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2016年2月

2016年2月28日 (日)

ふじみ野市に細く深く食い込んでいる川越市の敷地は何なのか

地図を見るのは昔から好きなのですが、ある日、不思議なところを見つけました。

区市町村境は不自然に入り組んでいる所はよくあるのですが、ちょっと限度を越えています。

↑この辺りは埼玉県ふじみ野市で、地図の北西端の方は川越市なのですが、その川越市との境界線が細く深く、ふじみ野市に食い込んでいるのがわかります。

どうやら道路になっているようですが、現場はどうなっているのか、見に行ってみました。

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↑まず、北西端は川越市なので、そちらから見てみると、左の福祉タクシー金太郎という看板のある所は川越市下松原、右はふじみ野市鶴ケ丘5丁目です。

間の道路は市境ですが、道路の中央が境界線になっているとは限らず、道路がどちらかの一方の市に属しているというのはよくあることでしょう。

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↑50mほど先に行くと、道は2つに分かれ、左側の方が話題としている道路です。

その道の右側、写真でいう中央部の三角形の土地はふじみ野市鶴ケ丘5丁目、道の左側もふじみ野市鶴ケ丘4丁目になります。

つまり、道の両側ともふじみ野市なのに、間の道路だけは川越市なのです。

ちょっと先がどうなっているのか、気になります。

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土地の所属が川越市なのですから、川越市道として管理されているのでしょうか。

道路排水の蓋は旧大井町の町章があります。

大井町は合併して、現在はふじみ野市ですから、ふじみ野市道なのでしょう。

↑よく見ると、境界標が二つあります。

一つが道路と民有地の境界で、もう一つが市境を表示しているのでしょうか。

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↑下水道のマンホールの蓋を見てみると、やはり大井町のようです。

周囲は何の変哲もない住宅街の中の道です。

川越市敷地が飛び出した先端部には、何か特別なものや事情があるのでしょうか。

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2016年2月21日 (日)

元荒川というからには荒川はここを流れていたのか、中川は何の中の川か

越谷レイクタウン周辺を見てまわりながら、川の名前について考えてみました。

「元荒川」という名前からすれば、元々、荒川はここを流れていたのでしょう。

では、「中川」という名前は何なんでしょう。

母の実家のあった市川に行くとき、総武線や京成線で鉄橋を渡りながら、子ども心に漠然と、荒川と江戸川の間にあるから「中川」だと思っていました。

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歩行者と自転車しか通れない「新中川水管橋」から北にJR武蔵野線鉄橋の方面を見ていますが、この辺りの中川の土手間の川幅は230m位です。

自転車で走ると気持ちよさそうな土手の道ですが、この堤防はところどころにしか完成していません。

北に向かい、線路の向こうの吉越橋から少し行くと、また吉川橋の手前で途切れてしまいます。

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この工事中の吉川橋のすぐ上流で、中川には元荒川が流れ込んでいます。

やはり、江戸時代以前の荒川は、元荒川筋を流れ、越谷付近で当時の利根川(古利根川)に合流していたとのことです。

その頃は、利根川は銚子ではなく、東京湾に流れ込んでいたことは学校で習いました。

荒川はその名のとおり「荒ぶる川」であり、熊谷付近より下流で、しばしば流路を変えており、関東平野の開発は、氾濫・乱流を繰り返していました。

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↑手前から流れているのが元荒川、奥を左から右に流れてくるのが中川です。

↓合流地点に行くと、そこそこの水流があるのがわかります。

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江戸時代の寛永6年(1629年)に、伊奈備前守忠治が荒川を利根川から分離する付け替え工事を始めました。

元荒川の河道を熊谷市久下において締め切り、荒川の流れを当時入間川の支川であった和田吉野川の流路と合わせ、隅田川を経て東京湾に注ぐ流路に変えました。

現在の荒川と隅田川の流路は、江戸時代初期に行われたこの土木事業によります。

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↑現在は、中川は国土交通省が、元荒川は埼玉県が河川管理を行っているようです。

中川は北から南へ流れていますが、元荒川は西から東へ流れています。

国よりも埼玉県の管理部分の方が、堤防の工事が進んでいるように見られます。


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まあ、元荒川の方が川幅はこの辺りで100mほどと狭いからでしょうか。

もちろん、江戸時代にこんな立派な堤防やこんな真っ直ぐ川であるはずは無く、元荒川のさらに元々荒川の流れと思われる土手と並木が川沿いにありました。

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2016年2月14日 (日)

