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2018年3月

2018年3月25日 (日)

日本で一番古い公園の一つにあり都内最大級の規模をもつ芝丸山古墳と徳川家光の大イチョウ

東京タワーのすぐ隣にあり、徳川家の菩提寺である増上寺を取り囲むように芝公園はあります。

そんな都心の一等地に古墳があるというので見に行ってきました。

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↑小高い丘となっているところがあるので、これが古墳かと思い様々な角度から見てみました。

前方後円墳であるはずなのに、そうは見えません。

階段を登って行くと、その上に古墳はありました。

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↑「芝丸山古墳」といい、東京都指定史跡となっています。

向かって左が前方部分で、右が後円部分になり、正面がくびれ部分になります。

前方部が狭く低いという形態や占地状態などから5世紀代の築造とみられ、南武蔵の族長の墓だったと考えられています。

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↑右側を見ると、丸い円墳の形をしているのがわかります。

全長106メートル前後(125メートルとも)、後円部径約64メートル、前方部前端幅約40メートル、くびれ部幅約22メートルほどの都内最大級の規模をもつ前方後円墳です。

前方部は南南西に向いています。

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↑左側を見ると、こちらは言われてみれば方墳かなという感じです。

古墳の一部は削られてしまっており、明治31年に調査された時点で既に後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は無かったそうです。

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↑ここにはお稲荷さんがあり、「円山随身稲荷大明神」といいます。

この円山稲荷は増上寺の裏鬼門に位置し、寺の芝移転時にご本尊を守護するためにお供したことから随身というと書かれていました。

芝丸山遺跡を見るために、まず、後円部の円墳に登ってみます。

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↑広場となっており、円墳の上部は削られています。

ただし、円形であることはわかります。

ここにはちょっと不思議なものがありました。

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2018年3月18日 (日)

北条氏から河越城を奪還するための柏原城なのに何で守りに力を入れているのかの疑問

城郭の縄張りの完成度が高いといわれる狭山市の柏原城の続きです。

守りやすさから舌状台地に築かれた城は、裏側の方は平坦な土地であるはずです。

その北西側からの様子を見てみます。

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↑こうして見る限りは、やはり予想通りに攻めやすそうに感じられます。

しかし、すぐ近くまで行って、同じく北西方向から本郭を見ると、手前には空堀があります。

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その向こうには土塁がありますから、さらに高くなっています。

東側を除く本郭周囲には空堀が巡っていますが、その深さは平均で約3メートルとなっています。

幅はもっとも広い所で7メートル、狭い所で3メートルあり、平均は約4メートルです。

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↑空堀の中に入ってみると、やはり周囲は高く、当時としてはさらに2メートル深かったとのことなので、攻め上がるどころか這い上がるのも難しかったことでしょう。

この北西側からも柏原城というか城山砦跡への入り口があります。

前回も触れたように、ここにはいくつもの名称がありますが、なぜか統一されていないのが不思議です。

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↑左側にあるのが、先程下にも行った空堀で、左奥が本郭です。

さらに、発掘調査によると、この空堀の外側にも深さ3メートルの空堀があったといいます。

ここは現在では道路になっているので面影は残っていませんが、二つの空堀の間には1メートル程の土塁上の高みが残っています。

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ところで、そもそもこの柏原城は、扇谷上杉氏の居城であった河越城が北条氏に落とされたものを、再び奪還するための拠点だったはずです。

攻め込むための城なのだから、そんなに守りの重点を置く必要があったのでしょうか。

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2018年3月11日 (日)

城山砦、上杉砦、柏原城といろいろな名で呼ばれる山内上杉氏の城郭の完成度の高さ

狭山市柏原には市内唯一である中世城郭の跡があります。

戦国時代の城は天守閣などの飾りつけはなく土の城で、まさに戦いの城という感じがいいものですが、位置的には新狭山駅から北西方向に向かい、入間川を渡った先になります。

その面積は約7000平方メートルあり、狭山市による案内表示板では「城山砦跡」と書かれていますが、別名を上杉砦ともいい、さらには地名から柏原城とも呼ばれています。

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↑狭山市駅からのバスの行き先にもなっている大規模に住宅開発された西武狭山ニュータウンの住宅地のすぐ横に沿うように、その砦跡というか城跡はあります。

ここも戦うための城によくあるパターンで、入間川に迫り出した舌状台地の端部に位置し、10メートルほどの河岸段丘上にあります。

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↑山城というか丘城ですが、登っていくとやはり結構急斜面です。

ここは天文14年(1545年)9月から半年近くにわたり、関東管領の山内上杉憲政が陣を敷いたことから、江戸時代後期には「上杉砦」と言われていたと案内板にありました。

坂を進んでいくと空堀の中に入っていきます。

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↑敵がこの城を攻めようとすると、上から弓矢で攻撃して防御するでしょう。

憲政がここに着陣したのは、天文6年(1537年)に河越城が小田原の後北条氏に奪われたものを再び奪い返すためでした。

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↑案内板にあった地図ですが(クリックすると拡大します)、この下の方から登ってきました。

東に本郭、西に二ノ郭があり、この図にはありませんが、さらにその西には三ノ郭もあったようです。

本郭への入口である虎口から中に入り、振り返って見ると両側には高さ3mほどの土塁があります。

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この虎口さえ守れば、それ以外からは敵は易々とは攻め入ることのできない作りになっています。

陣を構えて城を守る立場にたって山城を見るといろいろ面白いものです。

さらに、そのスタンスで見て回りましょう。

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2018年3月 4日 (日)

埼玉県にあるのに東京都の朝霞浄水場から都内への水道管のシールドトンネル工事が行われていた

JR武蔵野線北朝霞駅からちょっと北に行くと、東京都水道局の朝霞浄水場が見えます。

でも考えてみれば、朝霞市は埼玉県のはずです。

ちょうど都県境が複雑に入り組んでいて、浄水場の敷地は都内なのかとも考えましたが、清瀬市、東久留米市、西東京市、練馬区みな遠すぎてあり得ません。

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↑行ってみれば(行かなくてもわかりますが)、やはり埼玉県朝霞市宮戸です。

ここは荒川の秋ヶ瀬取水堰からの水を浄水し、東京都の水道水としています。

高度浄水処理で安全でおいしい水をつくっていますと書かれていました。

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↑その高度浄水された水をここでは飲むことができます。

近頃は水道施設ではテロ対策のため警備が厳重ですが、さすがにこの水飲み場は門の外にあるから誰でも飲めます。

暑い日だったせいかもしれませんが、水道水とは思えないほど、冷たくてとても美味しい水でした。

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↑この浄水場の前の道は歩車分離されているだけでなく、自転車道も分離された形態です。

埼玉県道は、歩道を歩行者用と自転車通行用に区分された道が多く、自転車でも走りやすいです。

ただし、歩道中央に白線を引いて左右に色分けしただけの道だと、なぜか自転車通行帯を歩いている歩行者が多く、むしろより危険なこともあります。

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↑朝霞浄水場から朝霞市膝折地内間送水管(2600mm)用トンネル築造工事と書かれた看板があります。

2600mmといえば、つまり2m60cmですから、市内の水道管としては結構太いです。

奥にはシールド工事の立坑らしき囲いも見えます。

ちょっと興味が湧きました。

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