海からずっと離れた埼玉県富士見市にある国指定史跡の水子貝塚
埼玉県富士見市に水子貝塚公園というところがあるようなので、見に行きました。
かなり暑い日だったこともあり、自転車ではなく車で行ってしまいました。
水子というのは地名なのですが、ここは国史跡に指定されており、公園として整備されています。
↑入口から入ろうとすると、貝塚よりも当時の住居らしきものがいくつか見えてきます。
この公園のあるところは、竪穴住居内に残された小貝塚が環状に分布する、縄文時代前期中頃(約6000~5500年前)の集落跡であることが、発掘調査により明らかとなっています。
復元された竪穴住居が復元されており、この15号住居跡のように中に入れるものもあります。
竪穴住居とは、地面を掘り込んで床として、柱を立てて屋根をつくり、周りを土で盛って水を防ぐ仕組みになっています。
夏涼しく、冬暖かいといいますが、中に入る前はあまりそのようには思っていませんでした。
真っ暗な中に入っていくと、当時の人々の暮らしの様子が再現されていたので、声を上げそうになるほどびっくりしました。
しかし、この日は30℃近くに気温の暑い日ですが、中はひんやりしていました。
写真では、見やすいように明るくしていますが、実際にはもっとずっと暗いです。
↑屋根を裏側から見ていると、意外としっかりした造りになっていたようです。
柱だけの骨組みも見られますが、この立柱で全体の重さを支えるのですから、縄文時代から結構な建築技術水準があったのでしょう。
竪穴住居の復元されたものは、このようにいくつもあります。
ところで、貝塚はどこにあるのでしょうか。
↑この地図の上の方に、何箇所もポツリポツリとある、丸く囲まれているところが、貝塚のあったところだそうです。
貝塚はゴミ捨て場だと習ってきたので、広いところに一か所なのかと思っていましたが、違うようです。
↑このバンカーのように見える、白くなったところに貝塚がありました。
竪穴住居の跡がゴミ捨て場とされていたとのことです。
住居跡は土を掘って少し深くなっているので、そこに貝殻や獣や鳥や魚の骨等などを捨てますが、動物の骨は通常は溶けてしまいますので、貝殻ばかりが残り、後世になって貝塚として発掘されるようです。
敷地内には水子貝塚展示館もあり、先程の15号住居跡の発掘時の様子なども展示されています。↑
ここでは貝層よりもさらに下層の竪穴住居跡から、屈葬された女性の遺骨や、柱穴に埋葬された犬の骨も見つかっています。
↑さらに、別に水子貝塚資料館もあり、ここには市内各遺跡から出土した「ムササビ形土器」なども展示されています。
「海と貝塚」と名付けられた企画展も行われていましたが、こちらの展示は撮影禁止でした。
そもそも、こんなに海から離れた富士見市に、何でこんな大規模な貝塚があるのかが疑問となります。
地球は寒冷期と温暖期を繰り返すといいますが、2万年前の寒冷期後に、今度は温暖化し気温が上がった時、「縄文海進」といって、だいぶ海面が上昇してきたとのことです。
その際、古入間湾といわれる海にこの辺りは面していたのです。
だから、人々は貝を食べてここで生活していたわけです。
やはり、自然の歩みはスケールが違います。
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