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2017年2月

2017年2月26日 (日)

茅ヶ崎城址は横浜市都筑区にあり中世城郭の空堀や土塁が良好な状態で見られる

茅ヶ崎城と言われれば、普通の人なら茅ヶ崎市にあると思いますが、しかし、なぜか横浜市都筑区にあったという城です。

ここにも茅ヶ崎という地名なので、この名がついています。

さらに、そもそも横浜市に都筑区なんてあったかなとも思いましたが、1994年(平成6年)に発足した比較的新しい区だそうです。

港北ニュータウンのある辺りといえば、場所のイメージがわかる方も多いことでしょうか、港北区の一部だったはずです。

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横浜市営地下鉄のセンター南駅から歩車分離された自転車歩行者道を300~400mほど歩くと、小高い丘のようになっています。

↑ここが茅ヶ崎城址公園として中世城郭がとても良好な状態で保存されている所です。

南側の方から入口を探しましたが見当たらないので、西側に沿って行くと北に入口はあるようです

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↑さすが、中世の山城らしく、入口からすぐに急な階段です。

もう一カ所がメインともいえる入り口で、そちらはもう少し先にありスロープとなっていました。

そちらから少し上ると、広い空間が広がっていますが、そこは北郭です。

「くるわ」はこのように郭と書いたり、曲輪だったりしますが、ここでは郭のようです。

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ここには案内板があり、それによると、

茅ヶ崎城址は、空堀、郭、土塁などが良好な状態で残る貴重な中世城郭遺跡で、早渕川を北に望む自然の丘を利用して築城されているとあります。

14世紀末〜15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなり、16世紀中頃にはニ重土塁とその間に空堀が設けられましたとあります。

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築城には、それぞれの時期に相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代)や後北条氏(戦国時代)が関与していたと推定されています。

北郭、中郭、西郭、東郭があるようですが、北郭は比較的低い位置になります。

次に、空堀だったところの通路を通り、西郭に向かいます。

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↑折れ曲がった辺りに北側の城の入り口である虎口(小口)があったのではないかと推定されているようです。

虎口のところは狭い通路となっており、上から城の防御のための攻撃をしやすいようになっていました。

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この先を右に曲がると、西郭になります。

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2017年2月19日 (日)

瑞穂町の日光街道沿いの豪農の屋敷であったところは心を耕す館になっている

東京都西多摩郡瑞穂町の旧国道16号線(都道166号線)を通った時に「耕心館」という案内板を見かけ、以前から気になっていました。

どのようなところなのかと今回行ってみると、ここに面した道路には「日光街道」と書いてありました。

まずは、こちらが気になります。

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調べてみると、千人同心街道という、江戸時代に八王子千人同心が日光勤番のために整備された八王子から日光までの脇往還の街道でした。

「八王子千人同心」とは八王子に配置された幕臣集団で、甲州口つまり甲斐国から武蔵国への入口の警備と治安維持にあたっていました。

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日光にも行かなければいけなかったのでしょうか、大変っだったことでしょうう。

この辺りの箱根ヶ崎は宿場町だったようです。

↑そして、気になる耕心館は周囲に塀をめぐらし、豪壮な母屋と二棟の土蔵から成る邸宅で、屋敷森に囲まれ、武蔵野の旧家のたたずまいを残しています。

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ここは瑞穂町の社会教育施設で、豪農であった旧細渕家を町が取得して再整備しました。

母屋の母型は江戸時代末期の築造で、当時豪農として、その後は醤油醸造業、養蚕業が営まれていた細渕家がありました。

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↑現在は1階はカフェ「ストーリア」となっており、2階は演奏会・展覧会が行われる施設となっていて、この日はコンサートが開催されていました。

そのため、中には入れませんでしたが、2階は整備されたとはいえ、養蚕のための家屋構造も見られるといいます。

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↑左の離れ和室は、大正時代に増築されたもので、特に和室の書院障子の木組みなどは、大正時代の建具の実例として貴重なものといいます。

