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2015年3月

2015年3月29日 (日)

縄文、古墳、小磯城、そして三井別邸もあった大磯のいい景色のところ

大磯にある旧吉田茂邸を、前回は見てまわりましたが、隣接していた神奈川県立大磯城山公園を区域拡張したということでした。

もともとあった公園の方を見に行きます。

どちらも、大磯城山公園ですが、「しろやま」とばかり思っていましたが、「じょうやま」と読むそうです。

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↑地図を見ると、国道1号線を挟んで、南(海側)は旧吉田茂邸地区、北(山側)が旧三井別邸地区となっており、実態は別の公園のようです。

明治31年(1898年)、この地が三井財閥本家の別荘地となり、旧三井別邸である城山荘があったところです。

こちらは「じょうざんそう」と読むそうで、日本語は難しい…

小高い丘陵となっており、階段や坂道を登っていくと、展望台があります。

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海の見えるいい景色です。

ここには、三井家を表すシンボルとして、三井総領家第10代当主三井高棟(たかみね)が情熱を注いだという城山荘本館のあったところです。

建築家久米権九郎設計の木造建築物で、昭和9年(1934年)に完成しました。

この建物は、全国の28寺社の古材を使用して建設され、歴史的にも非常に価値の高い建物だったようですが、建物は残念ながら残っていません。

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富士山も見えるのですが、この日は見えませんでした。

2年前の2月に小田原から江の島までの自転車旅の時にもここに来て、富士山の頂上以外は見えた写真です。↓

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ここは昔から人が住みたくなる土地のようで、古くは縄文式土器が出土していますし、古墳時代の多数の横穴墓群が残されています。

室町時代には、小磯城があったとのことです。

大磯ではなく小磯というのも驚きましたが、この辺りの地名は小磯でした。

文明8年(1476年)から文明12年(1480年)にかけて起こった、関東管領上杉氏の有力家臣長尾景春による反乱がありました。

文明9年(1476年)景春の被官・越後五郎四郎がここ小磯城に篭りましたが、太田道灌に攻められ落城したとされます。

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↑さて、昭和の旧三井別邸に話を戻すと、建物で残存しているのは「北蔵」だけです。

北蔵は昭和16年(1941年)に石造り、瓦葺屋根で建てられたもので、東京の麻布区今井町本邸にあった茶道具や骨董を入れる倉庫として使われていて、現在は「北蔵ギャラリー」となっています。

さらに、庭園内を見てまわります。

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2015年3月22日 (日)

大磯にある日本戦後史に足跡を残した旧吉田茂邸跡地の公園

戦後、1951年(昭和26年)サンフランシスコ講和条約や日米安全保障条約を締結した時の吉田茂首相の邸宅は、神奈川県大磯町にありました。

昭和19年から、生涯を閉じる昭和42年までを過ごしたそうです。

ここは、神奈川県立大磯城山公園の一部となっています。

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相模湾沿岸地域一帯は、明治期から別荘地・保養地があり、特に大磯中心部一帯は、旧吉田邸をはじめとして、大規模でかつ著名人が構えた住宅・庭園が連なっています。

海沿いですが、崖のある高低差のある地形です。

↓この内門は、サンフランシスコ講和条約を記念して建てられたため、別名「講和条約門」とも言われています。

また、兜の形状に似ているところから、「兜門」とも呼ばれていますが、京都裏千家の表門の写しといわれています。↓

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昭和36年頃に完成した日本庭園は、中心となる心字池を邸宅の正面に配置した、池泉廻遊式の庭園です。↓

庭園設計者である中島健は、数奇屋建築の本邸との調和や花を愛した吉田茂の嗜好をふまえ、さまざまな草花やツツジ類、ウメなどが多く取り入れられ、色彩豊かな庭造りをおこなったそうです。

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旧吉田茂邸は没後、西武鉄道株式会社へ売却され、大磯プリンスホテルの別館として利用されていました。

平成16年頃より、地元で保存の機運が高まり、神奈川県や大磯町により歴史文化遺産として保全・活用が検討され、隣接する「県立大磯城山公園の拡大区域」として、県が整備する方向性が出されました。

しかし、その計画検討の最中、平成21年3月、本邸が火災で焼失してしまいました。

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↑右奥に本邸がありました。

消失を免れた日本庭園や歴史的資源(兜門・七賢堂など)、そして大磯丘陵の貴重な緑地を保存活用するため、公園の拡大区域として、平成21年7月に都市計画の位置付け がなされました。

その後、「旧吉田茂邸地区」の事業として県が公園整備を行いましたが、焼失してしまった旧本邸は、どうするのでしょうか。

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2015年3月15日 (日)

狭山市と入間市は入間基地と狭山茶の関係がややこしい

西武新宿線には狭山市駅が、西武池袋線に入間市駅があります。

入間市駅の隣りにある稲荷山公園駅前には航空自衛隊入間基地があり、入間航空祭のときはたいへん込み合います。

その駅のすぐ近くの電車沿いに、博物館があります。

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当然、入間市博物館かと思えば、ここは狭山市博物館です。

入館料は150円で、地域の自然と歴史について展示されています。

目の前は稲荷山公園の広い芝生が広がっています。

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というより稲荷山公園の中に博物館がある感じ

市境が入り組んでいて、入間市に狭山市が食い込んだような形になっているのかと思い、改めて地図を見てみるとそうではないようです。

そもそも入間基地という名前から当然、入間市にあるものと思い込んでいましたが、実は敷地の9割方は狭山市です、

よって、狭山市は国からの基地交付金等が潤沢にありますし、ホンダなどの大規模工場も数多くある、県内で2位3位を競う工業都市なので固定資産税も潤沢にあります。

財政的にも余裕があるので、こんな立派な博物館があるのでしょうか。

では、入間市はどこにあるのかといえば、狭山市の南西側です。

ここにも入間市博物館があります。

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こちらも広い敷地のなかにある立派な博物館です。

愛称のALITは、市民の声も参考にした、Art・Archives、Library、Information、Teaの頭文字とのことですが連語としては意味がわかりませんので、一つ一つ独立した単語のようです。

