注意との表示もありますが、いつもどう注意すればいいのか考えてしまいます。

まあ今は寒くなってきたので安心です。

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↑しばらく登ると、登山道は左に折れ、ここにも鳥居があります。

右にも何かあるのでしょうか。

見ての通り、すぐ奥はマンションが建っています。

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2018年12月 2日 (日)

立川ではなくて所沢にある国指定重要文化財の砂川遺跡と砂川の源泉

砂川遺跡という名前を聞くと、砂川事件を連想するので、立川の周辺にあるのかと思ってしまいます。

在日米軍立川基地拡張に関する事件の裁判ですが、東京都北多摩郡砂川町、現在の立川市の話だったはずです。

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しかし、この砂川遺跡は埼玉県所沢市三ヶ島にあります。

所沢市で最初に発見された旧石器時代の遺跡だそうです。

畑の間のあまり広くない道路沿いで、案内板が無ければ気付かずに通り過ぎてしまうようなところです。

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ナイフ形石器を含む769点もの石片が出土し、1万3000年前のものといいます。

いつもながら、こうした遺跡の年代を聞くと、気の遠くなるくらいの時間の長さを感じます。

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ここは「砂川遺跡都市緑地」として整備されています。

調査では、石器類の出土地点の全記録と出土した石器類の接合という作業が初めて試みられ、ナイフ形石器等の製作工程が明らかとなりました。

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石器類が集中しA地点↑とF地点↓から出土したということで、そこはブロックで囲い表示してあります。

出土した石器類は、「埼玉県砂川遺跡出土品」として国の重要文化財に指定され、明治大学博物館等に所蔵されているそうです。

ここには展示施設はありません。

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また調査により、当時の人々が常に石を携行して移動し、そこで石器を作ったり、他の場所で作ったものが持ち込まれたり、他の場所へ持ち去ったりするなど、人々の生活や動きが実証されました。

日本の旧石器時代研究に大きな成果をあげたそうです。

ここはのどかな田園風景で、昔を感じさせてくれるいいところです。

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でも、遠くに見える小手指駅前のタワーマンションが現在とのミスマッチ感を出しています。

ところで、立川ではないのに砂川という名が付いているのは、砂川という川が流れているからです。

久しぶりに、砂川で川の源泉探しをしてみました。

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