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2015年2月 8日 (日)

新橋停車場はいつ頃まで東海道線の起点だったかと、風の通り道

1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道が、新橋・横浜間に開業しました。

廃刀令より4年も前で、明治維新から数年しか経っていない、明治5年という時期を改めて考えると、政府が鉄道開業にかなり力を入れていたことがわかります。

その旧新橋停車場跡は、国指定史跡となっており、駅舎は再建されています。

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大日本帝国憲法が発布された1889年(明治22年)には、神戸まで東海道線は全通しましたので、ここ新橋は東京の玄関として、日本の近代化を象徴する場所となりました。

開業当時の鮮明な駅舎の写真が残っていたため、往時と同じ外観の建物を同じ場所に再建できたようです。

プラットホームも25mだけと短くはなっていますが、再建されており、先端のガラスで囲った部分は史跡をじかに見ることができます。↓

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駅舎の建物は、東日本鉄道文化財団が運営する「鉄道歴史展示室」となっています。

線路はさらに短いのですが、「0哩標識」とともに再建されています。

「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」と鉄道唱歌にもある、東海道線の起点です。

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せっかくだから、線路はもう少し長くすればいいのにと思いますが、当時用いられたレール1本の長さ24フィート(7.3m)のようです。

開業当時の軌道は、木枕木に大釘で固定した鋳鉄製の台座(チェア)に、錬鉄製の「双頭レール」を木製の楔で固定していましたが、今回再現する軌道も同じ方法で作りました。

この双頭レールは、民間工場で使用されていた1873年英国製のものを譲り受けた貴重なもののようで、短くてもやむを得ないようです。

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ここから東海道線は出発していたのに、いつからか東京駅が起点となりました。

関東大震災のころからなのでしょうか、ちょっと調べてみました。

答えは意外と簡単で、昨年末の記念Suica発売で大騒ぎだった「東京駅開業100周年記念」から逆算すればいいことがわかりました。

日本鉄道(東北本線)始発の上野と官設鉄道(東海道本線)始発の新橋との間を高架の鉄道で結び、丸の内に「中央停車場」を建設し、丸の内界隈を市街地化することが明治20年代に計画されました。

そして、1914年(大正3年)12月20日に、「中央停車場」は「東京駅」として開業しました。

↓ちなみに、大人気のこのSuica(2000円)の申し込みは明日2月9日までだそうです。(私は遠慮しておきますが)

Suica

第一次世界大戦が勃発した1914年に、東海道本線の起点は、新橋停車場から東京駅へと移ったということですから、思ったより長い42年間もの間、新橋が起点だったということです。

そして、東京の玄関だった「新橋停車場」は「汐留駅」と駅名を変え、貨物専用の駅となり、その後1923年(大正12年)の関東大震災で駅舎は焼失してしまいました。

戦後、汐留貨物駅は東京の貨物ターミナルとして繁栄しますが、1986年(昭和61年)には使命を終えて廃止され、跡地は再開発されています。

再建された線路の先は、再開発により、ちょっとシュールな景色です。

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駅舎正面玄関から進行方向を見ると、立ち塞がるかのように汐留シティセンターがあり、すぐ左にはパナソニックビルがあります。

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汐留貨物駅跡地の31haは「汐留シオサイト」として、再開発されましたが、海からの風の通り道を遮断してしまい、東京の温暖化のひとつの原因ともいわれています。

ちょっと確認してみましょう。

シオサイトの南東側は、浜離宮恩賜庭園で、その向こうは東京湾です。

では、その浜離宮 中の御門橋入口のほうから北の方向を見てみます。

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コンラッド東京の入っている東京汐留ビルが斜めに建っているように、確かに、ビルがそれぞれ様々な向きに建っていて、風が通りそうにありません。

浜離宮 大手門橋入口から西の方向を見てみます。

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なんと、現在トンネル工事をしている環状2号線の部分に空間があります。

ただし、ちょっとずれて北西を向いてみると、

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やはり、右の電通本社ビルの奥に、汐留タワーや日テレタワーがあって、風が通るのは難しそうです。

つまりピンポイントに東風の時だけ、風はこのまちを都心部に向けて吹き抜けていくようです。

まあ、ここだけが都市部温暖化の原因ではないのでしょうが、夏の暑さはきついです。

でも、考えてみると、寒い日ではありましたが、こんなに高層ビルがあるわりにはビル風に苦しまずに済んだのは良いこと…

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