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2018年4月29日 (日)

福島城のあった場所とその名残と福島という名前の由来、そして日銀東北初の出張所

かつて藩の城が位置していたところに明治維新後、県庁があるところが日本中に数多くあります。

福島県も同様で、福島県庁のあるところに福島城があったようです。

しかし、そこは県庁周囲に堀があるわけでもないし、そもそも福島城ってあまり聞き覚えがありません。

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↑県庁前の案内板を見ると、やはりここに福島城があり奥州街道も通っていたようです。

城郭どころか、本丸、二の丸、三の丸などの区画さえ今では残っていません。

福島県の城というと、会津城の方がずっと有名です。

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↑わずかにある福島城の名残りとしては、県庁駐車場隣りにあるこの紅葉山公園です。

ここは「二の丸御外庭」という江戸時代の福島藩主板倉重寛により設けられた庭で、ケヤキの大木も当時のものだたそうです。

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また、ここには県指定有形文化財の宝塔があります。

大佛城跡出土宝塔で、弘安六年と刻まれており、1283年のものとなりますから、鎌倉時代のものです。

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この辺りにはかつては杉妻(すぎのめ)寺があったということです。

この宝塔は厳密には、県庁西庁舎南の位置から出土したといいます。

そこには、もう一つある福島城の名残である土塁がありました。

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案内板には、平安時代末に信夫庄司佐藤氏一族の杉目太郎行信が居住した杉妻城があったとありました。

また、福島市HPによると、文治5年(1189年)、初代伊達朝宗が奥州攻めの手柄として源頼朝から伊達郡を領地として与えられ、伊達家を名乗り住むようになり、信夫の里の杉目(すぎのめ)郷と呼ばれたここに応永20年(1413年)ころ、当時の伊達盆地の支配者である伊達持宗が城を築いたとあります。

杉妻(すぎのめ)寺の大仏堂があったため杉妻(杉目)城、または大仏城と呼ばれていました。

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城の南東には阿武隈川が流れていますから、こちらは天然の要害となっています。

↑江戸時代の寛文年間に、幕府に命じられた河村瑞賢が江戸までの年貢米の輸送する「東回り航路」を開発して、ここ福島河岸は福島藩、米沢藩の御米倉専用の船着場となり、それが復元されています。

右の壁に何か表示があるのが気になります。

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↑阿武隈川は大きな川ですから、水量も多くなることがあり、この洪水痕跡表示板では上から昭和61年、平成10年、平成14年の水位が表示されています。

こんな高いところまで水位が上昇するとは、やはり自然の力をすごいとともに恐ろしいものです。

ところでこの護岸の上は庭園のようになっています。

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↑明治時代になると日本銀行ができ、明治32年(1899年)には東北で初めてであり、日本全国でも7番目の出張所が福島に開設され、後に福島支店となりました。

その支店長役宅として昭和2年(1927年)に建築された建物が「御倉邸」として保存され、中も公開されています。

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御倉という名字の支店長がいたのではなく、この辺りは米蔵が多くあったため、現在の地名も御倉町です。

敷地内には旧米沢藩米蔵が「福島河岸蔵」として復元されています。

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話は飛んでしまいましたが、伊達氏は独眼竜政宗の時代に、中通りと会津の全域を支配するまでになったものの、天正18年(1590年)に豊臣秀吉に追われ、さらに北方の土地へと移っていきました。

新しく中通りと会津の支配者となったのは秀吉の信任厚い蒲生氏郷で、会津黒川城を本拠とし、伊達盆地の杉目城をその支城としました。

城の名を縁起のいいものにするため、黒川を若松に、杉目を福島にしたと伝えられていますと、福島県HPにありました。

最初に見た案内板では、文禄元年(1592年)か次の年に蒲生家家臣木村吉清が大森城から杉妻城に移り、福島城と改称したとあります。

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↑このすぐ近くには、鎌倉時代中期に一遍上人により開かれたとされる宝林寺があり、手前の熊野堂は福島市内で最も古い木造建築の一つとされ、享保11年(1726年)のものです。

境内にある大銀杏は樹齢700年といいます。

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福島城はあまり有名ではありませんが、この地にはやはり古くからの歴史があるようです。

それにしても、福島の名は「福」にあやかったものだというのには驚くとともに、何となく心が和みました。

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