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2015年4月

2015年4月26日 (日)

2つ並んだ国宝の紅白梅図屏風、燕子花図屏風と庭園のカキツバタ

今年2015年は、1716年(享保元年)の尾形光琳の没後300年忌になるそうです。

これを記念して、別の美術館に所蔵されている2つの国宝が、56年振りに並べて見ることができます。

日本史の教科書で見たこともある「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」です。

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表参道駅から歩いて、根津美術館に行ってきました。

新聞によると、2日前には天皇皇后両陛下もこの特別展を見に来られたそうです。

尾形光琳は、江戸時代の享保元年に59歳で没しましたが、江戸時代初期の装飾芸術と新しい時代の感覚も取り込んで、独自の世界を作りました。

燕子花図屏風は金と青と緑のみで描かれた、模様化された燕子花(カキツバタ)が美しく描かれています。

Kakitsubatazu

今で言う「コピペ」で、同じ模様の花を描くという斬新な手法も取り入れられています。

こちらは、根津美術館の所蔵です。

一方、紅白梅図屏風は、いつもは熱海のMOA美術館にある、紅梅と白梅、その間を暗く輝く流水が縦断する印象的な屏風です。

今日は、暖かいお出かけ日和の日曜日だったせいもあり、大変な混雑でしたが、私にとっては、期待によってハードルを上げすぎていたせいか、第一印象はピンときませんでした。

根津美術館は広い庭園も有名ですから、庭園を一巡りしてから、もう1回見てみようと思います。

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南青山とは思えない、1万平方メートルを超える高低差のある広い敷地に日本庭園が広がっています。

池には、屏風と同じ燕子花(カキツバタ)の花が咲き始めていました。

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この2つの国宝を並べた特別展は、3月にはMOA美術館でも開催されていますが、その時は梅の花の時期に合わせたのでしょう。

こちらでは、燕子花に合わせて開催です。

「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(カキツバタ)」ということわざがありますが、あやめとカキツバタの区別は、実はつきません。

同じように見えますが、違いはどこなのでしょうか。

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2015年4月19日 (日)

旧司法省の法務省赤れんが棟と井上馨の不平等条約改正の取り組み

霞ヶ関にある法務省赤れんが棟は、国の重要文化財に指定されています。

元々は、司法省の建物で、明治28年(1895年)に竣工したものです。

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第二次世界大戦により、れんが壁とれんが床を残し、それ以外は焼失してしまいましたが、今は明治時代のものに復元されています。

現在は法務総合研究所となっており、この3階には法務資料展示室があり、そこだけ見学することができます。

そこには旧司法大臣官舎大食堂の様子が再現されています。

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展示資料は撮影禁止とのことですが、建物ならいいとのことでした。

明治政府は、江戸時代の末期にアメリカなど五か国と締結した、安政の不平等条約の改正のため、近代国家の体制を整えようと必死で、鹿鳴館を作り舞踏会を開いたりしていました。

鹿鳴館は、明治16年(1883年)にイギリス人コンドルにより設計され建てられましたが、次はヨーロッパに負けない官庁街を作ろうと、ドイツ人エンデとベックマンが招聘されました。

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条約改正しようとしていた外務卿(のち外務大臣)井上馨は、明治19年内閣臨時建築局の総裁として、熱心にこれに取り組みました。

ベックマンは東京中心部の大規模な都市計画図としての官庁計画を作成しました。

また、議事堂、司法省、裁判所の図面を作成しました。

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しかし、井上馨の条約改正調整案は、領事裁判権の撤廃の条件として、外国人判事を任用するので、明治19年ノルマントン号事件やボアソナードの反対により、明治20年7月には条約会議は無期限延期とされました。

伊藤博文首相の時代のことですが、日比谷練兵場跡地への官庁集中計画は閣議決定されますが、井上馨は更迭され、官庁計画は内務省の所管となりました。

計画は止まってしまうのでしょうか。

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2015年4月12日 (日)

大正時代の豊多摩刑務所表門と跡地にあるのどかな公園

昭和53年(1983年)まで中野区の沼袋駅近くには、中野刑務所がありました。

跡地は公園となっていますが、今でも敷地の一部は法務省の施設となっています。

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刑務所作業製品展示・販売ルームという、受刑者の作ったものの販売所がありましたが、土曜日は営業しているようですが、日曜日は休みのようです。

そして、この壁は刑務所だった時のものだったのではないでしょうか。

なんか名残りが感じられます。

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ここには、市ヶ谷監獄が手狭となったために、大正5年(1916年)に建設された豊多摩監獄(大正10年には豊多摩刑務所に改称)の正門が残っているというので、見に来たのですが、敷地の中にあるため入れません。

当時は、東京府豊多摩郡野方村だったため、この名称のようです。

建物の隙間からしか見ることができません。

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後藤慶二氏の設計した大正時代の名建築といわれているものです。

戦後はアメリカ軍に接収されますが、その後、昭和31年から58年3月まで中野刑務所となっていました。

公園の通路から門の裏側は見ることができました。

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桜は残念ながら、ほぼ散りかけていますが、なかなか立派な建物です。

昭和20年(1945年)に治安維持法が廃止されるまでは、多くの政治犯・思想犯が収容されていたといいます。

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建物がこれだけしか残されていないのは残念です。

これ以外にも、何かあるのでしょうか。

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2015年4月 5日 (日)

再開発が進み、不知森や下総国総鎮守、天然記念物もある本八幡

都営新宿線の終点は本八幡駅ですが、ここは千葉県市川市だというのに、なぜ「都営地下鉄」が走ってきているのでしょうか。

JR総武線の本八幡駅や京成本線の京成八幡駅との乗換駅となっているからでしょうが、どんな街なのか、興味があるので見に行ってみました。

鉄道3線3駅も集中した便利なところであり、再開発事業も進められています。

Motoyawata

本八幡A地区第一種市街地再開発事業は敷地面積約1.2haで、平成22年着工され、1期工事の住宅棟・業務棟は25年度に既に完成しており、2期工事の商業棟が27年度完成をめざし工事が進められています。

C-1、D-1、D-2地区の再開発事業は既に完了しています。

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↑A地区を北の京成線踏切の方から見ていますが、手前が商業棟、左が業務棟、中央奥が住宅棟で、右奥はB地区の建物です。

A地区の住宅棟は40階建て、高さ144mで、B地区の優良建築物等整備事業として平成21年に完成した建物は34階建て、高さ119mあります。

↓南西から見てみると、商業棟も建物はほぼ完成しているようです。

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業務棟には、京成電鉄本社が墨田区押上から平成25年9月に引っ越してきています。

このすぐ東側の再開発地区には入らなかったところは、昔ながらの風景で、この対比がまたいいです。

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A地区とB地区の間の道路は、国道14号線でよく渋滞していますが、ここだけ道幅を広げても仕方がないためでしょう、大きく拡幅はしていないようです。

この道を100mほど東に行った市川市役所の目の前に、地図には八幡不知森と書かれた不思議な森があります。

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「不知八幡森(しらずやわたのもり)」で、通称「八幡の藪知らず」です。

江戸時代の書物にもよく登場するようで、水戸黄門がこの藪に入って神の怒りに触れ、なかなか出てこられなかったという伝説が残っているそうです。

そんなに広いのでしょうか。

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