久米川駅の近くにはない久米川町の鎮守である熊野神社と富士塚
東村山市には久米川町という地名があります。
西武新宿線久米川駅近くの住居表示は栄町で、久米川町は東村山駅より北側の所沢市に近い方にあります。
その久米川町五丁目には熊野神社があります。
旧久米川村の鎮守で、明治時代には村社に列格されていました。
熊野神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。
創建年代は定かではありませんが、元弘3年(1333年)久米川の合戦の際に新田義貞が後詰、つまり後方部隊を置いた所であるとされています。
↑拝殿は大正10年(1921年)に落成したものです。
この神社の境内からは、応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口と水鳥形香炉が発見されており、文明18年(1486年)には聖護院門跡主准后が神前で「里人のくめくめ川と」と歌も詠まれているといいますから、鎌倉時代から室町時代にはこの神社はあったようです。
↑本殿はさらに古く明治14年(1881年)に落成したといいます。
趣のあるいい建物ですが、どの神社も本殿は近くで見られないことが残念です。
↑拝殿の北西側には、正面に伊勢神宮、左に御嶽神社、手前に神明宮、さらに手前には写ってませんが稲荷神社も祀られています。
また、この熊野神社の北東側には「久米川富士」があります。
東村山市史跡に指定されています。
富士講が流行したのは江戸時代といいますが、ここは明治時代の記録はあるようです。
登ってみましょう。
↑入口(登山口)には「明治21年4月」と刻まれた石祠があります。
説明板には、裾野に風穴が作られたり、一合目、二合目の標識が置かれていたとありましたが、それは今では見つけられませんでした。
↑山頂近くまで行くと、やはり大きな石祠があります。
しかし、説明板には山頂に富士浅間社の石祠があると書かれていましたが、それも見つかりませんでした。
下に移されて途中で見たものののかもしれません。
山頂からは景色が見渡せます。
↑ここは周囲に比べて低地となっていますが、北側に向けて木々の隙間から、所沢駅近くの超高層マンション群まで見ることができます。
東川や北川と柳瀬川が合流するところのすぐ近くであり、低い位置にあります。
↑山頂から登山口を見れば、結構な高低差があることが分かります。
もっとあるかと思いましたが、久米川富士塚は6メートルほどの高さのようです。
この熊野神社は低地にあるためか、神社南西側には池があります。
↑水は濁っており、どこかに流れている様子は見られませんでした。
神社西側は熊野公園となっており、そこにも水の流れがありましたが、こちらはポンプがありましたから地下水を汲み上げているようでした。
西武新宿線沿いにありますが、新田義貞の話もあったように、ここには鎌倉時代には「鎌倉古街道上ツ道」が通っていたそうです。
これも東村山市旧跡に指定されています。
中世から近代まで、様々な歴史遺産のある素晴らしいところです。
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