これらは昭和50年代にフランス料理店として改装されてしまいましたが、平成12年に瑞穂町が取得、耕心館として整備しました。

また、土蔵もあります。

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2017年2月12日 (日)

上谷戸川源泉の公園の水源探しと日本最大のドトールがあるコーチャンフォー若葉台

前回に引き続き、上谷戸親水公園から上谷戸川の上流に向かって歩いていきます。

ホタルを飼育していた橋のところから少しだけ川沿いには歩けなくなっています。

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でも、すぐ先で道路と水田との間に川の流れがあります。

北多摩地域では見ることのできない水田が、ここ南多摩地域にはあるようです。

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田植え後でもいいし、稲穂の実った刈り取り前でもいいし、いずれにせよ水がある時の方がより美しい光景だったことでしょう。

振り返って見てみてもいい景色です。

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そして、この上谷戸川の上流には池がありました。

しかし、いかにも人造の池という感じで、奥は芝生の急な斜面となっており、アースダムのようにも見えます。

西の方角となる上流側はきれいに整備された若葉台公園の「花の段々広場」となっています。

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平成初期の頃、10年くらいまで、私が車に乗るのが好きで、休日にはそこら中を意味なく走り回っていましたが、その時は、ここ若葉台駅周辺には京王線の車庫くらいしか無いというイメージでした。

こんな公園も無かったし、多摩ニュータウンは主に多摩市と八王子市のものであって、稲城市のイメージはあまりありません。

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現在はきれいな公園が整備されており、寒いながらも、やはり春のようで梅も咲いています。

調べてみるとやはり、稲城市の多摩ニュータウンは「ファインヒルいなぎ」として開発され、昭和63年には向陽台地区、平成7年には長峰地区、そして最も遅い若葉台地区は平成11年に街びらきが行われたとのことです

この池のどこかに水の湧き出ているところがないか探してみましたが、見つかりません。

池の水、つまり上谷戸川の源泉というか水源はどうなっているのでしょうか。

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2017年2月 5日 (日)

三連アーチ橋の下には三沢川支流の上谷戸川の親水公園やホタルのいる環境があった

稲城市若葉台、長峰の辺りは多摩丘陵のアップダウンが大きな地形となっています。

上谷戸大橋という大きな橋の下には、川と親水公園があるようなので行ってみました。

下から見上げると、三連の立派なアーチ橋となっています。

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上谷戸親水公園といい、「かさやと」と読むのだそうです。

町田市から稲城市、川崎市を経て多摩川に注ぐ三沢川は、北東に鶴川街道に沿って流れていますが、その支流として西から東へとこの上谷戸川が流れています。

まずは公園から数百メートル下流に向かい、三沢川との合流地点を目指しました。

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↑坂浜にある三沢川の橋ですが、この100mほど上流に合流点があるのですが、探し回ったところ民有地に囲まれているようで、残念ながら見ることができませんでした。

坂浜のこの辺りを歩き回ってみたのですが、いい意味で田舎の風景の広がるいいところです。

↓公園に戻るため、上谷戸川を鶴川街道から上流に向かって見ていますが、あまり親水公園のある川には見えません。

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しかし、そこからわずか200m先には、上谷戸親水公園はあります。

上谷戸川の周辺を自然観察や水遊びができる親水公園として、周辺地区と一体となった景観となるように整備し、平成17年度に完成したといいます。

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↑親水公園と言いながら、川に直接下りて行くことは出来ない構造なのでしょうか。

整備にあたって、自然形態を残した流路とし、護岸は自然石を使用した空積みとしており、動植物の生息空間に配慮しているといいます。

↓別に流路を作り、池や水車小屋で水に親しめるようになっていました。

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2.2ヘクタールのさほど広い公園ではありませんが、さらに上流にも川沿いに歩いて進めるようなので行ってみることとします。

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