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2018年7月

2018年7月29日 (日)

さやま花多来里の郷と書いて何て読むのか、そしてそれは何処にあるのか

さやま花多来里の郷というところがあります。

「さやま」と言えば、狭山湖や狭山茶で有名で、狭山市は埼玉県にあります。

「花多来里」と書いてあっても、何て読むかは分かりません。

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音読みしてみると、ひょっとして「カタクリ」かなとも思えます。

郷と書いて「さと」と読むのはよくあることですが、その前にも里という字があるので、やはり謎です。

↑実はここは狭山市ではなく、東京都瑞穂町にある施設です。

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「かたくりのさと」と読み、都内では珍しい20万株以上のカタクリの群生地ということです。

↑駐車場も整備されており、しかも緑化駐車場となっています。

都内随一のカタクリの群生地とパンフには書かれています。

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↑ほぼ全面がカタクリ群生地ですが、通年開園して春以外にも花が見られるということなので、期待して見て回りました。

カタクリを見るために春のみ開園しているところは数多くありますが、ここは通年開園しています。

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↑園路の右側が斜面になっていて、ここがカタクリ群生地となっているようです。

ぽつんとユリの花が咲いていました。

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↑宮崎テラスという名の鑑賞デッキがあります。

春になると約3000平方メートルの斜面一面に見事なカタクリが咲き誇るそうです。

カタクリがこの季節に咲いていないのは仕方ないですが、先に進んでみましょう。

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2018年7月22日 (日)

数十年に一度しか咲かないというリュウゼツラン がもうすぐ咲きそうなみずほエコパーク

いつものように地図を見ていて、どんなところなのだろうと気になって、「みずほエコパーク」に先週末行ってみました。

瑞穂町の新青梅街道とJR八高線との立体交差のすぐ西側にあります。

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入口の案内板には、この公園は町民の健康を増進し、リサイクルと環境学習を推進することを目的として設置されたとありました。

生態や環境を学ぶことを意味するエコロジーとのかかわりが深いことから、名称をエコパークとしたとのことです。

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↑公園らしい芝生広場がありますが、この面積は3150平方メートルということなので、公園全体面積48500平方メートルからすれば、ごく一部でしかありません。

歩いていくと不思議なものもあります。

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江戸時代には多摩地方には、最盛期に酒蔵が29場もあったそうで、その中の一つで使われていた「酒造りの大釜」です。

直径163センチ、重さ750キロもあります。

こうした鉄などの金属は溶かして、リサイクルして半永久的に使えることから、リサイクルの象徴として設置してあるそうです。

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↑公園内には様々なものがあり、「伝鎌倉街道」もあります。

これは中世の鎌倉街道がここを通っていたというものです。

この近くにはあまりみたことの無い、枯れているようにも見える大きめな植物がいくつかあります。

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「リュウゼツラン」というそうで、メキシコ原産で百年草とも呼ばれています。

数十年に一度しか咲かないから、こうした名前のようです。

なんと、その花が咲いているのではないかと思われる木がありました。

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2018年7月15日 (日)

60メートルもの高低差があるからこそ湧水も遠景も楽しめる桜ヶ丘公園

前回見た聖蹟桜ヶ丘駅の駅名の由来ともなっている場所である都立桜ヶ丘公園ですが、明治天皇のお野立所の辺りはやはり遠方の見渡せる景色のいいところです。

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北西方向をはるか遠くまで見ることができます。

案内板もあり、奥の方には東京都で一番高い山である雲取山があるようですが、ちょっとよくわかりませんでした。

この景色を見ても、ここから北西に向けて地面が大きく下がっていくことがわかります。

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↑改めて公園案内図を見てみると、等高線が書かれていて、かなりの高低差があることがわかります(クリックすると拡大します)。

ここや旧多摩聖蹟記念館のあるところは標高が140メートルくらいあり、公園内でも高い位置あります。

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↑下に降りて行こうとすると結構急斜面です。

♪行きはヨイヨイ帰りはコワイ♪という感じですが、ようやく下りきって低いところに到着です。

この辺りの一部敷地はなぜか都立桜が丘公園ではなく、多摩市立大谷戸公園となっています。

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↑唐突にキャンプ場のようなものがあるなあと思って見てみると、「大谷戸公園キャンプ練習場」と書かれていました。

