再開発が進み、不知森や下総国総鎮守、天然記念物もある本八幡
都営新宿線の終点は本八幡駅ですが、ここは千葉県市川市だというのに、なぜ「都営地下鉄」が走ってきているのでしょうか。
JR総武線の本八幡駅や京成本線の京成八幡駅との乗換駅となっているからでしょうが、どんな街なのか、興味があるので見に行ってみました。
鉄道3線3駅も集中した便利なところであり、再開発事業も進められています。
本八幡A地区第一種市街地再開発事業は敷地面積約1.2haで、平成22年着工され、1期工事の住宅棟・業務棟は25年度に既に完成しており、2期工事の商業棟が27年度完成をめざし工事が進められています。
C-1、D-1、D-2地区の再開発事業は既に完了しています。
↑A地区を北の京成線踏切の方から見ていますが、手前が商業棟、左が業務棟、中央奥が住宅棟で、右奥はB地区の建物です。
A地区の住宅棟は40階建て、高さ144mで、B地区の優良建築物等整備事業として平成21年に完成した建物は34階建て、高さ119mあります。
↓南西から見てみると、商業棟も建物はほぼ完成しているようです。
業務棟には、京成電鉄本社が墨田区押上から平成25年9月に引っ越してきています。
このすぐ東側の再開発地区には入らなかったところは、昔ながらの風景で、この対比がまたいいです。
A地区とB地区の間の道路は、国道14号線でよく渋滞していますが、ここだけ道幅を広げても仕方がないためでしょう、大きく拡幅はしていないようです。
この道を100mほど東に行った市川市役所の目の前に、地図には八幡不知森と書かれた不思議な森があります。
「不知八幡森(しらずやわたのもり)」で、通称「八幡の藪知らず」です。
江戸時代の書物にもよく登場するようで、水戸黄門がこの藪に入って神の怒りに触れ、なかなか出てこられなかったという伝説が残っているそうです。
そんなに広いのでしょうか。
間口、奥行きとも十間(18m)ほどですが、
いずれにしても、昔から入ってはいけないところとされてきたようです。
さて、同じく国道14号線から北に向かって参道が伸びています。
京成線の踏切の向こうまで続いています。
ここは、葛飾八幡宮で、平安時代の寛平年間に宇多天皇の勅願により石清水八幡宮から勧請して、下総国総鎮守として創建されたところです。
平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康などからも崇敬されたといいます。
↑随神門で、江戸時代までは上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門でしたが、神仏分離によりここに置かれたものです。
奥には、御神木 千本公孫樹(せんぼんいちょう)があります。
国指定天然記念物で、根元から多数の樹幹が集まり、一本の木のように見えることから名づけられた銀杏の木です。
多くの幹が寄り添って支えあっているところから、縁結びのご利益があるといわれており、推定樹齢1200年です。
また、白蛇が棲んでおり、見ると幸運が訪れるともいわれています。
参道のすぐ右は更地となっており、市川市市民会館が建設されるようです。
ここには26年9月まで市民会館があったようですし、参道左側にも市役所分庁舎や市川市中央公民館もあります。
古そうないい感じの建物と思ったら、調べてみると新しく建替られたもののようです。
いずれも境内地にあるように思われますので、葛飾八幡宮と市川市とのつながりは昔から強いようです。
市川市というとJR市川駅のイメージが強いですが、こちらの本八幡が昔は中心だったのでしょう。
京成電鉄本社移転や再開発により、本八幡も盛り上がっていくことでしょう。
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