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2018年3月11日 (日)

城山砦、上杉砦、柏原城といろいろな名で呼ばれる山内上杉氏の城郭の完成度の高さ

狭山市柏原には市内唯一である中世城郭の跡があります。

戦国時代の城は天守閣などの飾りつけはなく土の城で、まさに戦いの城という感じがいいものですが、位置的には新狭山駅から北西方向に向かい、入間川を渡った先になります。

その面積は約7000平方メートルあり、狭山市による案内表示板では「城山砦跡」と書かれていますが、別名を上杉砦ともいい、さらには地名から柏原城とも呼ばれています。

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↑狭山市駅からのバスの行き先にもなっている大規模に住宅開発された西武狭山ニュータウンの住宅地のすぐ横に沿うように、その砦跡というか城跡はあります。

ここも戦うための城によくあるパターンで、入間川に迫り出した舌状台地の端部に位置し、10メートルほどの河岸段丘上にあります。

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↑山城というか丘城ですが、登っていくとやはり結構急斜面です。

ここは天文14年(1545年)9月から半年近くにわたり、関東管領の山内上杉憲政が陣を敷いたことから、江戸時代後期には「上杉砦」と言われていたと案内板にありました。

坂を進んでいくと空堀の中に入っていきます。

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↑敵がこの城を攻めようとすると、上から弓矢で攻撃して防御するでしょう。

憲政がここに着陣したのは、天文6年(1537年)に河越城が小田原の後北条氏に奪われたものを再び奪い返すためでした。

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↑案内板にあった地図ですが(クリックすると拡大します)、この下の方から登ってきました。

東に本郭、西に二ノ郭があり、この図にはありませんが、さらにその西には三ノ郭もあったようです。

本郭への入口である虎口から中に入り、振り返って見ると両側には高さ3mほどの土塁があります。

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この虎口さえ守れば、それ以外からは敵は易々とは攻め入ることのできない作りになっています。

陣を構えて城を守る立場にたって山城を見るといろいろ面白いものです。

さらに、そのスタンスで見て回りましょう。

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↑本郭は東南にやや広がりを持つ台形に近い形状で、面積は約3500平方メートルの広さがあり、北側と西側と南側には高さ3mほどの土塁があります。

奥の左にあるのが、北側の土塁です。

三方向には土塁があるのに、なぜ東側だけ無いのかは見ればすぐわかります。

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いい景色が広がり、住宅の屋根からここの高さがわかりますし、入間川の河川敷も良く見えます。

10mほどの崖の上ですから、あえて土塁を作る必要がなかったのでしょう。

ここに立つと、かつての入間川宿を一望に見渡せるので、物見櫓的な施設があったと考えられているそうです。

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↑北側の土塁の上に登ってみると、奥の先端に突き出たところがあります。

同様にこれは左端にも迫り出しています。

これは「折り」と呼ばれるもので、土塁の上からの防御というか攻撃をしやすくしているといいます。

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土塁で高くなっているうえに、下は空堀となっていますから、大分高低差があります。

しかも、空堀は年月の経過によりかなり土で埋まっているはずですから、なおさらこの城の防御はしやすいように工夫されています。

西側の土塁を本郭から見ると、同様に先端にいくつかの「折り」があるようで、空堀に向け迫り出ています。

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攻め来る敵に横矢を掛けることができるようになっています。

当時は草は生えてなく、土もツルツルだったようですから、本当に攻めづらい城だったことでしょう。

この城郭の縄張りはかなりの完成度のものだそうです。

やはり近世の城より戦国の城、土の城巡りは楽しいので、もう少し見ていきます。

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