フォト
無料ブログはココログ

ランキングに参加しております。いずれかポチッとお願いします。

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年9月

2018年9月30日 (日)

池が印象的な真光寺公園と鶴川街道の都県境のごく軽い峠越えのある所

鶴川街道を西に向けて走って行くと、京王相模原線若葉台駅近くで東京都稲城市から神奈川県川崎市に入ります。

でも、標識を見なければ気づかないような、境界らしい川も山も道も何もないところです。

2km足らずで再び神奈川県から東京都に入りますが、ここはごく軽い峠越えをした気分を少しだけ感じるようなクネクネした道路となっています。

Img_8041_500x375

↑それを越えたすぐ先の左側に真光寺公園があります。

バスの終点停留所名にもなっていますし、狭いながらも駐車場もあります。

この公園の東端には池があります。

Img_8043_500x375

石神井公園や井の頭公園などの池を中心とした公園は数多くありますが、ここは違うようです。

ボート乗り場もありませんし、天気のせいもあるかもしれませんが、山奥の池か湖のような風景です。

Img_8067_500x375

↑ただし、少し日が差すと水の色も変わり、雰囲気が全く違って見えます。

公園は、入口のある南側から北側に向けて登り斜面となっています。

Img_8045_500x375

芝生の広がり、奥に向けて丘の登り斜面のある、のどかないいところです。

東側から池に沿って登っていこうとすると、池は奥まで続いておらず大きくはないようです。

Img_8046_500x375

↑その奥にはトイレの他、ちょっと広い空間もあり、ここには机と椅子もありますから、のんびり弁当でも食べるのもいいでしょう。

奥には低い山があり、囲まれ感もあります。

先程の芝生の登り斜面の横の階段で上に登って行きます。

続きを読む "池が印象的な真光寺公園と鶴川街道の都県境のごく軽い峠越えのある所" »

2018年9月23日 (日)

若葉台近くの鶴川街道から東へと進めるようになる坂浜平尾線と棚田の美しい風景

京王相模原線の若葉台駅近くを通り、コーチャンフォー若葉台店の前を通って鶴川街道に行く道はT字路となっています。

その先に道路が出来てきていました。

Img_8071_500x375

この道は広域的には通ったことがありませんでしたが、西の方は尾根幹線道路を通り越し、永山駅の北側の多摩ニュータウン通りまで繋がっています。

多摩都市計画道路3・4・17号坂浜平尾線として、東は新百合ヶ丘駅の近くまで繋がっているようです。

Img_8072_500x375

しかも改めて地図を見てみると、現在工事をしている数百メートルよりも先は既に開通しているようです。

この部分だけ未開通となっています。

ここは橋梁となっているようです。

Img_8084_500x375

そのさらに向こうには京王相模原線が通っていますが、こちらは新しくなさそうですから、地形を考えて既に高架化されていたようです。

川の様子が見えませんので、西側に行って横からこの橋梁を見てみます。

Img_8087_500x375

↑未開通部分を迂回する車が数多く走る学園通りから、ここを流れる三沢川を見てみますが、あの橋梁ほどの川幅と水量は無いようです。

おそらく河川改修を想定しているのでしょう。

ここからは肝心な先ほどの道路下の川が見えないので、ちょっとだけ奥に行ってみます。

Img_8086_500x375

Googleマップを見ながら田んぼの畦道を進みます。

私有地に勝手に入るわけにはいきませんので、道となっていそうなところまで進みましたが、結局道路下の川の様子は見えませんでした。

それでは東側に行ってみます。

続きを読む "若葉台近くの鶴川街道から東へと進めるようになる坂浜平尾線と棚田の美しい風景" »

2018年9月16日 (日)

彫刻が素晴らしすぎる埼玉県指定文化財の箭弓稲荷神社の社殿と野球バットの絵馬

東武東上線東松山駅の西のすぐ近くに「箭弓稲荷神社」があります。

箭弓とは難しく何て読むのだろうというところですが、「やきゅう」と読みます。

創建は和銅5年(712年)ということですから、奈良時代の初めということになります。

Img_8014_500x375

社殿の配置は、日光東照宮と同じ内陣と拝殿を別にする権現造で、屋根は銅葺で千木とカツオ木をつけています。

正面の大きさは545センチメートル、奥行き515センチメートルの風格ある重厚な社殿です。

Img_8015_500x375

↑社殿には至るところに素晴らしい彫刻があります。

この拝殿ははおよそ10年の歳月をかけて完成されたものと考えられ、棟札によると天保6年(1835年)に上棟とされたと記されています。

Img_8018_500x375

↑本殿を右側から見ています。

埼玉県指定文化財となっており、社伝によると、本殿が文化元年(1804)年、幣殿が文化8年(1811)年に建築されたものといいますから、すべて江戸時代後期のものです。

