風が通り抜ける西武プリンスドームで感じる建築物らしくない不思議さ
西武プリンスドームに久しぶりに行ってきました。
ここは密閉型ではなく、半屋外型ともいえる自然の風が通り抜けるドーム球場です。
西武球場前駅から歩いて行くと、見かけは普通のドーム球場のように見えます。
観客の入口はスコアボード、バックスクリーン裏にあり、1塁側と3塁側の2つの入口に分かれて入場することとなります。
2008年まではホームチームである埼玉西武ライオンズは1塁側でしたが、2009年からは3塁側となっています。
入るとすぐ外野自由席ですから、こちらの観客に一番便利になっており、内野指定席、特にバックネット裏に行くためには、球場の外周をぐるっと半周回らなければ行けません。
チケットの料金が高い人ほど、多く歩かなくてはいけないというちょっと不思議な構造となっています。
↑こうして外野席からライト側、1塁側を見てみると、外周部のスロープが本塁方向に向けてだんだん高くなっているのがわかります。
登り坂スロープを歩いて行き、3塁側内野部分に入り、後ろを振り返ってみると、観客席のグラウンド面までの高さというか深さからして、結構な坂であったことが分かります。
さらに内野席の外周通路を行けるところまで行き、グラウンド面を見ると、かなり高い位置になっています。↓
やはり、通路からグラウンドまでは相当の距離と高さがあることがわかります。
また、この球場の観客席数は外野よりも内野席のほうがずっと多いことがわかります。
内野席は25000席ほどであるのに対し、外野席は5000席ありません。
ここまで来れば、ドームの外側から見れば、さぞや高い位置になっているだろうと思われますが、実際に通路から外を見てみると、予想に反してすぐ目の前が地面で、周りとの高低差はありません。
私が前々からこのドームに対して感じていた違和感というか不思議さが何だったのか、やっとわかりました。
球場にあるスタジアム自体の構造物が存在しないことに不自然さを感じていたのです。
こうして中にいると、スタンドの構造物があり、外からはそれが見えていることを想像します。
ドームとしての屋根があるかどうかに関わらず、球場には外から見れば、スタンドの高い壁があるはずなのに、ここにはそれがないのです。
3か月ほど前に、おとぎ線跡を歩く会に参加して、外からこの西武プリンスドームを見た時の様子は、こんな感じです。↓
上の写真右上にあるバックネット裏のちょっと高い部屋(貴賓席?)は、下の写真でも外からも見えますが、一般の観客席部分は存在していないかのように外からは見当たりません。
中から見れば、あんなに高い位置にいるはずなのに、外から見るとあるべき、スタンドの構造物がないのです。
何でかと調べてみると、狭山丘陵の斜面であった敷地を活かして設計されたからのようです。
スタジアムの構造物を建設するのではなく、逆にグラウンド面を掘り下げて建設されたということです。
外周通路部分がこの辺りの土地の地面の高さだったということですから、だいぶ土を掘り出したことでしょう。
さらに、1999年に西武ドームが建設された時の話だと思うと違うようで、1979年に西武ライオンズ球場ができた時の話だそうです。
記憶の片隅に、1985年から88年にかけて後楽園球場の隣に東京ドームを建て替えている様子が、地下鉄丸ノ内線の車窓から見えていた印象があるため、西武球場と西武ドームも建て替えにより別の位置にあるとつい思ってしまいます。
でも、西武ドームは西武ライオンズ球場と同じ場所で、そこに屋根をつけたものなのです。
↑今いるここは、実は地下だったということですから驚きです。
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コメント
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はじめまして!トシカズと申します。西武ドーム、行ったことないです。
かなり掘ったのですね。不思議な一面が発見できました!
応援していきます。
投稿: トシカズ | 2016年7月25日 (月) 21時41分
トシカズさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
また、返答が遅くなって申し訳ありませんでした。
確かに、かなり深堀したのだなあと驚きました。
投稿: すずた | 2016年9月11日 (日) 19時54分