小金井市にある浴恩館公園は紅葉も美しく下村湖人も関わる文化財センター
紅葉の美しい季節になりましたから、花小金井駅から歩いて都立小金井公園に行ってみることとしました。
しかし、相変わらずの人出の多さにちょっとうんざりして、小金井公園は北から南に素通りして、玉川上水を渡り少し進むと、すぐに雰囲気の良さそうなところがありました。
↑浴恩館公園といい、「浴恩館」を中心とした公園です。
浴恩館とは昭和3年に京都御所で行われた昭和天皇即位大嘗祭の際の、神職の更衣所を(財)日本青年館が譲り受けて、ここに移築したものといいます。
浴恩館では青年団のリーダーを養成するために、後に小説「次郎物語」で有名になる下村湖人が所長となっていました。
現在は、庭を含めて小金井市の公園となっており、地図を見ると敷地の北と南に池があり、その間が川のようになっているようです。
↑しかし、北の池は枯れていて、ほとんど水の流れはありませんでした。
敷地内には、多摩川水系野川の支流である仙川が流れており、水はこの仙川に流れていくのでしょう。
↑この橋は次郎橋と名付けられています。
次郎物語は5部からなる、主人公の次郎が幼少から青年となるまでの成長の物語です。
↑その仙川の上流方面を見ていますが、仙川自体にも水の流れはありませんでした。
特に第5部は、湖人の浴恩館での実際の教育の実践に基づいて書かれているとのことです。
私の頭の中では、「浴」という字から温浴が浮かび、温泉がイメージされたところにこの浴恩館の建物を見ると、温泉旅館かなと感じてしまいました、すいません。
↑この建物が昭和6年からある浴恩館で、平成5年からは小金井市の郷土資料を展示収蔵する文化財センターとして利用されており、市史跡となっています。
2020年東京オリンピック・パラリンピックにおける国立競技場建替においても、一緒に建替されることで一躍有名になった「日本青年館」の所有でしたが、この建物は青年団での活用としての維持が難しく、昭和40年代には小金井市に売却されたようです。
現在は文化財センターとしてすっかり改装され、内部には先土器時代、縄文時代から現在に至る様々な展示がありました。
↑内部に入ると渡り廊下があり、その向こうには当時の寮である南寮もありますが、ここは改装されていないようです。
浴恩館は昭和6年から全国の青年団の指導者層が集まり、寝食を共にして人間形成をする講習所でした。
部屋の中を見ると、なぜか懐かしさを感じました。
私もそこまで古くはないのですが、古き懐かしき昭和初期の香りがするところです。
おじいちゃんおばあちゃんのいた、父母の田舎の実家を思い出させるところでした。
また、この渡り廊下から見た外の景色、南側の池の周囲がまた美しい。
こちらの池には水がありました。
外に出て改めて景色を見てみます。
小金井公園と違って、人出も少なくいいところです。
敷地内にあった「空林荘」という建物は、浴恩館の講師の宿舎として使われ、また下村湖人が次郎物語の構想を練ったところでったということで、市史跡ともなっていましたが、残念ながら平成25年2月23日に全焼してしまったということです。
そして、江戸時代の1781年(天明元年)に建てられたとみられる稗倉という建物も敷地内にはありますが、こちらは稗などの穀物の飢饉備蓄のための倉庫でした。
これは市内唯一のものですが移築復元されたもので、名主が村人のために作ったといいます。
ところで、浴恩館というネーミングがどういう意味なのか、ちょっと疑問でしたが、思った以上に畏れ多いことに、皇室の御恩に浴するという意味だそうです。
さらに、敷地内にもう一ついい感じの高床式のような建物がありました。
こちらは何の案内板もありませんから、特に由緒とかはない、単なる文化財センターの倉庫なのでしょう。
それにしても、ここに公園や様々な建物があるこのような場所があるとは知りませんでした。
この後、再び小金井公園を通り抜け、花小金井駅まで歩き、11541歩、7.5kmの散歩でした。
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