府中崖線に沿って駅のすぐ目の前と住宅地の真ん中にある御嶽塚と高倉塚古墳
JR南武線に新しく2009年(平成21年)に開業した西府駅のまさに目の前に古墳があり、しかも墳丘が残存しています。
南口から出ると、線路に沿って右側に公園があり、小さな小山があります。
↑これが「御嶽塚古墳」で、古墳時代後期の6世紀から7世紀初めに築かれたもののようです。
直径約25mの墳丘とその周囲に幅約7mの溝がめぐる円墳でした。
府中市指定史跡となっています。
↑この周囲では13の同時期に作られた古墳があったということで、御嶽塚古墳群と言われています。
この御嶽塚が中世になると屋敷を堀で囲む約200m四方の区画の中心に位置することとなり、江戸時代には信仰の対象として祀られることになったとあります。
↑塚上に祀られている石祠には「御嶽大権現」とあり、安政の年号も刻まれています。
御嶽信仰は、山岳信仰のひとつで、中世以降さかんになり江戸時代に各地に広まったといいます。
古墳があるとは言っても、子どもたちが普通に遊んでいる公園で、写真に写らないようにするのに苦労するほど数多くいました。
そういえば、もう既に5年前のことですが、この少し北側の甲州街道沿いにある「武蔵府中熊野神社古墳」に行ったことを思い出しました。
あれは、きれいに復元されていて立ち入ることなどできませんでした。
同じ府中市内の古墳とはいえ大きな違いです。
↑この辺りでは南武線は府中崖線のすぐ上を走っており、西府駅のすぐ南は急斜面となっていて、その下には市川が流れていたようで、そこが市川緑道となっています。
この緑道を少し東へ進みます。
↑広い道路と交差して、何度も見たことのある景色のところに出ました。
府中街道を関戸橋から北に向かって車で走っていくと、突然トンネルのあるところです。
こんなところに山は無いはずなのにと以前は不思議に思っていましたが、今は分かります。
↑この本宿トンネルは山ではなく、府中崖線があるため存在するものでした。
トンネルの上にはマンションが建っています。
また、これまで気づいていませんでしたが、南武線と道路の立体交差の意味合いもありました。
さらに、市川緑道を東へ分倍河原駅の近くまで行き、再び府中崖線の上に上ります。
↑あまりにも普通の住宅地の中なので、道に迷ったかなと思っていると「高倉塚古墳」があります。
この周辺にも古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。
↑ここでは古墳の後、近世になっても特に信仰の対象となってはいなかったのか、墳丘の頂上部には何もありませんでした。
とはいえ、墳丘下層からは6世紀前半の土師器杯が出土しているようです。
こちらも府中市指定史跡となっています。
↑ここでは子どもは遊んでいませんでしたが、「芝すべりは禁止です」と書かれた看板がありました。
「ここは貴重な市の文化財です」とあえて書いてありますが、たしかに芝すべりしたくなる小山です。
↑山というか古墳に登り、まずは南武線の通っている北側を見てみます。
住宅街の真ん中だということが分かるかと思います。
続いては南側です。
住宅街の中とはいえ、その先には府中崖線がありますから、隙間から多摩川越しの景色、多摩丘陵を見ることができます。
雪の降る前日に行きましたが、雪景色も良かったかもしれません。
ですが、雪の後しばらくは路面が凍っていて、このような坂道や住宅街には来られなかったでしょうから、この日に行って正解でした。
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