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2016年6月

2016年6月26日 (日)

残堀川の源泉は探しに行くまでもなく狭山池ということなのか

多摩地域を南北に流れている残堀川の謎を探ってみましたが、今度は川の源泉を探してみたいと思います。

といっても、残堀川は瑞穂町の旧国道16号線(都道166号線)の辺りまで河川改修工事が進められていましたし、そこには狭山池がありますから、そこが源泉でしょう。

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↑ここが残堀川の始まりで、背中側が狭山池です。

池とともに狭山池公園として整備されています。

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歴史的には、江戸時代に残堀川の水を玉川上水の助水としようとした時、窪地であることから地理的に孤立していた狭山池の水を、掘割を作って残堀川に繋いだということです。

もともと、残堀川は狭山丘陵からの渓水が流れているものだったそうです。

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↑案内図の上の方から残堀川が流れ出ますが、下の方に少し水路があり、丸池とありますので、行ってみます。

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↑どうやら、その丸池の奥にはさらに流れ込む水路らしきものがあります。

探りに行きたいのですが、狭くて通れそうもありません。

大きく南側を迂回して行ってみますが、隣には東京都水道局の浄水場があり、水源らしきものもあります。

やはり、この辺りは湧水のある場所なのでしょうか。

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↑右側の林が丸池のあるところですが、そこから左手前に向かって水路らしきものがあります。

そのすぐ先は、JR八高線の線路があり、そこを抜けるための水路のトンネルの入口は確認できますが、その手前には水路らしきものが見当たりません。

奥にある林が丸池です。

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丸池からほんの100mほどで、このルートはここで捜査終了ですが、先程、狭山池から丸池に向かう途中、もう一つ流れ込む水路がありましたので、そちらの上流を目指します。

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2016年6月19日 (日)

多摩地域を不自然に南北に流れる残堀川の謎を探ってみる

残堀川は、瑞穂町から武蔵村山市を通り、立川市、ちょっと昭島市、再び立川市から多摩川に流れ込んでいますが、以前から不思議に思っていることがありました。

東京都区内や北多摩地域内を流れる川は、北東に流れて荒川に合流するか、南東に流れて多摩川に合流するかに分かれます。

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↑東京都建設局HP「東京都河川分布図」より

江戸時代には玉川上水が、多摩川の水を江戸市中に引くために開削されましたが、それはこの東京の分水嶺、分水界というか、西東京の尾根筋に作られました。

この件には興味があり、3年3か月ほど前にも自転車で調べてまわったことがあります。

残堀川は不思議なことに、この話の例外な存在なのです。

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この残堀川は玉川上水と交差しています。

玉川上水が分水界なら、それを横断する川は無いはずだというのに…

↑右から左に残堀川は流れており、奥から手前に向けて玉川上水は流れています。

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そのために、わざわざ残堀川の下を玉川上水が伏越すという、川の立体交差化がされています。

↑玉川上水上流から下流を見ると、こうして水の流れは地下に入っていきます。

そして、残堀川が左から右方向に流れていくため、道路にも橋が架かっています。

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ふせこし工法はサイホンの原理を応用しているそうです。

下流部から上流側を振り返ると、こうして水が出てきます。

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3年ちょっと前に玉川上水の取水口を目指して走り、ここを通った時には、説明板はまだ無かったように思われますが、この日にはあって組みもわかりました。

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明治時代には今とは逆で残堀川が下を潜るように工事されていたようです。

また、そこには重要なこともありました。

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やはりというべきかもしれませんが、驚くべきことが何気なく書かれていました。

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2016年6月12日 (日)

中井駅の地下改札口化が完了したので行ってみたら、やはり予想通りの結果?

1年前に見に行った西武新宿線中井駅の駅舎改良工事が進捗し、地下改札口が6月5日にできたということなので、再び見に行きました。

今まで地上改札口のあった辺りには、地下に下りるエレベーターの入口があります。

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完成予想パースによると、ここには何らかのガラス張りの建物が描かれています。

カフェのようにも思われますが、そうであればうれしいです。

以前には分煙がされていない店しかなく困ったことがありましたから。

少し線路寄りに地下に下りていく通路ができました。

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↑右側のホームとの間にも小さな建築物ができるようですが、これはトイレでしょうか。

駅改良工事が完了すると、先程のエレベーターへの通路もこちら側になるようです。

これまで、中井駅は下り線ホーム横に地上改札口があったため、こちらは平面で車椅子等でも行き来できましたが、上り線ホームに行くには、改札内の階段を通るしかありませんでした。

その階段の壁には、車いす用階段昇降機がありましたが、駅員さんに頼まなければ利用できない大がかりなものでしたので、今後はエレベーターができれば、ベビーカーや輪行する自転車などでも便利になります。

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↑階段とエスカレーターがあり、その先に改札口ができました。↓

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改札内は、下り本川越方面に行くには正面に階段とエスカレーターがあり、上り新宿方面に向かうには右に進むこととなります。

これと並行して、新宿区による南北自由通路設置工事も行われています。

こちらはまだ工事中ですが、今年度内の完成の予定です。

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↑改札内通路から見てみると、右側が自由通路になります。

開通すれば、ガラス張りで互いに見通せるようになるのでしょうか。

これまでは上りホームと下りホームを跨線橋で渡る必要があり、上りホームでは階段は東側と西側に分かれていましたが、新たな地下通路と上りホームを結ぶ階段とエスカレーターは1つになりました。

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上りホームはかなり狭かったため、この階段はこれまでの敷地よりも北側にはみ出して設置することとしたようです。

こちらにもエレベーターがつきました。

これまでの階段はどうなったのかと、見てみてびっくりです。

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2016年6月 5日 (日)

三重の堀と土塁が築かれていた難波田城と難波田氏がいた南畑

埼玉県富士見市には、水子貝塚公園からは2kmほどの距離に、埼玉県指定旧跡の難波田城跡もあります。

ここの地名は南畑で、こちらも難波田城公園として整備されています。

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↑入口にある案内図が2つありますが、左は視覚障碍者に配慮してあるそうです。

難波田城は鎌倉時代からあったようですが、当時は小規模なものだったものが、室町時代に大規模なものに改造されたようです。

荒川低地の一角に築かれた平城で、50000平方mの規模があったと推定されますが、そのうち17000平方mが公園となっています。

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↑東側の入口から入ると、復元された木橋がありますが、橋の城側の幅は1.8m、外側の幅は2.7mとなっています。

内側の馬出し曲輪から攻めだしやすく、逆に敵からは攻め込みにくい仕組みだったようです。

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このように水堀と土塁がありますが、江戸時代の絵図によると、三重の堀に囲まれていたとのことです。

本城門といって、本城のあった曲輪の入口の門で、冠木門という形です。

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平安時代終わり頃には、武蔵国には武蔵七党という武士団が活躍していましたが、その一つ、村山党の中心に金子氏がいました。

鎌倉時代の承久の変で討ち死にしますが、その活躍により子孫に対し、この地、南畑に所領が与えられました。

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本城のあったところは宅地化されており、碑が立っていますが、そのすぐ後ろは住宅となっています。

この地名が南畑ということで難波田氏と名乗るようになったといいます。

その後、難波田氏にも難波田城にも、いろいろ苦難はあったようです。

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