バス停の通信住宅って北多摩陸軍通信所の官舎だったとは
小金井街道を通る西武バスの停留所に「通信住宅」というのがありました。
近くにそれらしいNTTの社宅も見当たらないし、ちょっと不思議に思っていました。
東久留米市が「北多摩陸軍通信所跡」を、平成26年9月に旧跡として文化財指定したことからその謎が解けました。
↑小金井街道と滝山中央通りの滝山東交差点を北東方向から見ていますが、味の民芸の向こう側には、かつて「北多摩陸軍通信所」があったそうです。
昭和8年(1933年)、海外無線の傍受を目的に、田舎で電波状況の良好な久留米村前沢に受信所が建設され、その南側に職員用の官舎も建設されました。
現在の東久留米市前沢五丁目と小平市花小金井四丁目が複雑に入り組んでいるところで、敷地は両市にまたがっています。
↑昭和22年に米軍撮影の写真によると、上下(南北)方向の小金井街道と、斜めの滝山中央通りは狭いながらもこの頃からあるようですが、その他にはこの施設しかありません。
現在はほとんど私有地になっていますが、上の写真で官舎がいくつも立ち並んでいる真ん中にある広場は、今でも広場です。
東久留米市の管理する前沢南公園となっていますが、敷地は今でも国の所有のようです。
古い写真の円形のものは防火水槽だったようですが、今でもその名残が残っていました。
その右に、昨日降った雪で作った雪だるまが二つあるのが、今の時代の平和を感じさせています。
では通信所のあった辺りもどうなっているのか見てみます。
↑ここは今でも国有地のようで、左は「国立小児病院前沢宿舎」とあり閉鎖されていますが、さらに左奥は「東久留米宿舎」との看板があり現在も住居として使われていています。
右は「日本社会事業大学宿泊施設」となっています。
ここは不思議な大学で、私立ということにはなっていますが、厚生省により設立された経緯があり、土地建物や財源の多くは国費となっています。
↑小金井街道側に入り口があります。
今ではここにはアンテナなどもありませんが、昭和18年には陸軍中央特種情報部通信隊と改名され、敷地面積も12万坪で、高速低速受信機53台を設置した、海外無線傍受の中心的施設になっていました。
↓当時の古い地図を見ると、まわりに何もない中、北側に通信所の建物、南側に官舎、そして所々にアンテナがあったことがわかります。
この官舎が「通信住宅」と呼ばれていたのでしょう。
けやき出版「日本陸軍の通信諜報戦-北多摩通信所の傍受者たち-」鳥居英晴著によれば、日米開戦時のアメリカ側通信、原爆(特殊爆弾といわれていた)投下に伴うB29爆撃機の動向、ポツダム宣言受諾に伴う連合国側通信も傍受、解読していたようです。
昭和20年(1945年)8月10日にポツダム宣言受諾が決まり、急いで書類の焼却などをし15日解散されました。
鉄塔アンテナは昭和24年に解体され、ふと気づいてみると、バス停の名前も平成26年7月に「通信住宅」から「グローブライド本社入口」に変更されています。
市指定文化財の話がきっかけで、この名称の不自然さが議論となり、名称変更したのでしょうか。
東久留米市指定文化財には、2年半前に見に行った「武蔵野鉄道引き込み線跡」も同様に、戦争に関する遺跡として指定されました。
近くにある「海軍大和田通信隊」も2年少し前に行きましたが、この近辺は都心部から離れた農村であまり戦争と関係なかったなかったのかと思っていましたが、大きな勘違いだったようです。
東久留米も公式記録でも7回空襲があったそうです。
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