乃木坂は明治時代までは別の名前の坂だったことも、乃木坂46の名前の由来も知らなかった
乃木坂といえば、私としては♪ちょっぴり寂しい乃木坂♪の「別れても好きな人」が思い浮かびます。
その他、♪それでも乃木坂あたりでは♪の「メランコリー」でしょうか、ちょっと古いかな。
でも今の世代では、当然「乃木坂46」でしょう。
検索して「乃木坂」そのものについて調べようと思っても、「-46」を付けないと、乃木坂46のことばかり上位にきます。
地下鉄千代田線の駅名にもなっている乃木坂ですが、港区の住所としての地名にはこの名はありません。
赤坂八丁目と九丁目の間の東から西に登って行くこの坂の名称として、そしてこの周辺の呼び名としては定着しています。
でも、前々からこの名前だったのではなく、明治時代までは幽霊坂と呼ばれていたようです。
ところで、まずは、乃木坂46は何で「乃木坂」という地名が付いているのかも気になります。
最終オーディションが、このすぐ南にある外苑東通り沿いの「SME(ソニーミュージックエンターテイメント)乃木坂ビル」で行われたからだそうです。
そして「46」は、AKB48よりも人数は少ないけれども負けないという意気込みが込められており、どちらも総合プロデューサー秋元康さんのアイディアのようです。
私が知らなかっただけで、ファンの間では有名なのでしょう。
↑外苑東通りはこの乃木坂よりも高所を通るため、坂の道はトンネルとなっています。
そして、「乃木坂」という名前は、明治時代の日露戦争で有名な乃木希典陸軍大将が明治12年からここに住んでいたことに由来するようです。
家があったからといっても、坂の名称にもなるとはどんな家だったのか気になりますから、見に行きました。
↑外苑東通りから敷地内の屋敷らしきものが見えます。
ここは港区立乃木公園として開放されています。
煉瓦造りの家なのかなと思ったら、正面に行くとこれは馬を飼うための馬舎でした。
乃木氏は馬を愛していたようで、何頭かの馬が飼えるようになっています。
ご本人が住んでいた方の建物はどんなものなのか気になります。
↑すぐ隣に、明治35年に建てられた、こちらは木造の乃木邸も保存されていました。
フランス軍隊の建物を模して、自らが設計したとのことで、中には入れませんが周囲には部屋の中が見えるように通路が設置されています。
坂のある斜面に建てられているため、裏から見ると、地下1階部分が地表面に接しており、2階建てが3階建てのように見えます。
この敷地は本人の遺言により、当時の東京市に寄付されたため現在でも都有地ですが、昭和25年からは港区により管理されています。
明治天皇が崩御した際に、乃木夫妻は自刃されたということです。
それを受けて、当時の赤坂区議会がこの坂の名称を乃木坂としようと大正元年に議決したとのことです。
よって、大正時代からこの坂は「乃木坂」となったようです。
↑さらに、敷地には乃木神社が建立されました。
結婚式場としても利用される乃木会館もあります。
神社内には「さざれ石」がありました。
君が代の一節、♪さざれ石の巌(いわお)となりて♪のさざれ石です。
子どもの頃から歌詞は知っているし歌ってもきましたが、あの頃はあまり意味は理解していませんでした。
さざれ石は小さな石のことで、長い年月をかけて小石の隙間に炭酸カルシウムなどが埋まり、1つの大きな岩に変化するということです。
乃木坂沿いにはジャニーズ事務所があり、駅近くにはSME乃木坂ビルもあるところですが、六本木のすぐ近くだというのに、歌の歌詞通り、「ちょっぴり寂しい乃木坂」という感じもあり、いいまちです。
↑さらに、乃木邸の少し北には衆議院副議長公邸もあります。
これも、永田町から離れており、ちょっと不思議なところにあるなという印象です。
衆議院議長は大島氏で、副議長は誰だったかなと、思わず調べてしまいました。
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