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観覧料は200円、入間市の自然や歴史についての展示のほか、お茶の博物館として、お茶関連の展示が充実しています。

中にはこんな立派なものがありました。

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ここだけ見るとなんだかわかりにくいかもしれません。

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2015年3月 8日 (日)

八重洲二丁目では小学校まで取り込んで進む再開発で地下にバスターミナルも

東京駅八重洲口前では、八重洲二丁目でも「(仮称)八重洲二丁目北地区第一種市街地再開発事業」(平成27年~32年)が行われるようです。

先週は八重洲通りの北側の一丁目でしたが、こちらは八重洲通りの南側の二丁目です。

一丁目と同様に超高層ではなく、高層ビルが立ち並びますが、角にあるヤンマー東京ビルの右、住友生命八重洲ビルの裏側には小学校があります。

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こんな東京駅の目の前に…っと驚きますが、中央区立城東小学校があるのです。

昔からあったのだろうと調べてみると、意外にも昭和37年4月開校でした。ほんと?

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しかし、実はこの敷地には昭和3年に創立した京橋昭和小学校があり、さらに古い明治8年に創立した日本橋城東小学校と合併して、城東小学校となったのが昭和37年のようです。

やはり昭和初期からここには小学校があったようですが、現在の児童数は1年生から6年生まで合わせて87人です。

一学年平均15人くらいで、屋外運動場は957㎡、屋上運動場が1089㎡です。(屋上のほうが広い)

でも、一丁目再開発では住宅ができることになっていますし、都心回帰の流れで児童は増えるかもしれません。(でも、ここにできるマンションを買えるような人で小学生の子供がいる人が、たくさんいるとは思えませんが…)

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まず、時計回りに八重洲通りから進みます。

↑左奥に向かう柳通りから右の1.7haが再開発エリアですが、角の新生銀行の入ってるビルは対象外のようです。

柳通りを進むと、つい最近建ったスーパーホテルもやはり対象外のようですが、この2つのビルに挟まれた小さなビルは再開発に参加するようです。

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建設通信新聞によると、この再開発はエリアを3つに分け、A-1街区では事務所、店舗、小学校、宿泊施設などからなる地上45階建、高さは約245mが計画されています。

A-2街区には事務所店舗等による地上9階建て、B街区は単独建替え事業で事務所、店舗等の地上14階建てで、3棟では延べ床面積約31万6000㎡となるようです。

東京駅前の45階建ての超高層ビルに、小学校はどのように入る設計になるのか、興味のあるところです。

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↑柳通りを進むと、この八重洲二丁目北地区も小規模の建物が並びますが、先の信号から向こうの八重洲二丁目中地区でも再開発が予定されています。

「(仮称)八重洲二丁目中地区第一種市街地再開発事業」(平成28年~34年)の予定地も続けて見てみます。

↓柳通りを進み、北に向かって振り返ってみると、写真左のように既に更地となって駐車場になっているところもありました。

右側は、事業中の「京橋二丁目西地区市街地再開発事業」の敷地約1.0haです。

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すぐ隣ではどんな計画になっているのでしょうか、地区内にあるちょっと味のある建物だった明治屋ビルはどうなるのでしょう。

解体されてしまうのでしょうか、それとも表面だけ残されて超高層ビルになってしまうのでしょうか。

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2015年3月 1日 (日)

東京駅前八重洲一丁目も再開発で変貌するという現場と東京マラソンの収容

東京駅の西側にある千代田区丸の内、大手町では超高層ビルが立ち並び、大きく街が変貌していますが、東側の八重洲口のほうは比較的小さなビルが多い、昔ながらの街並みです。

でも、東京駅八重洲口もグランルーフも完成し、駅前広場やバスターミナルもきれいに整備されました。

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八重洲口前から東方向へまっすぐ延びる八重洲通りの北側の一角を見てみると、超高層ではなく高層ビルが立ち並びます。↓

よく地方の県庁所在地の新幹線駅前で見かけるような風景です。

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しかし、いよいよこの八重洲地区でも再開発の話があるようです。

(仮称)東京駅前八重洲一丁目東地区第一種市街地再開発事業です。

現在の様子を時計回りにまわります。

↓外堀通りに沿って北に行くと、このさくら通りまでが対象地区です。

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地区内のビルのかなりの部分は再開発の対象となりますが、すべてではないようで、特にこの外堀通り沿いには対象からはずれたビルがいくつかあります。

二つ上の写真のみずほ銀行とサロンパスの看板のある2つのビル(新槇町ビル、八重洲口会館)は対象外のようですし、一つ上の写真のビルも歯抜け状態になるようです。(↓色のついた部分が再開発区域です)

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富士そばのある一番北の角から、外堀通りと東京駅を見てみると、グランルーフの両側に超高層ビル(グラントウキョウノースタワー・サウスタワー)が建っており、左右で違う世界です。↓

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同じ八重洲口とはいえ、外堀通りの西側(↑写真の右)は、住所は千代田区丸の内なのです。

東京駅も含めて千代田区では再開発が進んでいましたが、中央区(↑写真の左)にもその波が押し寄せてきたようです。

時計回りにさくら通りを通って、裏側に行ってみます。

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