多摩市が運営しており、かまどやテントスペース、キャンプファイヤースペースなどもあり、定員120名のキャンプの「練習」ができるところです。

練習というのが面白いです。

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↑案内図に水の流れが書かれていた湧水が流れているらしきところに、実際の水流は有りません。

下流側に行けば水があるかもしれないので行ってみました。

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2018年7月 8日 (日)

聖蹟桜ヶ丘駅の名前の由来になっていた桜ヶ丘公園にある多摩聖蹟記念館

京王線の聖蹟桜ヶ丘駅と聞いて、「聖」という文字からキリスト教関連の施設が近くにあるのかなと思っている人もいるのではないでしょうか。

聖蹟とは元は貴人などが訪れた史跡のことで、特に天皇の行幸、つまり訪問した土地のことを言います。

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↑「明治天皇御野立所跡の碑」があります。

お野立とは、移動中の貴人(主に天皇)が屋外で休憩した場所のことです。

1880年代に明治天皇が兎狩りと鮎漁で4回、この多摩市連光寺を訪れたといいます。

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↑都立桜ヶ丘公園の敷地内となっています。

桜ヶ丘は江戸時代から向ノ岡(連光寺付近)が桜の名所だったことから呼ばれているようです。

この公園内には「旧多摩聖蹟記念館」という建物があります。

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多摩市指定有形文化財となっています。

表側に回ると、柱が印象的な建物で、東京都による「特に景観上重要な歴史的建造物等」にも剪定されています。

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明治時代に建てられたのかと思いきや、明治天皇の行幸を記念して、昭和5年(1930年)に建てられたものです。

後世に業績をたたえることと、地域の観光開発の建てられた施設だそうです。

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中に入ることが出来るようなので行ってみました。

幕末から明治時代にかけて活躍した坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟らの関係の資料が展示されていました。

内部は撮影禁止だったので写真はありませんが、多摩市が管理運営しているようですが、建物設立の経緯からすると不思議にも感じられます。

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2018年7月 1日 (日)

負けたから白旗を揚げたのではない白旗塚のある小手指ヶ原古戦場跡と誓詞橋

小手指といえば、西武池袋線の行先としてよく見聞きする名前で、昭和45年(1970年)に小手指駅と車庫ができました。

小手指行きの電車が走り始めた時は、まだ子どもだったので「こてさし」とは読めずに何て読むのだろうと思っていました。

小手指というと、もう一つ歴史上有名なのが小手指ヶ原古戦場です。

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小手指駅からはだいぶ離れていて、国道463号線所沢入間バイパスの少し南側にあります。

小手指ヶ原は元弘3年(1333年)に鎌倉に攻め込むため目指す新田義貞軍とそれを迎え討つ鎌倉幕府軍が最初に衝突した古戦場と伝えられています。

↑ここには小手指ヶ原古戦場碑が建てられています。

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鎌倉街道が通っていたため、この辺りではこの一回だけでなくしばしば合戦が行われており、小手指ヶ原というはここだけでなく周辺一帯のことのようです。

↑碑の西に向けては、林の中のいい感じの小道があり、その60m程先には白旗塚があります。

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白旗というと、負けた時に掲げる旗というイメージがありますから、ここで敗戦した軍の話かと思ってしまいます。

しかし、白旗塚は新田義貞がこの塚上に源氏の旗印である白旗を掲げたということから名付けられています。

でも、新田義貞は鎌倉幕府を倒したのに源氏なのかという疑問が次に湧きました。

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調べてみると、新田義貞の正式名は源義貞と言うのだそうです。

確かに、当時の鎌倉幕府は源氏というより、執権である北条氏の幕府というものですから、幕府を攻める方が源氏でも構わないということでしょうか。

でも、やはり混乱します。

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↑塚の頂上には白旗塚碑とともに、石祠の浅間神社がありました。

塚が富士山みたいですから江戸時代以降の富士講の富士塚として、頂上に浅間神社が設けられているのでしょうか。

さらに、この周囲の様子を見てみます。

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