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2018年10月14日 (日)

仁徳天皇陵といわれる大仙陵古墳は近くで見ても地上80メートルの21階から見ても大き過ぎる

歴史の教科書に載っていた日本最大の仁徳天皇陵古墳のカギ穴型の写真は、今でも覚えていて頭に浮かびます。

近年、大仙陵古墳と教科書には表記されるようになったといいます。

本物をぜひ一度見てみたいと思っており、大阪府堺市に行って来ました。

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堺市役所の21階に展望ロビーがあり、地上80メートルという高いところからから見ることが出来るということなので、まずはカギ穴の形を見ようと行きました。

↑右が前方部で中央付近が後円部となりますが、残念なことに木が鬱蒼とした小山にしか見えません。

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↑では間近で見てみようと、レンタサイクルで行くことにしました。

さかいコミュニティサイクルといい、堺市内に8カ所のサイクルポートがあってどこへも返却することができ、300円で1日利用もできるシステムです。

ただし、市役所前のサイクルポートは無人なので、1日利用者は手続きのため、300メートル程離れた有人のサイクルポートに行く必要がありました。

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10月とは思えないような暑い日でしたから、快適なサイクリングとも言えませんでしたが、仁徳天皇陵の後円部のある北端に到着です。

↑国道319号線が中央環状線から高野街道に分岐する交差点の歩道橋があるので、その歩道橋の上から古墳の東側に沿って見ています。

↓こちらは西側に沿って見たものです。

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仁徳天皇陵古墳には濠があり、かつ大き過ぎて形がよく分かりません。

しかも、台風の影響により木が北に向けて倒れているため、余計見づらくなっています。

エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の一つといわれ、5世紀中頃に約20年をかけて築造されたといいます。

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↑周回できる自転車歩行者道があるので時計と反対周りスタートしてしばらく進むと、正面まで左に1600メートル、右に1250メートルと表示されています。

一周3キロ近くあるのですから、やはり大きいのだと改めて感じます。

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↑南西端に着くと、前方部の四角形の角を見ることができ、初めて古墳の形を実感出来ました。

南側に通っている御陵通りの向こう側には大仙公園があり、園内の堺市博物館では無料シアターで百舌鳥古墳群の解説映像を見ることができます。

12分ほどの2種類の映像が30分ごとに上映されていますので、両方とも見て勉強しました。

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↑前方部中央には仁徳天皇陵らしく拝所があり、この先は自転車も乗り入れ禁止でした。

宮内庁による正式名称は、仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)といいます。

墳丘は全長約486mとされていましたが、宮内庁の最新の調査では525mとなりました。

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↑鳥居もあり、数多くの観光客というか参拝者がいました。

前方部は幅307m、長さ237m、高さ33.9mあり、3段に築成されています。

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↑南東の角も前方部の四角形の角を感じることができるところです。

ここはJR阪和線百舌鳥駅のすぐ近くですから、徒歩でも仁徳天皇陵には簡単に来ることができます。

ここから北に向けては自動車も通る一般道になりますが、住宅街なので交通量は多くはないので快適に通行できます。

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↑前方部と後方部のくびれ部分の辺りのはずですが、やはり濠があるので形は実感できません。

後円部は直径249m、高さ34.8m、左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっています。

三重に濠があるのでは、カギ穴型の前方後円墳の形を見ることができるはずがありません。

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↑古墳の後円部にある北東側では濠が切れており、中に入れるようになっているものの当然鍵が掛かっていますが、入ってみたいものです。

この近くにはJR阪和線と南海高野線の三国ヶ丘駅がありますから、こちらも便利です。

一周してみて改めて、国道の北側を見てみると、やはり古墳らしきものがあります。

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永山古墳といい、大仙陵古墳の周りには近親者や従者を葬ったというこうした陪塚墓が10基以上もあります。

関東にいると古墳は珍しいものですが、関西というかここ堺市にいると、古墳は日常にあるようです。

うらやましい。

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コメント

大仙陵古墳の大きさは2018年の宮内庁の3次元調査で水深4mまでの濠低出の墳丘長は525,1m、体積は210万立方メートルもあることがわかりました。しかし驚くべきことに濠低には1500年も堆積しているヘドロがあり、古墳の裾はヘドロの中に食い込んでいてヘドロは水の2倍以上8m以上もあることがわかり、墳丘の裾は針の豪低である、ヘドロの底にあり、墳丘の本体は630m、体積は380万立方メートルは最低でもあるといわれています。一方の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は古市古墳群のあり羽曳野市、藤井寺市は扇状地域にあるため雨が降らないと水はすぐに枯れます。誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の425m、体積143万立方メートルはカラの濠から図った体積で墳丘も体積も絶対に変化しません。面積は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)46万7587平方メートル(ただしバイチョウとされるくっついている参考地を含めると53万平方メートルにもなる。これに対して誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は25万平方メートルと面積は半分以下だ。体積は最近の調査で水面上だけでも164万立方メートルと143万立方メートルの誉田御廟山古墳(応神天皇陵)を超えていることがわかり。濠低まで続いている墳丘は525,1m、体積は210万立方メートルと誉田御廟山古墳(応神天皇陵)もはるかに大きくなり、ヘドロの底本当の濠まで続いている大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の墳丘は、墳丘長630m、体積380万立方メートルと体積は誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の2,5倍以上も大きく秦の始皇帝陵300万立方メートル、ピラミッド260万立方メートルよりもはるかに巨大になる。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の大きさには数字で表せられると改めて巨大さに驚く。

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)

・水の濠底まで

墳丘長 525,1m
体積210万立方メートル

ヘドロの濠底まで(最小限に見積もって)

墳丘長 630m
体積380万立方メートル


誉田御廟山古墳(応神天皇陵)

墳丘長425m
体積143万立方メートル


ピラミッド

一辺の長さ230m 高さ145m
体積 260万立方メートル

秦の始皇帝陵

一辺350✖340 高さ75m
体積300万立方メートル

やはり大仙陵古墳(仁徳天皇陵)がずば抜けていることが最近の調査でわかっている。

大仙陵古墳の大きさは水底までの墳丘長は525,1m 後円部幅286,33m、前方部幅347mは宮内庁の書蓉陵墓紀厭に記録されて保存されています。体積は210万立方メートルでこの時点で誉田御廟山古墳の1,5倍近い大きさです。今後は水を抜いて水の2倍以上の堆積しているヘドロの中を調査して墳丘長600m以上、体積も300万立方メートルを超える体積や規模を誇る大仙陵古墳の墳丘の裾を突き止めてほしいですね。

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