いつのまにかロマンスカーは止まるし、ららぽーと海老名も開業もして大きくまちが変貌している海老名
海老名というと、東名高速の海老名サービスエリアがパッと頭に浮かぶほど有名ですが、鉄道の海老名駅の方はイメージが浮かびづらい感じでした。
特に、JR相模線の海老名駅の周囲には何にもないという印象でした。
相模線には昔から海老名駅があったのではなく、国鉄分割民営化直前の昭和62年(1987年)3月に海老名駅が開業したのです。
↑その何もなかったはずの駅前に、大きな「ららぽーと海老名」ができており、びっくりしました。
この辺り16haは、元は開発することができない市街化調整区域でしたが、平成24年12月に市街化区域に編入され、鉄道用地を除く14.1haの区域を対象に、海老名駅西口土地区画整理組合が行われてきました。
そのうち約3haが大型商業施設として、平成27年10月にららぽーと海老名として開業しました。
このJR相模線の海老名駅と小田急線・相模鉄道の海老名駅とは200mほど離れています。
幅4mの屋根なしの通路はありましたが、これが同じく平成27年10月に新しい「海老名駅東西自由通路」が完成しています。↑
幅も12mと広くなり屋根も付けられましたし、一部、動く歩道もありました。
この自由通路の周囲はJR相模線と小田急線に囲まれた広いエリアですが、ここでも再開発が予定されています。
3.5haの敷地で小田急電鉄の所有地のようで、同社による再開発が平成27年8月に発表されています。
住宅エリアと賑わい創出エリアにわけて計画されています。
↑JRから小田急線に向かって左側(北東側)には商業施設とオフィスが計画されています。
この下の写真の風景を見ていたら、なんか10年ほど前の記憶が頭の片隅によみがえってきます。
↓右側(南西側)にはサービス施設と高層分譲マンションが計画されています。
茅ヶ崎海岸から車で帰るため、当時は圏央道も開通していないので、県道46号線相模原茅ヶ崎線(産業道路)を北上して、この辺りを通りました。
すると、道が急に狭くなり、何もない田んぼの真ん中で踏切を渡った記憶が残っています。
あれがこの海老名だったのでしょうか。
あの時の印象では、鉄道も何本か通っており、東の方にはビルも見えているけど田んぼが多くて、田舎か都会かわからない、不思議なまちだなと思っていました。
その、既に開発されていた海老名駅東口エリアを見てみます。
↑小田急線と相模鉄道の海老名駅東口駅前は、ペデストリアンデッキもあります。
↑少し右に視線を移しても同様に、ここは「ビナウォーク」として、小田急電鉄により2002年(平成14年)に開業した大型商業施設が広がります。
VINA NATURE(自然礼拝)からビナと名付けたとのことで、海老名ともかけたのでしょう。
下は駅前広場としてバス乗り場などがあり、上は歩行者通路となっていて、見事に歩車分離されています。
↑ここにはなぜか五重塔、いや七重塔がありました。
商業施設内の広場と思いきや、ここは海老名中央公園という市立の都市公園です。
このビナウォークのできる前の1992年(平成4年)から、七重塔が設置されています。
このすぐ近くに相模国分寺跡がありますが、そこに奈良時代には65mの高さで建てられたといわれている塔の約3分の1である21.97mの模型が建てられています。
海老名駅前は、小田急電鉄により「ビナフロント」という商業施設と賃貸マンションが2014年(平成26年)に建てられ、その先には2004(平成16年)年には「ビナマークス」という分譲マンションが建てられていました。
↑ビナフロントを通り、2棟のビナマークスの間を抜けていくと、ショッパーズプラザというダイエーの入店している建物にも、こうして2階から横断歩道を渡らずに行くことができます。
この辺りを、田んぼの中から見ていたのでしょうか。
↑この海老名駅の周りには小田急線の車両基地があり、ロマンスカーも止まっています。
これまではロマンスカーは海老名駅には止まりませんでしたが、今年2016年(平成28年)3月のダイヤ改正から、海老名駅にも特急ロマンスカーが停車するようになりました。
時刻表を見てみると、すべてを止めるわけではなく、相模大野駅と本厚木駅に停車するものと、海老名駅に停車するものに分けているようです。
それにしても、小田急電鉄のここ最近の海老名への力の入れようが強く感じられます。
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