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2016年7月

2016年7月31日 (日)

いつの間にか西武球場は西武ドームになっていたが、いつどのように屋根を付けたのか

前回は、1999年にできた西武プリンスドームに対し、なんとなく感じていた不自然さとは何だったのかについて書きましたが、比較的近くに住んでいることもあり、何回も来ています。

一方、1979年にできた西武ライオンズ球場は、当時は住居が別のところだったためか、1度だけしか行ったことはありませんでした。

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↑ドームになる前の西武ライオンズ球場。(写真は鹿島建設HP「特集:完成した西武ドーム」より)

東京ドームのように後楽園球場の近隣に建て替えたのではなく、西武球場にドーム屋根を付けて西武ドームにしたといいます。

その工事をしていたはずの時期は、西武沿線に住んでもいなかったし、プロ野球も見ていなかったので、いつの間にか西武球場が西武ドームに変身したかのような印象です。

でも、どうやってそんな大工事をしたのか不思議なので、調べてみました。

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↑ドーム屋根を付けるといっても、柱を立てて、そこに軽く柔らかい膜を張ればいいわけではなく、重たそうな金属屋根もあります。

プロ野球シーズン中である4月から10月には球場として使用するので、実際に工事が行えるのは年4か月足らずなので、シーズンオフ2回に渡って工事を行いました。

1回目の工事終了後、2回目の工事までの間は、観客が野球を観戦できるようにしたといいます。

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↑8か月のみでは厳しいので、出来る準備はシーズン中にもしたので、1997年7月には外周の杭打ち作業は始まったといいますから、外野席と内野席の境目のこの売店辺りは当時は工事現場だったのでしょう。

97年シーズン終了後、8000トンもの金属屋根部の鉄骨建て、ステンレス製の屋根葺き工事が行われました。

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↑98年シーズンは、観客席を覆う金属屋根はあるけれども、グラウンド部のドーム膜屋根はないという、こんな状態で試合を行いました。(写真は鹿島建設HP「特集:完成した西武ドーム」より)

なぜ、あんな重そうな金属屋根があるのかも気になりました。

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2016年7月24日 (日)

風が通り抜ける西武プリンスドームで感じる建築物らしくない不思議さ

西武プリンスドームに久しぶりに行ってきました。

ここは密閉型ではなく、半屋外型ともいえる自然の風が通り抜けるドーム球場です。

西武球場前駅から歩いて行くと、見かけは普通のドーム球場のように見えます。

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観客の入口はスコアボード、バックスクリーン裏にあり、1塁側と3塁側の2つの入口に分かれて入場することとなります。

2008年まではホームチームである埼玉西武ライオンズは1塁側でしたが、2009年からは3塁側となっています。

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入るとすぐ外野自由席ですから、こちらの観客に一番便利になっており、内野指定席、特にバックネット裏に行くためには、球場の外周をぐるっと半周回らなければ行けません。

チケットの料金が高い人ほど、多く歩かなくてはいけないというちょっと不思議な構造となっています。

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↑こうして外野席からライト側、1塁側を見てみると、外周部のスロープが本塁方向に向けてだんだん高くなっているのがわかります。

登り坂スロープを歩いて行き、3塁側内野部分に入り、後ろを振り返ってみると、観客席のグラウンド面までの高さというか深さからして、結構な坂であったことが分かります。

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さらに内野席の外周通路を行けるところまで行き、グラウンド面を見ると、かなり高い位置になっています。↓

やはり、通路からグラウンドまでは相当の距離と高さがあることがわかります。

また、この球場の観客席数は外野よりも内野席のほうがずっと多いことがわかります。

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内野席は25000席ほどであるのに対し、外野席は5000席ありません。

ここまで来れば、ドームの外側から見れば、さぞや高い位置になっているだろうと思われますが、実際に通路から外を見てみると、予想に反してすぐ目の前が地面で、周りとの高低差はありません。

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2016年7月17日 (日)

関東地方が水不足というので相模ダムの水量を見に行ったが筋違いだった

関東地方の水不足は深刻な状況にあるといいます。

大規模なダムというと大抵は山奥の交通不便なところにあるものですが、電車で気軽に行けるところに相模ダムがあります。

JR中央線相模湖駅から歩いてすぐです。

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高尾駅までは電車の本数も多いのですが、一駅先の相模湖駅まで行く電車は一気に少なくなります。

↑観光地の雰囲気ですが、雨交じりの蒸し暑い日で、人影はまばらです。

しかし、水量は十分にあるように見受けられます。

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↑山に雲がかかる景色は幻想的なものです。

対岸に渡り津久井湖方面に向かう県道の相模湖大橋から200mほど下流側に、相模ダムがあります。

相模ダムによって相模湖ができたということになります。

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相模川は富士五湖の一つである山中湖を源泉とし、山梨県から神奈川県にかけて109kmに渡って流れる神奈川県最大の1級河川で、相模ダムの歴史は古く、1938年(昭和13年)に計画されたものです。