Img_8020_500x375

↑本殿の右後方から見ています。

ところで、箭弓稲荷神社とは不思議な名前ですが、平安時代中頃までは野久稲荷神社だったようです。

Img_8022_500x375

↑本殿を左後方から見ています。

下総国城主の平忠常が謀反を起こし、武蔵国の川越まで押し寄せてきたため、朝廷は源頼信を追討の任に当たらせたといいます。

Img_8023_500x375

↑本殿の左側から見ています。

頼信はこの地「野久ヶ原」に本陣を張り、野久稲荷神社に必勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲が敵を射るかのように飛んで行き、これぞ神のご加護と奮いたち、敵陣に攻め入り勝利したといいます。

続きを読む "彫刻が素晴らしすぎる埼玉県指定文化財の箭弓稲荷神社の社殿と野球バットの絵馬" »

2018年9月 9日 (日)

4世紀後半に造られたことがわかった東松山市の野本将軍塚古墳

埼玉県東松山市に将軍塚古墳があります。

国道254号線と407号線の交差点に近く、その間の県道にも案内板があり、かつその道路からすぐのところです。

右の碑には「埼玉県指定史跡将軍塚古墳」と書かれており、その説明板があります。

左の2本の柱には「利仁山」「無量寿寺」と書かれています。

Img_7972_500x375

↑この小山が将軍塚古墳という前方後円墳で、地名から野本将軍塚古墳とも言われています。

左に向かっては奥にある無量寿寺への参道ともなっています。

Img_7975_500x375

↑古墳は右側(北側)が前方部で、高さは8メートルあり、階段で登ることができます。

陸軍大臣金谷範三氏の書による忠魂碑が立っています。

Img_7976_500x375

↑平らな少し広い空間があります。

南側の後円部分の方を見てみると、くびれ部分に向かい下り坂があり、その先の後円墳への階段も見られます。

Img_7977_500x375

ここを通らず一旦前方部分から階段を下り、参道から改めて後円部分を見ると鳥居が立っています。

この上には利仁神社があり、墳丘の高さは13メートルあります。

Img_7981_500x375

将軍塚古墳は想像していた以上に大規模で、前方後円墳全体の長さは115メートルもあります。

5年前に見に行った、埼玉県の地名の由来にもなった行田市にある埼玉古墳群にあった138メートルの二子山古墳、120メートルの稲荷山古墳に次ぐ3番目の規模です。

しかも120メートルを超える可能性もあるということです。

ところで、利仁という名前と将軍という名称の関係も気になります。

続きを読む "4世紀後半に造られたことがわかった東松山市の野本将軍塚古墳" »

2018年9月 2日 (日)

故きを温ねる公園と新しきを知る公園がちょっと不思議な入間市駅近辺

Googleマップを見ていたら、またもや行って見たいところを見つけてしまいました。

西武池袋線入間市駅の近くにある「故きを温ねる公園」です。

Img_7839_500x375

さほど広くない街中によくある公園です。

小学校の門柱があります。

Img_7840_500x375

↑埼玉県入間郡武蔵町立豊岡小学校と書かれていました。

武蔵町という町があったとは知りませんでした。

我が学び舎とも書かれた碑がありましたから、ここに小学校があったようです。

Img_7842_500x375

低学年用と思われる椅子が並んでいる光景が、ちょっと不思議な雰囲気を醸し出しています。

さらに少し深くなった石造りのものもあります。

Img_7843_500x375

何かの遺跡なのかとも思いましたが、何も書かれていませんから、単なる池なのでしょうか。

少し高いところもあり、そこにある道標には説明板がありました。

Img_7847_500x375

秩父往還と日光脇往還の交差点(現在の河原町交差点)にあったものが移設されたということです。

市指定史跡ですが、「豊岡温故公園の道標」と書かれていました。

公園の正式名称はどっちなのでしょうか。

続きを読む "故きを温ねる公園と新しきを知る公園がちょっと不思議な入間市駅近辺" »

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »