相模原沈殿池の水は横浜水道みちを流れてきたのではなく、相模原浄水場も関係なかった
前回見てまわった、相模原市を横断している「横浜水道みち緑道」は、明治時代に日本初の近代水道として引かれたところでした。
県立相模原公園のすぐ近くの、この水道道の近くには貯水池のようなところがあり、「相模原沈殿池」と名付けられています。
ダム便覧にも記載されており、堤高19.5m、堤頂長255mもある立派なダムといえます。
相模原公園の北側に位置し、アースダムの美しい芝生が広がります。
北東方面を見ています。
取水口らしきものがあります。
北西方向を見てみると、横幅の2倍程度の奥行きがあるように見えます。
この水は横浜水道みちを流れて来た水を一旦ここに貯め、水道水としてりようするため沈殿させる施設なんだろうと思っていました。
しかし、この沈殿池ができたのは1954年(昭和29年)ですので、1887年(明治20年)にできた横浜水道よりもこちらの方がずっと新しいものとなります。
ちょっとネットで調べながら、全体の様子を見に一周歩いてみました。
↑半時計回りに半周、北東の端まで来てみると、北西の端に水道施設らしきものがあるようです。
↓沈殿池の北側は住宅もある普通の道路となっていました。
調べてみると、この水は津久井湖手前の沼本ダムからの取水され、地下の水道管を通って流れて来たものを貯めているようです。
津久井分水池、下九沢分水池を経由して来ており、横浜水道みちとは全く別ルートということです。
横浜市水道局公式サイトにあった「水源系統図」を見ると、津久井湖から川井浄水場まで2本のラインが引かれています。
沈殿池北側の道路を歩いていくと、さらにこの道の北側にも水道施設らしきものがありました。
「相模原浄水場排水処理施設」と書かれています。
さらにややこしいことに、こちらは先程の横浜市水道局の2本のルートのための水道施設とは別のものでした。
神奈川県内広域水道企業団による相模原浄水場がこの近くにあり、ここより相模川下流の相模大堰、さらに遠くは酒匂川下流の飯泉大堰から取水して、その水がこちらまで流されています。
地下のことだから見えないし知りませんでしたが、水道は水利権などもあり大変なのでしょうか。
↑北西端を過ぎて、沈殿池西側を畑との間を進みますが、こちらは水面を見ることが出来ません。
↓一周して、今歩いて来た北側を振り返ると、堤上は管理用通路となっているようで立ち入り禁止です。
結局、洪水吐らしきものは見つけられませんでした。
改めて、最初に通った堤頂から南側の県道と県立相模原公園を見てみても、その先に洪水吐からの水の流れらしきものはありませんでした。
相模原沈殿池では水を7時間に渡って滞留させ、不純物を沈殿させているようです。
沈殿池は浄水場の中にあるものとばかり思っていたので、独立したこうした施設は知りませんでした。
そもそも、元々は相模原市の水道施設と思っており、横浜水道みちを知ってからはその水を貯めていると思っていたのに、ダブルで認識が違い、驚きました。
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