有名なはずなのにどこかわからない清瀬せせらぎ公園って意図的にそうしているのか
都庁1階や羽田空港などにある東京観光情報センターで配布されている「東京の観光公式ガイド 東京ハンディガイド」の地図に「清瀬せせらぎ公園」というものが載っています。
どこにあるのか思えば、よく通る空堀川のすぐ近くのようだというのに、見たことも聞いたこともないので、GW中の良く晴れた日に探しに行ってみました。
空堀川左岸から下流を見て、石田橋の手前右岸から奥に清瀬せせらぎ公園はあります。
何度もこの川沿いを通っていますが、公園があることに気づきませんでした。
空堀川の河川改修によってできた旧河川敷を活用して、そちらに清流を復活させたといいます。
空堀川はこの日も名前通りに空堀で、わずかな水が水たまりにあるだけでしたし、構造上も現在の川の水が流れ込む仕組みにはなっていません。
↑でも、清瀬せせらぎ公園のせせらぎ起点ゾーンとされた石の隙間から、水が流れています。
公園といっても、旧河川敷ですから細長い空間で、水は住宅街の間を流れていき、左岸には遊歩道があります。
中里橋からは親水散策ゾーンとなり、右には清瀬第四小学校があります。
ここからは少し水量も増えているようです。
中里二丁目の約510mの区間に、清瀬市立清瀬せせらぎ公園は整備されています。
この復活させた清流の水は深さ70mの井戸から汲み上げたものを利用しているようです。
また、一部の水はそれを循環させているようです。
途中には右岸に学習管理棟という建物もありました。
さらにその下流では、本当に子どもがせせらぎの中に入り水に親しんでいました。
市の職員かボランティアの方かわかりませんが、子どもに水中の生物の説明もしていたようです。
この先の宮下橋からは公園及びせせらぎは、林の中に入り、生態保全ゾーンとなります。
ここから先の様子も気になるところです。
ここからは遊歩道が右岸にあり、水の流れは柵の向こう側となり、水には直接は親しめませんが、生態保全のためのようでホタルも育てているようです。
右側は清瀬中里緑地保全地域の雑木林が広がります。
3月にはカタクリの花が見られるそうです。
遊歩道は途中からは木道として整備されています。
この木道の終点部分は少し広い空間となっておりベンチもあり、「みはらし台場」というのですが、このような不思議な見晴らしです。
この公園は平成12年10月にオープンしたといいますが、その後に空堀川と柳瀬川の合流地点の流路変更工事が進められたため、様子が変わったようです。
開園当時の清瀬市の公園パンフレットの地図を見ると、この目の前には柳瀬川の本流があったようです。
現在の景色ではこちらには水が来ないように、左側には大きな堤が築かれています。
この辺りの空堀川、柳瀬川や小金井街道こは何度も来ているのに、清瀬せせらぎ公園の存在を知りませんでした。
この公園の下流側すぐ横にあたる清瀬橋から、改めて上流側の公園辺りを見ると、こんな様子です
柳瀬川の合流直後の流路変更により、旧清瀬橋のすぐ横に新清瀬橋が作られた様子は1年前に見てきました。
河川改修に伴って、新東京所沢線、東京狭山線が開通しやすくなったと思っていましたが、実は、道路のために河川の方を変えたのでしょうか。
河川改修と道路開通の両立を図る計画を考えたのなら、すごいことです。
旧清瀬橋から下流方向を見ると水は流れてなく、もっと左寄りの新清瀬橋の下を流れています。
まさか、清瀬せせらぎ公園は目立たないようにさせたく、人が来すぎると、ホタルを育てる環境には良くないということからなのでしょうか。
調べてみたら、東京の観光公式サイト「GO TOKYO」にも清瀬せせらぎ公園は載っているのですが、写真が学習管理棟の建物で、観光客誘致という意味ではその気を感じさせないものでした。
もしかしたら、意識的に有名になりすぎないようにという確信犯的な工夫?
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