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2017年3月12日 (日)

弥生時代に既に空堀や土塁があった大塚歳勝土遺跡、当時は都筑まもる君がいなかった

今から2000年ほど前の、この地方で稲作を始めた人々の暮らしていた、弥生時代中期のムラとその墓地が一体的のわかる貴重な遺跡も横浜市都筑区にあります。

大塚・歳勝土遺跡として国指定史跡となっています。

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弥生時代の住居跡に竪穴住居が復元されています。

大塚遺跡は外周600mに及ぶ大きな溝を廻らせた大規模なムラ全体が発掘され、85軒もの竪穴住居跡と25棟の高床倉庫があったようです。

↑これは中型住居で標準的な大きさです。

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↑大規模な住居もあり、ムラ長の住居だったようで集会所としても使われていたといいます。

いずれも中に入れるようになっており、結構しっかりした作りになっていることから当時の技術水準に驚かされます。

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↓竪穴住居の発掘跡が保存されています。

2回の建て替えが行われたことがわかり、壁の一方には通路があったこともわかったそうです。

こうした発掘とその検証の技術の高さにも驚かされます。

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ところで、竪穴式住居とか高床式倉庫とか、歴史の授業では「式」が入って教えられた気がしますが、案内板には「式」無しで表示されています。

現在の山川日本史の教科書を見てみると、確かに竪穴住居、高床倉庫と記載されていました。

その高床倉庫も復元されています。

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柱にはネズミ返しという侵入を防ぐためのものも既に設置されていたといいますから、予想以上に発達した社会です。

このムラの周りには溝があったといい、さらには柵も廻らされていたと言います。

幅4m深さ2mもあったといい、復元されていますが、弥生時代から何のためにあったのでしょうか。

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土を掘り空堀を作って、その土で土塁を盛って、柵があったというこということですから、戦国時代の城と同じことを既に2000年前にはやっていたということになります。

竪穴住居の半数に焼失した跡があり、他のムラとの争いがあったからこうした防御が必要だったようです。

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縄文時代までの住居跡にはこうしたものは見かけませんから、稲の耕作が始まり集団で生活するようになると、耕地や水を巡りやはり争いが起こってしまうのでしょうか。

ここは現在は大塚・歳勝土遺跡公園として整備されていますが、この入口には守り神なのでしょうか、「都筑まもる君」がいます。

何を守っているか調べてみると、交通安全のためのようです。

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確かによく見ると、都筑交通安全協会と都筑警察署の腕章をつけています。

かつては「恐竜の森」という既に閉園したテーマパークにいたものが、何度もの引越しを経てここに来たのだそうです。

都筑まもる君が2000年前にいてくれれば、あのように空堀や土塁が不要だったことでしょう。

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↑この公園内にはこうした遺跡だけでなく竹林もあり、のんびりできるいいところですが、世界的には今も人々の争いが絶えません。

空想的平和主義は嫌いですが、世の中はなるべく平和平穏になってほしいとは思っています。

この公園はとても広いので、もう少し見ていきます。

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