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2018年5月

2018年5月27日 (日)

くじら橋という名前がピッタリな土木学会田中賞も受賞した橋とみはらしの家

稲城市の稲城中央公園は通常イメージする公園というよりは、グラウンドや体育館などが多数ある運動公園です。

この入口にはクジラの親子の像があります。

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何でだろうと思いましたが、このすぐ近くに「くじら橋」があるからのようです。

南多摩尾根幹線を跨ぎ、稲城中央公園の総合グラウンド側と、かつての稲城第二公園と言っていた野球場側を繋ぐ歩道橋です。

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1997年(平成9年)に竣工しました。

この橋は技術的にも 難度の高いプレストレストコンクリート構造物で、優れた技術と特色、美観を有すると認められ、土木学会田中賞を受賞しています。

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歩道橋と言いながらも、幅員は広い所では24.4mm、狭い所でも16.8mもあります。

橋上から植込み越しで見づらいですが、東方向には東京都心部が見渡せます。

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西向きにも多摩丘陵を見ることができますが、南多摩尾根幹線は何と言っても中央分離帯の広さが印象的です。

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近くにある交差点の名前も「くじら橋」です。

地元の小学生からの公募で命名されたといいますが、本当に子供らしいいいセンスです。

下から見てみるとよくわかります。

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2018年5月20日 (日)

新青梅街道からイオンモール東久留米に真っ直ぐ行ける道がようやく開通しそうになってきた

イオンモール東久留米の店舗棟と駐車場棟の間を南北通っている道路は、東村山3・4・18号線という都市計画道路で、都道新小金井久留米線です。

所沢街道、新所沢街道とはアクセスしていますが、新青梅街道の一歩手前の柳新田通りという細い道まででストップして、その先は未開通となっていました。

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↑新青梅街道からイオンモールに行くには、西東京タワー手前の交差点から左折してクランク状に進む必要があります。

新青梅街道からの未開通部分はわずか100m程でしたが、既に5年前の春にイオンモールが開店した時からこの状態です。

未開通部分からは西東京市で、西東京3・4・26号線という都市計画道路になります。

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↑道路計画線上に、田無ファミリーランドのパチンコ店やバッティングセンターがあったのですが、ちょっと様子が変わっていました。

上にあった鉄骨の骨組みとネットがなくなっています。

1階にあるパチンコ店は営業しているようです。

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↑すぐ先にある歩道橋の上から見てみると、どうやら東側の一部を減築したようです。

帰ってから調べてみたら、平成28年12月からバッティングセンターとゲームコーナーは閉鎖されていたようです。

道路導入空間が出来ていることがわかります。

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↑右奥が既開通区間で、左に向かって道路ができる予定地です。

新青梅街道南側から北側を見ていますが、ここに交差点ができることになります。

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↑左奥に見える建物は田無ファミリーランドの社屋のようですが、こちらは計画線には掛かっていないのでしょう。

この敷地北側に行って、そちらから様子も見てみましょう。

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2018年5月13日 (日)

鶴岡ではなく亀岡八幡宮を居城を移すたびに作った伊達氏の梁川八幡神社

伊達市には福島県指定文化財の史跡・名勝が「梁川城跡及び庭園」だけでなく、もう一つあります。

「旧梁川八幡宮並びに別当寺境域」です。

梁川城からは20分近く歩いてくると参道がありますが、かつては城から八幡宮まで延々と続く松並木の参道があったようです。

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前にも書いたように、文治5年(1189年)源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を討つ際に活躍した中村入道念西一族が、頼朝から恩賞として伊達郡を拝領し、姓を伊達としました。

最初は高子岡に居城して、鎮護の神として亀岡八幡宮を山上に祀りました。

11代伊達持宗が居城を梁川に移すと、八幡宮も梁川に移したと言います。

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↑境内にあるこの鬼石観音堂は信達三十三観音の最終札所として信仰を集めたそうです。

伊達氏の氏神として、鎌倉の鶴岡八幡宮に分霊を請じ迎えて祀ったのが亀岡八幡宮です。

梁川城を鶴が岡、八幡神社を亀が岡と呼び、かつては伊達氏の総鎮守でした。

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↑周囲には池がありますが、これは当時のものが一部現存しているものです。

その後、14代伊達植宗が居城を西山桑折へと移した際、八幡宮も桑折に移されました。

次に米沢に移った後には、再びここ梁川に戻されたそうです。

天正10年(1582年)には、有名な17代の独眼竜政宗が、初陣の際、必勝祈願のために参詣しましたといいます。

居城が仙台城に移ると、八幡宮も仙台に移されました。

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↑現在は梁川八幡神社と言いますが、その拝殿の屋根の上には一部シートが被せられています。

瓦崩落危険と書かれたロープが張られています。

ここから先は入れないのかと思いましたが、軒先の瓦が落ちてこない横のところから入って参拝できるようになっていました。

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↑残念なことに、本殿は本格的に修理工事中のようで、全てがシートに覆われていました。

こちらは延享2年(1745年)に改築されたものだと言いますから、見たかったものです。

でも代わりと言っては何ですが、素晴らしいものがすぐ横にありました。

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2018年5月 6日 (日)

伊達市にある伊達氏の梁川城は一時期には奥州の政治的中枢となっていた

独眼竜政宗として伊達氏は有名であり、場所としては東北地方の中でも、仙台をイメージする人が多いと思います。

福島県には伊達市がありますが、あの伊達氏とは関係ないと思われてしまうでしょう。

しかし、奥州攻めの手柄として源頼朝から伊達郡を領地として与えられたことから、伊達氏を名乗るようになったのですから、こちらが本家です。

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↑鎌倉時代に築城されたという伊達市の位置する梁川(やながわ)城は、南に広瀬川、北には塩野川が流れる平山城で、11代伊達持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠として整備されました。

城跡は梁川小学校、中学校、高等学校の敷地となっていますが、一部保存されています。

上の案内図もある北東側の入口から攻め込もう?とすると、かなりの急斜面の上にあることがわかります。

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↑ここはGoogleマップでは梁川城跡と表示されるところで、少し前までの梁川小学校の入口にあたりますが、ロープが張られて立入禁止になっているようです。

そこで、南側にまわり城跡を見てみます。

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↑こちらには、梁川城本丸跡、庭園「心字の池」との案内板が立っています。

低い微妙な位置にはロープがありますが、「ここをまっすぐ」とも書かれています。

ロープは車止めの意味であると解釈して中に行ってみました。

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やはり人が入ってくることが想定されており、福島県教育委員会による案内板もあります。

福島県指定史跡であり、名勝ともなっています。

中世の城郭内庭園では、梁川城のように本丸に庭園が現存する例は少なく、この心字の池は極めて貴重といいます。

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梁川城の築城年は明確にはわかっていませんが、少なくとも嘉吉元年(1441年)に、11代持宗が梁川に輪王寺を創建した記録から、その前には梁川城に居城していたことは間違いないといいます。

石垣も見られます。

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大永2年(1522年)に14代稙宗が室町幕府から陸奥国守護に任命されたことから、梁川が奥州の政治的中枢の位置を占めるようになったと伊達市HPにありました。

↑奥の少し高くなったところに建物らしきものがあるので城と関係するのか見てみましょう。

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