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2018年10月21日 (日)

築造の順序が不可思議な履中天皇陵と方違神社から見る反正天皇陵は前方後円墳の形が感じられる

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)は大き過ぎて、しかも三重の濠があるため、カギ穴型の前方後円墳の特徴的な形が実物を見ても実感できませんでした。

大仙陵古墳の南側の大仙公園のさらに南にある履中天皇陵古墳はどうでしょう。

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↑堺市役所の21階展望ロビーから見ると、中央の塔のようなものより左が仁徳天皇陵、右が大仙公園と履中天皇陵です。

現地に行ってみると、北側から後円墳部分が見られる場所があり、しかも見やすいようにちょっとだけ高い位置から見ることが出来るようになっています。

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↑南西側の濠を見ていますが、円墳らしさがわかります。

墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい前方後円墳です。

↓南東側を見ても同様に円墳らしいです。

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時計の反対回りで一周してみます。

西側の面には濠に沿って道路がありますが、濠の周りが少し盛土されているため常に古墳が見えているわけではありません。

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↑この辺りがくびれ部と思われますが、この西側のくびれ部には造出しがあるようです。

仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたといいますから不思議です。

履中天皇は仁徳天皇の第一皇子ですから、親子で古墳築造年次が逆転してしまっています。

こういったことから、学校の時に仁徳天皇陵古墳と習ったものが今では大仙陵古墳と表記されるようになっているようです。

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↑南西端では濠の内側に前方部の四角形の角を感じることができます。

一重の盾形周濠と堤がめぐっていますが、元々は外側に10メートルほどの二重目の周濠もあったそうです。

ここから古墳南側には沿った道路がありませんから、少し離れて住宅街を通ることになります。

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↑やがてかなり道幅の広い大阪府道34号線に出て少し進むと拝所があります。

アプローチの道は仁徳天皇陵よりもかなり狭いですが、道路に大きな看板があるので見落とすことはありません。

宮内庁としての正式名称は百舌鳥耳原南陵(もずみみはらのみなみのみささぎ)です。

この先も古墳の南側に沿った道はありませんが、住宅街を北に向かう道路から、南東端を見ることはできます。

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↑ここも前方部の四角形を感じることができます。

この辺りはJR阪和線の上野芝駅のすぐ近くになります。

この先、東側にも沿った道はないため、所々から古墳を見ながら、最初の北側の台のある場所に戻り、一周完了しました。

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↑続いての反正天皇陵古墳は堺市役所の北東方向になります。

反正天皇は仁徳天皇の第二皇子となり、古墳築造は5世紀中頃といいますから、こちらは時代の逆転はしていないようです。

南海高野線の堺東駅のすぐ近くになります。

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↑この古墳を間近に見られるのは、方違神社になります。

ここは河内・和泉・摂津三国の境にある方位のない清地とされ、方除祈願で有名だそうで、この日も多くの参拝者がいました。

堺市という地名もこの三国の堺から名付けられたといいます。

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↑方違神社は反正天皇陵の北側にあるため、境内から後円部の西側に沿って見てみます。

市役所からも見えた駅前のマンションと古墳とのコントラストが不思議な気持ちになります。

墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。

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↑東側に沿って見てみても、古墳が濠に映り美しい光景です。

仁徳天皇陵古墳に比べると三分の一ほどで天皇陵では小さい方といいますが、一般的に考えれば十分大きい古墳です。

この周囲には南側以外は沿った道路はありませんから、住宅の隙間から時々古墳を見ながら一周しました。

南側に拝所がありますが、ここは住宅街で道幅も狭いし道路から拝所までの距離もごく短くなっています。

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宮内庁としての正式名称は百舌鳥耳原北陵(もずみみはらのきたのみささぎ)です。

反正天皇陵、仁徳天皇陵、履中天皇陵は、それぞれ百舌鳥耳原の北陵、中陵、南陵ということです。

三古墳とも同じ方向を向いており、大阪湾から見える高台にあって、船で来た外国人に対して権力の大きさを誇示する役割を担っていたのではないかと考えられているようです。

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