戦中、戦後を乗り越えて、完成は1947年(昭和22年)だったといいます。

東京都八王子市から高尾山のある小仏トンネルを越えると、山梨県かと思いますが、ここは旧相模湖町、現在は相模原市緑区で神奈川県です。

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堤高58.4m、堤頂長196mの重力式コンクリートダムで、貯水量は6320万立方メートルです。

我が国最初の河川の総合開発事業で、また神奈川県が全国に先駆けて行った広域的な水源開発事業として、京浜工業地帯の発展や人口増加による水供給増に対応してきました。

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↑天端は自動車は通れませんが、歩いてなら通行することが可能となっています。

古いダムなので観光用には造られていませんから、宮ヶ瀬ダムのようなインクラインやエレベーターはありません。

下を覗き込むと、やはり怖いです。

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貯水量は豊富でしたが放流はしておらず、チョロチョロと水が流れ出ているだけでした。

このダムは発電にも利用されており、相模発電所があり31000kwの発電能力があります。

また、下流で河川として必要な水量や水道用水に必要な水量を確保する役割も果たしています。

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さらに、見てまわりましょう。

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2016年7月10日 (日)

武蔵野三大湧水池の一つである善福寺池の湧水を探しに

善福寺池は、吉祥寺に近い井の頭池、石神井公園の石神井池、三宝寺池とともに、武蔵野三大湧水池の一つといいますが、近くに駅が無いせいか、割と訪れる人が少なくていいところです。

杉並区にありますが、JR中央線西荻窪駅と西武新宿線上石神井駅の中間に位置します。

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善福寺公園という都立公園になっています。

善福寺川は湧水量も多く、かつては神田上水の補助水源としても利用されるほど澄んだ水だったといいます。

善福寺川の源泉探しとしては、いきなり終着点ですが、上池と下池というストレートな名前の二つの池に分かれていますから、上池の方が源泉ということになるでしょうか。

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↑上池の北西の端には、「善福寺川源流 遅野井湧水の碑」が立っています。

小さな滝のようになっていて、水が流れ出ていますが、これは往時の湧水の形を再現したものです。

残念ながら、現在は湧水ではなく、地下ポンプで吸い上げているといいます。

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1189年のことですが、源頼朝が奥州征伐の後、ここに立ち寄り、干ばつで軍勢が水を欲していたところ、7本の矢で土を突いて水が湧き出た。

それ自体のことか、その水の出方かわかりませんが、とても遅かったから、この遅の井という名がついたといいます。

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↑この上池に沿っては東京都水道局の杉並浄水場があり、23区内では井戸の湧水を利用しているのはここだけだそうです。

やはり、地下には湧水のある所のようです。

武蔵野三大湧水池はいずれも標高50m地点にあるそうで、以前の東京はこの高さに地下水の流れがあったようです。

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ボート乗り場もありますが、休日だというのに、石神井池や井の頭池のように混み合っていないところがいいです。

あまり源泉らしいところが見つからず、ちょっと残念に思いながら下池の方にも寄ってみましたが、なんと、こちらの方に湧水らしき所がありました。

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2016年7月 3日 (日)

広大な湿地帯を灌漑のため南北朝時代に整備したという伊佐沼

いつものように地図を見ていると、川越市の国道16号線の少し北側に、比較的広い水面がありました。

伊佐沼といい、自然沼としては埼玉県最大の広さだそうです。

wikiでは、関東でも印旛沼に次ぐ広さとありましたが、印旛沼の順位がわからないので関東で何番かはわかりません。

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伊佐沼は南北方向に1300m、東西方向に300mほどの長さがあり、行って見てみると予想より大きな沼でした。

↑まず、北側から見てみます。

湖といったほうがいい感じです。

湖と沼の違いを調べてみましたが、正式には定義はないようです。

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一般的には、水深5m未満で水草の影響のあり得るものが沼、5m以上で水草の影響がないものが湖と区分されることがあるようです。

↑北側の水面にはハスがあって、これを見るための橋も架けられていて、花を見てまわれるようになっています。

ちょうど花が咲き始めた時期で、ポツリポツリと咲いています。

古代蓮があるとのことですが、花の違いがわからないので、この咲いているのが古代蓮なのかは不明です。

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古くはこの辺りは旧入間川の乱流により巨大な湿地帯で、ここには川跡沼があったそうです。

約600年前の南北朝時代に水田灌漑のため、溜池として整備されました。

これを行ったのが伊佐氏だったので、伊佐沼という名が付いたようです。

さらに、昭和の初めから土地改良事業が行われ、周囲の水田への排水路が整備されました。

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伊佐沼の水は、北の方から入間川の水を取り入れ、伊佐沼代用水路を通って流れてくるように整備されました。

戦前までは伊佐沼はさらに広く、2倍の広さがあったそうですが、食料増産のため干拓されました。

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↑北側のこの用水路から伊佐沼に水が流れ込みます。

こちらの方角は干拓されるまでは沼だったのでしょう。

次に、伊佐沼の周囲で水路の様子をぐるっと見て回ります。

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