大正時代の豊多摩刑務所表門と跡地にあるのどかな公園
昭和53年(1983年)まで中野区の沼袋駅近くには、中野刑務所がありました。
跡地は公園となっていますが、今でも敷地の一部は法務省の施設となっています。
刑務所作業製品展示・販売ルームという、受刑者の作ったものの販売所がありましたが、土曜日は営業しているようですが、日曜日は休みのようです。
そして、この壁は刑務所だった時のものだったのではないでしょうか。
なんか名残りが感じられます。
ここには、市ヶ谷監獄が手狭となったために、大正5年(1916年)に建設された豊多摩監獄(大正10年には豊多摩刑務所に改称)の正門が残っているというので、見に来たのですが、敷地の中にあるため入れません。
当時は、東京府豊多摩郡野方村だったため、この名称のようです。
建物の隙間からしか見ることができません。
後藤慶二氏の設計した大正時代の名建築といわれているものです。
戦後はアメリカ軍に接収されますが、その後、昭和31年から58年3月まで中野刑務所となっていました。
公園の通路から門の裏側は見ることができました。
桜は残念ながら、ほぼ散りかけていますが、なかなか立派な建物です。
昭和20年(1945年)に治安維持法が廃止されるまでは、多くの政治犯・思想犯が収容されていたといいます。
建物がこれだけしか残されていないのは残念です。
これ以外にも、何かあるのでしょうか。
跡地は、下水処理場と公園用地として東京都と中野区により取得されました。
この法務省用地のとなりは、東京都下水道局の中野水再生センターとなっているようです。
ちょっと前までは、下水処理場と言っていたと思いますが、イメージをよくしようということで、ネーミングをかえたのでしょうか。
都の敷地の3分の2の地上部分は、中野区立平和の森公園と なっています。
久しぶりに暖かくなった今日は、多くの家族連れがのんびりとしており、ちょっと遅い花見をしている人もいます。
この公園内は自転車進入禁止で、周回コースはジョギングやウォーキング専用となっており、向きも反時計回りと決まっています。
平和の森公園と名付けられているように、公園事務所の中には平和記念展示館もありました。
刑務所関係のものではなく、戦争関係の展示がありました。
また、ここは妙正寺川沿いの斜面にあったためか、昔から人が住んでいたようで、「平和の森公園北遺跡」がありました。
弥生時代の復元住居があります。
ここからは、13000年前の旧石器時代から江戸時代後期までの多くの遺跡が見つかっています。
特に弥生時代後期(約1800年前)の竪穴式住居跡や土器が多く見つかったため、このようなものがあるのでしょう。
結局、豊多摩監獄、豊多摩刑務所関係のものは表門以外はすべて無くなっているようです。
刑務所のイメージを消したかったのでしょうが、民間による開発ではなく、公による公園となったのですから、もう少し建物を保存してもらいたかったです。
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