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2016年2月21日 (日)

元荒川というからには荒川はここを流れていたのか、中川は何の中の川か

越谷レイクタウン周辺を見てまわりながら、川の名前について考えてみました。

「元荒川」という名前からすれば、元々、荒川はここを流れていたのでしょう。

では、「中川」という名前は何なんでしょう。

母の実家のあった市川に行くとき、総武線や京成線で鉄橋を渡りながら、子ども心に漠然と、荒川と江戸川の間にあるから「中川」だと思っていました。

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歩行者と自転車しか通れない「新中川水管橋」から北にJR武蔵野線鉄橋の方面を見ていますが、この辺りの中川の土手間の川幅は230m位です。

自転車で走ると気持ちよさそうな土手の道ですが、この堤防はところどころにしか完成していません。

北に向かい、線路の向こうの吉越橋から少し行くと、また吉川橋の手前で途切れてしまいます。

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この工事中の吉川橋のすぐ上流で、中川には元荒川が流れ込んでいます。

やはり、江戸時代以前の荒川は、元荒川筋を流れ、越谷付近で当時の利根川(古利根川)に合流していたとのことです。

その頃は、利根川は銚子ではなく、東京湾に流れ込んでいたことは学校で習いました。

荒川はその名のとおり「荒ぶる川」であり、熊谷付近より下流で、しばしば流路を変えており、関東平野の開発は、氾濫・乱流を繰り返していました。

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↑手前から流れているのが元荒川、奥を左から右に流れてくるのが中川です。

↓合流地点に行くと、そこそこの水流があるのがわかります。

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江戸時代の寛永6年(1629年)に、伊奈備前守忠治が荒川を利根川から分離する付け替え工事を始めました。

元荒川の河道を熊谷市久下において締め切り、荒川の流れを当時入間川の支川であった和田吉野川の流路と合わせ、隅田川を経て東京湾に注ぐ流路に変えました。

現在の荒川と隅田川の流路は、江戸時代初期に行われたこの土木事業によります。

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↑現在は、中川は国土交通省が、元荒川は埼玉県が河川管理を行っているようです。

中川は北から南へ流れていますが、元荒川は西から東へ流れています。

国よりも埼玉県の管理部分の方が、堤防の工事が進んでいるように見られます。


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まあ、元荒川の方が川幅はこの辺りで100mほどと狭いからでしょうか。

もちろん、江戸時代にこんな立派な堤防やこんな真っ直ぐ川であるはずは無く、元荒川のさらに元々荒川の流れと思われる土手と並木が川沿いにありました。

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合流点から1kmほど上流に行くと、国道4号線バイパス東埼玉道路に沿って、越谷レイクタウンの大相模調整池への導水門です。↓

荒川の本流は別の方向に行っても、この元荒川も相変わらず「荒ぶる川」なので、前回見たように調整池が必要なのです。

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ここから中川との合流点まで戻り、今度は中川の方を上流に少し行きます。

やはり、中川は「利根川の東遷、荒川の西遷」と呼ばれる江戸時代の河川改修事業が行われるまでは、利根川と荒川の本流でした。

つまり、その頃は中川という名は無かったということです。

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↑国土交通省HPを見るとわかりますが、中川は上流部が古利根川で、そこに元荒川が合流した川でした。

そうであれば、今とは比べられないほどの水量がここに流れていたはずです。

江戸の街やこの近辺を洪水から守るために、あれほどの大事業が行われたのもわかります。

中川という名は、荒川と江戸川の間の「中川」ではなく、荒川と利根川の「中川」のようです。

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↑すぐに新方川との合流があります。

見づらいですが、左手前から新方川、左奥から中川が右へ流れています。

この右岸には新方川を渡る橋がなく、しかも、この新方川沿いの土手の道もすぐに途切れてしまいます。

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仕方がないので、ここでお世話になった越谷観光協会の無料レンタサイクルと記念写真です。

「ホダカ株式会社寄贈」とあります。

ホダカといえば、marukin、KhodaaBloom、momentumというブランド名で自転車を製造しています。

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この自転車はmarukinです。

あの♪マルキン自転車ホイノホイノホイ♪です。

なんで寄贈しているのかと思いましたが、ホダカの本社は越谷市にあるようです。

無料で21段変速のクロスバイク借りられるのだから文句言えませんが、11月から3月は16時までに返却しなければいけませんから、急いで帰らなくてはいけません。

ちなみに、4月から10月は17時です。

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コメント

私が小学生か中学の頃の地図はまだ今の荒川は荒川放水路って表示されてましたね

あるふぁさん、こんにちは。
返事が遅くなって申し訳ありません。

確かに、荒川放水路とか中川放水路と呼ばれてましたねえ。
いつのまにか、荒川とか新中川になっています。

北本の高尾河岸がなぜあるのか 調べていたらここの行きつきました。
どう見ても高尾河岸跡に30mの高瀬舟が停泊していたとは考えられない
 そこで荒川の歴史を調べてみた
荒川も利根川も昔は全然 経路が違うではないですか (驚き)
昔の荒川は無茶苦茶 蛇行しているんですね 水量も3倍ぐらいあったのでは
そうでないと江戸から北本までさかのぼって船はあがれない
1600年代の荒川の記録見ると 高尾河岸あたりは 大きく曲がりくねって水がたまっていた事が
解りました
 その参考にこの記事は役立ちました

サータンさん、こんばんは。
コメント有難うございます。

現在のような大型重機を使わずに、川の流路を変えるという
これだけの大規模土木工事をした先人には驚くとともに頭が下がります。

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