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2018年2月

2018年2月25日 (日)

そばの一大生産拠点だったという中野にある石臼塚と醤油醸造所のレンガ塀

青梅街道の「淀橋」は新宿区と中野区の境界を流れる神田川に架かっています。

ヨドバシカメラや淀橋浄水場が有名なため、淀橋のいうと新宿区のイメージが強いですが、淀橋のすぐ西側は中野区なのです。

江戸時代には神田川に水車があり、蕎麦粉を挽いていたそうで、江戸そばは中野産のものが多かったといいます。

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↑淀橋のすぐ西にある中野坂上駅近くの宝仙寺には「石臼塚」があります。

そばの一大消費地となった江戸に向けて、中野は製粉の一大拠点としてそばを供給したため、「中野そば」とまで言われていたそうです。

そこで使われていた石臼がその後の機械化により使われなくなり、道端に放置されているのを住職が見兼ねて、この石臼塚を築いたそうです。

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人の食のために貢献した石臼を供養すべきだということでした。

最初見た時はこれは何だろうと思いましたが、聞いてみれば素晴らしいことです。

この宝仙寺は山門も立派です。

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阿(あ)、吽(うん)の仁王像が迎えてくれます。

宝仙というと宝仙学園として学校を知っていましたが、その設立母体としての寺院というか宗教法人がありました。

ここには三重塔もありました。

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江戸六塔の一つで、寛永13年(1636年)に建立されたものの、昭和20年(1945年)の東京空襲により焼失してしまいました。

こちらは平成4年(1992年)に再建されたもので、飛鳥様式の木造建築です。

ところで、中野が蕎麦の一大生産地になったことは、ちょっと不思議にも思えます。

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江戸時代の江戸周辺には神田川以外にも川はいくつもありますし、その神田川沿いにだって多くの町があったはずです。

↑江戸時代にこの周辺が栄えていたことは確かなようで、ここ宝仙寺境内には明治28年から昭和時代初期まで中野町役場があって、その碑があります。

どうして中野ばかりで多くの蕎麦の製粉が多くお行われ、一大産地となったのか、いろいろ調べてみたいと思い周辺も見て回りました。

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2018年2月18日 (日)

枕草子にも出てくる堀かねの井の本命なのか、堀兼神社の堀兼の井

古くから和歌に詠われる「ほりかねの井」ではないかと言われる狭山市北入曽にある「七曲井」は昨年5月に行きました

同じ狭山市内で2kmほど東に離れたところに、その名も「堀兼の井」があります。

しかも、地名も「堀兼」で堀兼神社の敷地内にあるといいます。

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道路から一歩中に入ると、趣きのあるいい雰囲気です。

神社の敷地内はどこも空気が凛としています。

まず隋身門、両側には二神像があります。

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この創建は不明のようですが、万延元年(1860年)に神像を塗り替えたという記録があるので、少なくとも江戸時代後期までは遡れます。

建造物として狭山市指定文化財です。

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↑門をくぐり階段を上って行くと本殿があります。

社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、水がなく苦しむ住民を見て、富獄(富士山)を遥拝し、井戸を掘らせたところ水を得ることができたため、浅間社を祭ったとのことです。

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↑本殿の傍らにある説明表示板にも、堀兼神社(富士浅間社)と書かれていました。

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↑下に戻ってみると、この社殿に上ってくる階段はもう一つありました。

こうして見ると富士塚のようにも見えます。

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↑その通りで、このもう一つの登り口の手前には、下浅間神社があります。

しかも、下には「一合目」という表示もあります。

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↑登り道の途中には小御嶽神社があり、やはり「五合目」との杭があります。

現在では堀兼神社となっていますが、かつては浅間社だったようです。

それでは、そろそろ堀兼の井を見てみましょう。

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2018年2月11日 (日)

