旧国道16号線で気になっていた駒形富士山ってどこにあるのか
国道16号線沿いで、以前から気になっている地名がありました。
「駒形富士山」です。
東京都瑞穂町の地名となっていますし、旧国道16号線、都道166号線の交差点名にもなっています。
このファミリーマートも「瑞穂富士山店」でした。
江戸時代に流行した富士詣のための富士講で、江戸近辺では各地に作られた富士塚がここにもあるのではないかと推測されますが、地名にまでなっているのは珍しいのではないでしょうか。
↓バス停も「富士山」です。
「ふじやま」と読むようです。
すぐ目の前に、都立野山北・六道山公園の駐車場がありますから、車を停めて「富士山」探しをしてみましょうか。
まず、道路沿いに南を見てみると、富士塚らしき、あやしい山があります。
↓しかし、近づいてみると、この前には次のバス停があり、こちらは「富士山入口」です。
入口ということは、名称的には、富士山本体から離れていることになってしまいます。
この小山にあったのは、狭山神社でした。
旧箱根ヶ崎村(近くのJR八高線の駅名)の鎮守です。
ここが違うとなると、あの都立公園のある大きな山というか丘というか、狭山丘陵のほうが富士山なのでしょうか。
この都立野山北・六道山公園ですが、平成24年(2012年)5月にはこのブログでも公園の東端には行ったことがあります。
PV数もほとんど無かった当時の弊ブログに対し、嘘かホントか、削除指示のコメントが「武蔵村山市立歴史民俗資料館」名義で来たので、あの市に対しては嫌なイメージができてしまいました。
いまだに、武蔵村山市内では、買い物、消費しないようになっていますから、人間って単純な生き物です…(私だけ?)
↑広い公園なので、この案内図も左端しか載っていません。
公園の面積は東京ドームの約56倍、260haもあり、東西の距離も4km位あるのではないでしょうか。
ここ、西口や駐車場は当初ありませんでしたが、平成26年6月にできたようです。
それでは、「富士山」探しに行ってみます。
↑この森の中に入って行くと、浅間神社があると案内標識にあります。
↓急な階段を上ると、浅間神社があるようです。
想像以上の階段と高低差でした。
戻ってからマピオン地図で標高を調べてみると、階段下で139m、階段上で174mでした。
浅間神社の社殿です。
古くていい感じの社殿です。
林の中なので全体像が見えませんが、高さ35mの富士山ということでしょうか。
戻って調べてみると、この浅間神社は、富士山と箱根ヶ崎との境界尾根に鎮座しており、江戸時代の宝永5年(1708)の帰属争いの結果、箱根ケ崎で祀るようになったとあります。
となると、これが富士山ではないのでしょうか。
↑公園内には、こうした尾根道が続いています。
埼玉県入間市HPによると、駒形富士山の地名由来としては、かつて富士浅間神社があったことから「富士山村」があり、駒形明神のあった「駒形村」もあったようです。
入間市内にも、駒形富士山という地名の飛び地があります。
ということは、昔はこの浅間神社とは別に、富士浅間神社というものが別にあったのかもしれませんが、この浅間神社を、富士山村も箱根ヶ崎村も自分たちの神社だとして争っていたとも考えられます。
現在でも地図を見ると、瑞穂町内で、この神社は箱根ヶ崎と駒形富士山の境界線上にあります。
この神社や山は意外と住宅に身近で、昔の山から村へ下りる道はたくさんあって、すぐ南東側に下りてみて、そこから振り返って山を見ると、こんな感じです。
↓ところで、公園の駐車場には気になる看板がありました。
10月から2月は16時に、3月から9月も16時30分で門を閉めてしまうとのことです。
この広い公園をゆっくり山歩きしたかったのですが、急いで戻らなければいけません。
浅間神社から1kmほど尾根沿いに進むと、標高194mの三角点があり、そこが狭山丘陵西側の最高地点ではないかとのことですから、そこも富士山の候補地です。
ただし、上の写真でもわかるように、木々に覆われた大きな丘陵の一部となっていますので、今ではどこが富士山なのかは明確ではないようです。
戻っていろいろ調べましたが、正確な答えは見つかりませんでした。
あの浅間神社か、狭山丘陵の西部全体か、そのどちらかが富士山なのではないでしょうか。
夕方になっても32℃という暑さと、蚊に刺されまくったことから、これ以上調べる気はなくなっていましたが…
この公園は、是非季節が良くなったらまた来てみたいものです。
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コメント
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四年も前の記事に失礼します。
自分も最近「冨士山村」という場所に興味を持ち、検索したらここがヒットしたので、
閲覧させてもらいました。
そしたら武蔵村山資料館の事が書かれていて驚きました。あの資料館、私も苦い思い出があります。
正直対応はひどく傲慢ですね。
閑話休題、
冨士山村には幕末期に「佐吉」という博徒の親分がおり、近隣にかくれなき名物男となっていたとか。
明治に入って、その席を二本木村の子分に譲り、
その一党は武州でも高名なシンジケートを築いていたそうです。
投稿: 与左衛門 | 2019年4月21日 (日) 23時59分