拝島段丘の上を流れる熊川分水と下を流れる下の川に咲いている水芭蕉みたいな花
熊川神社のすぐ横を流れている水路があり、熊川分水といいます。
何の分水なのかと言えば、玉川上水からの水を取り入れています。
奥多摩街道と並行するように熊川地区の中心を流れ、福生南公園で下の川に流れ込んでいます。
4年半前に来た熊牛会館の近くにある料亭幸楽園の東側辺りから分水しています。
ちなみに「下の川」は一般名詞でなく川の名前です。
↓(クリックすると拡大します)
全延長2000mで幅は1.2mと狭いですが、1日1000トンもの水が流れています。
承応3年(1791年)熊川分水の工事願いが提出されましたが、100年もの時間を経て様々な難しい問題を克服して、明治23年(1890年)にようやく完成しました。
工事期間中は延べ7000人余りの人が労働に従事しました。
この辺りは多摩川から数百メートルしか離れていませんが、拝島崖線の上の拝島段丘に位置しており、水には困っていたようです。
↑熊川神社近くの、崖線の下に降りる坂を下ってみます。
確かに実際に段丘下に降りてみると、だいぶ高低差があることがわかります。
ところで、よく車止めの上にちょこんと置いてあるモニュメントがありますが、ここのものは小鳥のようです。
なんとそれぞれに名前がついていました。
右から、スズリン、すずか、ビッグバード、スズラン、スメちゃん、パーチク、スズピー、花み。
続いて、ムー、チェリー、ちゅんた、ハニー、チュロ、チュッチュ、スズちゃん、リュウくんです。
福生第五小学校と書かれていたので子供たちのネーミングなのでしょうけれど、いかにもスズメという名前が多い中、時々微妙なものもあるのが面白いです。
ここには「下の川緑地せせらぎ遊歩道公園」がありますから、少しみてみます。
最初にも書いたように、下の川という名前の川で、この拝島崖線に沿って流れています。
こちらは熊川分水とは違い、崖線からの湧水を水源としており、上流の中福生公園の辺りからこのように遊歩道の公園が続きます。
↑階段を上ると展望台があるようなので行ってみます。
やはり、改めて高低差があることが分かります。
住宅街の屋根越しに北西の奥多摩、秩父方面の山々を見ることが出来ます。
数百メートル先に多摩川の広い河川敷があるはずですが、見えませんでした。
同じく逆光になってしまいますが、南西側には丹沢方面の山々を見ることが出来ます。
きっと天気がよければ、富士山も見えるのでしょう。
これだけ高いと、この拝島段丘上では湧水は下に行ってしまうので、近くを流れる玉川上水の水が欲しかったのがわかります。
↑再び、下の川緑地に戻ってみると、なんと水芭蕉らしき花が咲いています。
あの♪遥かな尾瀬遠い空、ミズバショウの花が咲いている♪の水芭蕉でしょうか。
ところで、この歌のタイトルはちょっと忘れがちですが「夏の思い出」です。
きれいな湧水だから咲いているのでしょうか、よく見てみても水芭蕉に見えます。
帰ってから調べてみると、やはり、同じサトイモ科ですが水芭蕉ではなく、これは「カラー」という花でした。
ワイシャツの襟のような感じから、この名になったようです。
水芭蕉だと思って勝手に盛り上がっていたのに残念です。
ブログランキングに参加して、交流を広げていきたいと思っています。
いずれかポチッとお願いします。
.
.
.
« 都内で2番目に古い安土桃山時代に建築されたのに見ることと七福神巡りもできる熊川 | トップページ | 国登録有形文化財がいくつもある石川酒造と大ケヤキと熊川分水と下の川の合流地点 »
「09西多摩」カテゴリの記事
- 南一揆の逃げ込み城であり北条氏の伝えの城になった網代城跡(2024.08.25)
- 貴志嶋神社洞窟と岩山の網代弁天山と山頂景色(2024.08.18)
- 白丸ダムでの東京都交通局の電気事業と売電先、東京発電の氷川発電所(2024.07.14)
- 鳩ノ巣渓谷とその名の由来と双竜の滝、水神の滝(2024.07.07)
- 水面に浮かんでいるようだという浮島神社と他県に迷惑かけないための霞川調節池(2024.04.07)
コメント
« 都内で2番目に古い安土桃山時代に建築されたのに見ることと七福神巡りもできる熊川 | トップページ | 国登録有形文化財がいくつもある石川酒造と大ケヤキと熊川分水と下の川の合流地点 »
下の川って名前が面白いですね
坂(崖)の下を流れてるのでそのままだったんですね
名前が無い川なのでとりあえずそう呼んだのかと思っちゃいますね
投稿: あるふぁ | 2018年6月18日 (月) 15時32分
あるふぁさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
下の川というネーミングには本当に驚きました。
投稿: すずた | 2018年6月24日 (日) 20時45分