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2018年2月11日 (日)

渋谷にあると思えないほど土偶や埴輪や土器がいっぱいで静かな環境の國學院大學博物館

目的地の博物館は、渋谷駅から歩いて10分ちょっとで道はわかりやすく、六本木通りを東に向かい、実践女子大学と青山学院初等部の間の道を右に曲がったところにあります。

ところで、渋谷駅周辺では再開発工事の真っ最中なので、行くたびに景色が変わっていきます。

この日も駅から歩道橋で明治通りと六本木通りを渡り、渋谷警察署側に行くつもりだったのに、歩道橋が繋がっておらず、2つの歩道橋のために2度も階段を登ることになりました。

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↑國學院大学学術メディアセンターの半地下に「國學院大學大学博物館」があります。

この学校名の「國」も「學」も旧字体であることを初めて知りました。

また、この学校の母体は明治15年(1882年)に創立された皇典講究所であることも知りました。

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↑入口を入っていきなり火焔型土器があります。

レプリカですが、手に触れることができるので、3kgという重さや手触りのザラザラ感も味わうことができます。

この新潟地方で出土する火焔型土器を東京オリンピックパラリンピックの聖火台にしようという運動が行われていることも初めて知りました。

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↑縄文時代の土偶があります。

考古学はまさに文字のない時代のことを、発掘された物から読み解くものですが、土偶には興味引かれます。

主に祈りのために作られたようですが、何千年も前の人達は何を思い、こんな顔や形のものを作ったのかと思うと面白いです。

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↑ここには予想以上多くの展示物があり、土偶も破片のような一部しかないものも多数置いてあります。

見れば見るほど不思議です。

この博物館は、考古、神道、校史の3つがテーマとなっており、撮影可能なものと不可能なものが区別されており、考古ゾーンは撮影できます。

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↑縄文式土器も多過ぎて全部見ることができないほどです。

別のところには弥生式土器もたくさんあります。

土偶と土器のハイブリッドのようなものもありました。

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↑中央にあるのは「挙手人面土器」で、身体の形をした土器で胴部に顔面、口縁部に腕を模した一対の突起があります。

予想外なことに、縄文時代ではなく、古墳時代前期の4世紀のものといいます。

古墳時代ものとしては、埴輪がありますが、大きさに驚かされました。

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↑縄文時代の土偶と違って、古墳時代の埴輪になると形も良くなってきますが、右の方にある家形埴輪ではこんなにも大きなものがあるとは知りませんでした。

埴輪を見ると、9月に行った群馬県で数多くの埴輪を見たことを思い出します。

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↑最初に博物館入口から入る時、上にあったビーチパラソルのようなものは気になっていましたので、帰りに立ち寄ってきました。

1階には「カフェラウンジ若木が丘」があるようなので、ちょっとナポリタンとコーヒーで一休みしましたが、大学はもう春休み期間なので空いていてのんびりできました。

外でも飲食出来るようになっているのですが、寒い日だったので外の席には座りませんでした。

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↑このすぐ近くには「渋谷氷川神社」があります。

創始は非常に古く、景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したと、慶長10年(1605年)に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」にあるそうです。

渋谷区には明治神宮や東郷神社など有名な神社がありますが、ここが渋谷最古の神社ということで、4000坪もの敷地があります

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↑渋谷の地名には「谷」とあるように、歩いてみるとアップダウンの多い地形で、神社から渋谷駅方面に行こうとすると、かなりの高低差があります。

境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡もありました。

その金王といえば、渋谷駅へ向かうと「金王八幡宮」があります。

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ここは源義家が、永保3年(1083年)後三年の役の勝利は河崎基家(渋谷氏の祖)の崇拝する八幡神の加護であると勧請したといいます。

基家の子、重家は渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥とされます。

重家の子、渋谷金王丸は武勇に勝れ源義朝・頼朝に仕え、金王という名が今でも金王坂などに残っています。

ここでも、11月に行った平泉を思い出しました。

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↑本殿右側の金王桜は、源頼朝が金王丸の誠忠を偲び名付け植えたといいます。

いろいろ見て来ましたが、博物館では写真は撮れなかった神道を学び、その後神社を見て回ると、國學院の「国学」とはどういうものなのか考えてしまいました。

都心部に来たというものの、日常を忘れ、しかも考えるいい一日でした。

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