平安時代の延喜式神名帳にも載っている多摩八座の一つである阿豆佐味天神社
新青梅街道を西に走って武蔵村山市から瑞穂町に入るとすぐに、阿豆佐味天神社入口という交差点があります。
旧青梅街道でも同様に、阿豆佐味天神社前という交差点があります。
名前や読み方にちょっと興味があったので、その神社に行ってみました。
↑新青梅街道から北へ向かう旧青梅街道までの道には「阿豆佐味通り」という表示板がありました。
今は普通の道路ですが、以前は参道だったのでしょうか。
道の向こう側には、狭いながらも芝桜がきれいに咲いていました。
↑旧青梅街道から北は、大きな石碑も多数あり、参道らしくなっています。
左側の大きな社号標には文久三年と記されていますから、江戸時代末の1863年のものです。
また、そこには「延喜式」ともありました。
延喜式とは延長5年(927年)にまとめられた、「官社」に指定されていた全国の神社一覧である神名帳です。
武蔵国多摩郡では8ヶ所載っており、多摩八座といわれていますが、ここはその一つということです。
社伝によれば、寛平四年(892年)に桓武平氏の始祖である上総介高望王による創建とされています。
その後も、後北条氏から社領15貫文、徳川幕府から朱印地12石が寄進されており、地域の主要な神社だったようです。
↑明治6年(1873年)郷社に位置付けられており、「郷社」と記されています。
↑社殿の奥には狭山丘陵の木々が生い茂っています。
階段を上ると拝殿です。
天正十二年(1584年)、慶長三年(1598年)、享保年間(1716~36)には社殿の修復が行われているようです。
現在の社殿は明治二十七年(1894年)に改修されたものです。
ちょっと見て回ります。
↑屋根の裏の木組みが美しいです。
因みに「阿豆佐味」は「あずさみ」とストレートに読みます。
本殿である奥宮も趣があります。
阿豆佐味という名の由来は諸説あるようで、梓弓という丸木弓で神事を行ったからという説、古名がアズサという薬効があるキササゲが繁茂していたからという説、阿豆は味で甘い、佐は味の接頭語、味は水で、ここの湧水が甘い水という説もあるようです。
↑確かに、すぐ裏は狭山丘陵の斜面になっており、湧水は豊富そうです。
ただし、小金井市の貫井神社のような湧水の流れはありませんでした。
↑神楽殿もありますが、こちらには何やらブルーシートを被せて置かれていました。
階段を下りていく前に、改めて参道を見るといい雰囲気です。
ただし、残念ながら横田基地が近いため、時折飛行機の音が雰囲気をかき消します。
南に向かって行き青梅街道を過ぎると、残堀川が流れています。
上流である西側にはほとんど水はありませんが、この東側には水が溜まっています。
先程の湧水かとも思いましたが、北側ではなく南側から流れ込んでいるので違うようです。
↑新青梅街道まで戻ると、道路沿いには拡幅のための敷地が少しずつ広がっています。
多摩都市モノレールの上北台から箱根ヶ崎までの延伸が現実のものとなってきているようです。
ないと思っていましたから、ちょっと驚きです。
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