越谷レイクタウンにあるレイク(湖)は何であるのか、どこの水が貯められているのか

JR武蔵野線の南越谷駅と吉川駅の間で、大規模な再開発が行われ、2008年(平成20年)に越谷レイクタウンという新駅が出来ていたのは知っていましたが、今回初めて行きました。

駅周辺には、日本一大きなショッピングセンターといわれるイオンレイクタウンが3つもあります。

また、周囲にはマンションや戸建住宅も建てられています。

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そして、レイクタウンの名前の通り、駅の北側には大きな湖というか池があります。

それにしても、この大きな湖というか池は何なんでしょう。

公園を造って環境や景観を良くすることが目的なら、もう少し小さな池でも良さそうです。

ニュータウンとして再開発(厳密には区画整理)するのならば、ここも店舗や住宅敷地とした方が良さそうです。

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表示板を見ると、大雨の時に水を一旦貯め、洪水が起きないようにするための池だとのことです。

普段の水面は低い位置にあり、遊歩道や公園がありますが、大雨の時は水面が高くなり、これらは水没するので注意するようにとのことです。

洪水対策の調整池はよく川沿いで見かけますが、この池は川沿いではありません。

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この池のすぐ横にある越谷レイクタウン水辺のまちづくり館には、越谷市観光協会によるレンタサイクルがあるので、借りて自転車で周辺を見て回ることとします。

なんと太っ腹なことに、利用料金は無料です。

埼玉古墳群を見に行った時の行田市のレンタサイクルも無料でした。

埼玉県公式観光サイトにもレンタサイクル情報が載っており、埼玉県は自転車による観光にも力を入れているようで、いいことです。

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こうした調整池には仕組みなどの説明看板があることが多いのですが、なかなか見つかりません。

↑池の北東の奥の方を見てみると、水の流入口か流出口らしきものがあります、

↓その先に水路があるかと思い近づいてみると、地下に水路があるようで、どことどう繋がっているのかわかりません。

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周囲を自転車で走ってみると、駅の南側にも池がありました。

そして、ここには地図とともに仕組みの案内板もありました。

最初に見た注意の表示板を見たときから、ここは「大規模調整池」と思い込んでいましたが、よく見ると「だいきぼ」ではなく「おおさがみ」とふりがながあります。

看板の発注ミスかとも思いましたが、勝手に間違っていたのは私の方で、「大相模調整池」とのことです。

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2016年2月 7日 (日)

英語放送のFENはいつのまにかAFNになっていた、理研本部は和光市にいつからあるのか

練馬区大泉から和光市へ都県境を越えていくと、巨大なアンテナが見えてきました。

昨夏にNHKラジオの送信施設を見に行った時に見たあの形と同じですから、AMラジオの送信所なのでしょう。

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でも、この辺りに送信所のある放送局があるとは聞いたことがありませんでした。

表示板があるかと探しても見当たりませんでしたが、フェンスを見ていたら見覚えのある看板がありましたから、見当はつきます。

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横田基地や米タンの引き込み線でも見かけるのと同じ「WARNING 在日米軍基地」と書かれていますから、英語放送をいつもAMラジオで流しているAFNの送信所なのでしょう。

今「AFN」と書きましたが、実は私は「FEN」だとばかり思っていました。

AMラジオで810KHzを聞いていると、「This is the Far East Network」と言っていたものでした。

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それが、1997年にFar East NetworkからAmerican Forces Networkへと呼称が変わったようです。

はるか昔、中学生だった頃は、洋楽を聴きたい年頃なので、結構FENを聞いていました。

アメリカンTOP40なんか懐かしいです。

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「Far East」と聞いて、日本では世界地図は大西洋で切れており、日本は真ん中あたりにあるけど、世界的には地図は太平洋で切れており、日本は「極東」なんだなと、深く感じさせられました。

ここには小さな局舎らしきものはありますが、人の気配はないので、放送は横田基地で制作されているのでしょう。

↑この高いマイクロ波用の塔のアンテナは横田基地の方を向いているように感じられます。

すぐ隣に建物がありますが、これは全く関係のない、和光理研インキュベーションプラザという中小企業基盤整備による埼玉県、和光市、理化学研究所と連携した施設でした。

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隣には、広大な敷地がありますが、何があるのでしょうか。

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