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2018年6月24日 (日)

国登録有形文化財がいくつもある石川酒造と大ケヤキと熊川分水と下の川の合流地点

玉川上水から分流した熊川分水の流れを、熊川神社から下流に辿ってみました。

しばらく道路沿いに見ることのできた流れは直角に曲がって見えなくなり、道路と民家の間というよりも民家の敷地内を流れているところがあります。

交通量の多い睦橋通りを渡ると、民家と民家の間を流れていきます。

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↑この背中越しの道の向こう側では、何やら蔵造りの建物の敷地内に熊川分水は流れていくようです。

こちらは「石川酒造」という造り酒屋で、文久3年(1863年)に創業したといいます。

ギリギリ江戸時代です。

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↑「新蔵」といい、明治30年(1897年)建築のもので、酒の熟成に使われている土蔵です。

国登録有形文化財になっています。

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↑さらに古い明治13年(1880年)建築の「本蔵」もあり、ここで日本酒「多満自慢」が醸造されています。

これも国登録有形文化財です。

手前には熊川分水の碑も見えます。

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↑ここ石川酒造では蔵見学も無料で出来るとのことですから、このような案内表示板もあります。

さらに古い建物もあるようです。

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↑「長屋門」という250年前の江戸時代の建築といいますから1770年頃でしょうか、石川家が造り酒屋を営む以前からのものだそうです。

こちらも当然に国登録有形文化財です。

ちょっと石川酒造の宣伝のようになってきたので、熊川分水の先に進みましょう。

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↑敷地から出て下流方向に向かいながらも振り返って見ると、粋な黒塀がいい雰囲気です。

そして、大きな木も気になります。

福生市指定天然記念物大ケヤキで周囲は4メートルもあります。

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ここは南稲荷神社で境内の参道にはには、この根を守るためにちょっとした橋も作られていて、この木を大事に守っています。

この先、熊川分水の流れは再び見えなくなってしまいますが、福生南公園で拝島段丘下の下の川に流れ込むことはわかっています。

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↑公園に入ると水の流れをすぐに見つけることができますが、ここでも段丘の高低差はかなりのもので、熊川分水の水が滝となって流れ落ちています。

通路は「どうどう橋」と名付けられており、水音からこの名となったのでしょうか。

そして上に見えるどうどう橋から、さらに水は下に行き「下の川」に流れ込んでいきます。

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熊川分水の水は各家庭の飲用水、生活用水、水田に引く灌漑用水、酒造、製糸業などの工業用水にも使われたといいます。

経費の70%は熊川地区の実業家3人が負担したといいますから、その一人は石川さんでしょう。

残りは140戸の家で負担したといいます。

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↑拝島段丘の下で、もう多摩川の河川敷となる福生南公園はのんびりしたいい雰囲気です。

熊川分水は明治19年(1886年)から23年(1890年)にかけて工事が行われたといいますから、ちょうど本蔵の建築された年ですが、まさか日本酒の仕込み水にこの分水の水を使おうとしたとは思えません。

調べてみると、やはり地下150メートルの深さの井戸水を仕込み水としているようです。

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