25000年も前から1000年前まで住居があった下里本邑遺跡
邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送り、親魏倭王の称号と印綬を与えられたのは239年といいます。
3世紀なんて、はるか昔のことだと思っていましたが、ちょっと自分の時間の観念を考え直すきっかけとなる場所に行ってきました。
東久留米市野火止にある下里本邑遺跡公園です。
都指定文化財(史跡)である下里本邑遺跡の出土したところ8000㎡が公園になっており、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代の住居跡があったところです。
この案内板によると、この場所に人が住み始めたのは25000年前の先土器時代ということです。
江戸時代の始まりは約400年前、鎌倉時代の始まりは約800年前、邪馬台国だって約1800年前です。
そもそも西暦だって、約2000年なのだから、紀元前にしても、百や千ではなく、万の位とは桁が違います。
そんな大昔から東久留米市に人が住んでいたことも驚きです。
↑ここでは、25000年前から10000年前の先土器時代の遺構や遺物が数多く発見されており、この礫群は焼けた石が集まっており調理の場であったようです。
今より寒く、ナウマンゾウがいたころで、狩りをして暮らしていたそうです。
まさに、はじめ人間ギャートルズの世界ですねえ。
そして、10000年前くらいから暖かくなり、集落が形成され、縄模様の縄文式土器も作られる縄文時代となりました。
↑約9000年前の縄文時代の石器製作をしていた河原を利用した生活跡も発見されています。
↓1700年前になるとこの地でも、稲作も行われる弥生時代となりますが、ここでは5軒の住宅跡が発掘されており、おおきなムラがあったようです。
↓当時の主導者の墓と思われる方形周溝墓もありました。
↓それからしばらく経過した、1000年前の平安時代の住居跡もあります。
ここは団地の建設工事の際に発見され、団地の敷地の一部が公園として保存されていますが、団地の集会室と見間違えるような展示館があります。
下里本邑遺跡館といい、建物内には入れませんが、ガラス越しに出土品等が見られます。
ところで縄文時代や弥生時代は学校で習っており知っていますが、それより前の旧石器時代と先土器時代の前後関係がわかりません。
調べてみたところ、1949年に群馬県の岩宿で打製石器のある岩宿遺跡が発見されるまでは、日本には縄文時代より前の遺跡は無かったからのようです。
そこで、土器を使用した縄文時代より前の時代なので、先土器時代といわれています。
これを西洋の旧石器時代・新石器時代と比べると、旧石器時代に該当するということで、この呼び名も使われているようです。
まあ細かいことを抜きにすれば、旧石器時代と先土器時代は同じ頃と考えればいいのかと思います。
↑この黒目川沿いの緩い傾斜の台地と低地があるところに、こんな長い時代に渡る遺跡は集中しており、原始、古代の人にとってはこの辺りは非常に住みやすいところだったようです。
この川を1kmほど上流に行った東久留米市下里には、同じく都指定史跡になっている新山遺跡があります。
5000年前の縄文時代のもので、柄鏡形住居跡があります。
ここは中学校の工事の際、発見されたようで、下里中学校の校庭の一部に保存されています。
改めて見てみると、こうした遺跡が今までよく通っていた黒目川のすぐ近くにあって感動しました。
今後こうした遺跡も意識して探してみていきたいと思いました。
この日は、風があまりに強いので自転車には乗らずに徒歩でしたが、意外と長く歩くこととなり、距離は7.07km、消費カロリーは342kcalでした。
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