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2016年7月 3日 (日)

広大な湿地帯を灌漑のため南北朝時代に整備したという伊佐沼

いつものように地図を見ていると、川越市の国道16号線の少し北側に、比較的広い水面がありました。

伊佐沼といい、自然沼としては埼玉県最大の広さだそうです。

wikiでは、関東でも印旛沼に次ぐ広さとありましたが、印旛沼の順位がわからないので関東で何番かはわかりません。

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伊佐沼は南北方向に1300m、東西方向に300mほどの長さがあり、行って見てみると予想より大きな沼でした。

↑まず、北側から見てみます。

湖といったほうがいい感じです。

湖と沼の違いを調べてみましたが、正式には定義はないようです。

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一般的には、水深5m未満で水草の影響のあり得るものが沼、5m以上で水草の影響がないものが湖と区分されることがあるようです。

↑北側の水面にはハスがあって、これを見るための橋も架けられていて、花を見てまわれるようになっています。

ちょうど花が咲き始めた時期で、ポツリポツリと咲いています。

古代蓮があるとのことですが、花の違いがわからないので、この咲いているのが古代蓮なのかは不明です。

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古くはこの辺りは旧入間川の乱流により巨大な湿地帯で、ここには川跡沼があったそうです。

約600年前の南北朝時代に水田灌漑のため、溜池として整備されました。

これを行ったのが伊佐氏だったので、伊佐沼という名が付いたようです。

さらに、昭和の初めから土地改良事業が行われ、周囲の水田への排水路が整備されました。

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伊佐沼の水は、北の方から入間川の水を取り入れ、伊佐沼代用水路を通って流れてくるように整備されました。

戦前までは伊佐沼はさらに広く、2倍の広さがあったそうですが、食料増産のため干拓されました。

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↑北側のこの用水路から伊佐沼に水が流れ込みます。

こちらの方角は干拓されるまでは沼だったのでしょう。

次に、伊佐沼の周囲で水路の様子をぐるっと見て回ります。

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↑まず、西側には水門があり、横から中の仕組みもチラッと見えます。

この水門から出た水は、先程の伊佐沼代用水路のもう一本の水路に流れ込みます。

意味ないようにも感じられますが、大雨などの時の洪水対策でしょうか。

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さらに南に行くと、西に向かって、川へと水が流れ出るところがあります。

↑この洗堰の向こうは、あまり川に見えませんが、九十川になります。

つまり、九十川の源泉が伊佐沼ということになりますが、昭和初期までは伊佐沼は新河岸川の源泉だったそうです。

河川改修により、現在とは違う川の流れとなっています。

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↑南の端から北を見渡すと、北岸は遥か遠くです。

沼の西側には伊佐沼公園があり、フィールドアスレチックができるようになっており、数多くの家族連れで賑わっていました。

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↑東側にも排水路があり、周辺の水田へと水を流します。

土地改良されるまでは水はけの悪いところで、大雨などで洪水もあり大変だったのでしょうが、今は排水路と区画された水田が整備されています。

水田が広がっており、田植え後ののんびりしたいい景色です。

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私の家のある多摩地域は水田がなく、畑ばかりなので、こうした風景が新鮮に感じられます。

600年も前から、こうした灌漑の努力が行われてきたとは、改めて感心させられます。

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