渋谷にあると思えないほど土偶や埴輪や土器がいっぱいで静かな環境の國學院大學博物館

目的地の博物館は、渋谷駅から歩いて10分ちょっとで道はわかりやすく、六本木通りを東に向かい、実践女子大学と青山学院初等部の間の道を右に曲がったところにあります。

ところで、渋谷駅周辺では再開発工事の真っ最中なので、行くたびに景色が変わっていきます。

この日も駅から歩道橋で明治通りと六本木通りを渡り、渋谷警察署側に行くつもりだったのに、歩道橋が繋がっておらず、2つの歩道橋のために2度も階段を登ることになりました。

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↑國學院大学学術メディアセンターの半地下に「國學院大學大学博物館」があります。

この学校名の「國」も「學」も旧字体であることを初めて知りました。

また、この学校の母体は明治15年(1882年)に創立された皇典講究所であることも知りました。

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↑入口を入っていきなり火焔型土器があります。

レプリカですが、手に触れることができるので、3kgという重さや手触りのザラザラ感も味わうことができます。

この新潟地方で出土する火焔型土器を東京オリンピックパラリンピックの聖火台にしようという運動が行われていることも初めて知りました。

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↑縄文時代の土偶があります。

考古学はまさに文字のない時代のことを、発掘された物から読み解くものですが、土偶には興味引かれます。

主に祈りのために作られたようですが、何千年も前の人達は何を思い、こんな顔や形のものを作ったのかと思うと面白いです。

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↑ここには予想以上多くの展示物があり、土偶も破片のような一部しかないものも多数置いてあります。

見れば見るほど不思議です。

この博物館は、考古、神道、校史の3つがテーマとなっており、撮影可能なものと不可能なものが区別されており、考古ゾーンは撮影できます。

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↑縄文式土器も多過ぎて全部見ることができないほどです。

別のところには弥生式土器もたくさんあります。

土偶と土器のハイブリッドのようなものもありました。

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↑中央にあるのは「挙手人面土器」で、身体の形をした土器で胴部に顔面、口縁部に腕を模した一対の突起があります。

予想外なことに、縄文時代ではなく、古墳時代前期の4世紀のものといいます。

古墳時代ものとしては、埴輪がありますが、大きさに驚かされました。

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2018年2月 4日 (日)

小金井の地名の由来とも云われる国分寺崖線からの湧水がきれいな貫井神社

国分寺崖線沿いには湧水の湧き出るところが数多くありますが、その一つの貫井神社に行ってきました。

新小金井街道と東京経済大学の間の住宅地の中にあるため、周辺道路も狭く交通量が少ない静かなところです。

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↑本殿の前には神橋があり、両側にいわばひょうたん型に池があります。

天正18年(1590年)に創立され、水の神である水神様を貫井弁財天として祀ったとのことです。

本殿は宝永6年(1709年)に改築されたものが残されていましたが、昭和60年(1985年)焼失してしまったため新たに建て替えられたものです。

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↑右側の池ですが、ちょうど国分寺崖線の下に位置するためか水も豊富です。

小金井の地名は、「黄金に値する豊富な水が出る」ことから、黄金井(こがねい)が小金井になったと云われています。

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↑その対岸に渡り、先程いたところを振り返ると、神橋も美しい景観です。

また、中世には、現在の前原町南部が金井原(かないはら)と呼ばれており、あるいは、土地の支配者金井氏にちなむ地名という説もあり、よくあるパターンで地名の由来は諸説あるようです。

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↑神橋から今度は左側の池を見てみると、正面に水が勢いよく流れ込んでいるところがあります。

これは湧水でしょうから、水の出どころを確認しなくてはいけません

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↑本殿の左側のハケ(崖線)沿いに奥の方から水は流れてきます。

本殿を取り囲むようにハケとなっていますから、すぐに水源に到着です。

ここは水量が多く、これまで枯渇したことがないと小金井市公式サイトにありました。

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↑3つの岩の間から水が湧いています。

東京の名湧水57選にもなっているようです。

ただし、「平成2年2月8日水質検査の結果、飲料水として適しません」とあえて看板が立っていました。

ハケ上も見てみましょう。

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