フォト

ブログの記事

無料ブログはココログ

ランキングに参加しております。いずれかポチッとお願いします。

11東京23区

2017年6月25日 (日)

二・二六事件のあった高橋是清私邸跡地に行ったが、蔵相だけでなく首相や日銀総裁もしていたとは

青山に所用があったついでに、いつものように地図を見て気になっていたところに行ってみました。

高橋是清翁記念公園です。

過去の経済財政政策との話というと、インフレ政策としての「高橋財政」がよく話題となります。

Img_6226_1024x768

その高橋是清私邸跡地が港区立公園となっています。

1936年(昭和21年)の二・二六事件において、高橋是清大蔵大臣はこの私邸で青年将校らの襲撃により亡くなっています。

その邸宅そのものは、小金井公園にある江戸東京たてもの園に移築されています。

Img_6228_500x375

↑この跡地公園では高橋是清氏の銅像が敷地南寄りの一段高いところにあります。

大蔵大臣のイメージが強いですが、実は総理大臣や日銀総裁にもなっています。

日本銀行に建築事務主任として採用され、西部支店長、副総裁となり、1911年(明治44年)には日銀総裁にまでなります。

Img_6229_500x375

↑その高橋像のところから見た庭園の様子です。

1921年(大正10年)に東京駅で暗殺され亡くなった原敬首相に引き続き、内閣総理大臣となったのはこの高橋是清です。

なぜかそれよりも、1929年(昭和4年)の世界恐慌や昭和恐慌後、1931年(昭和6年)から大蔵大臣として実行した、積極的な財政政策や低金利政策、金輸出再禁止が「高橋財政」としてずっと有名となっています。

Img_6230_500x375

↑ここには池もあり、水が流れていますが、湧き水なわけではなく、内部で循環させているようです。

高橋財政により、経済は無事に持ち直しを図ることができ、そもそも積極財政派なのに、二・二六事件で襲撃されてしまったことは残念です。

大蔵大臣を7回も務めたようです。

Img_6232_500x375

↑関係ありませんが、敷地内にはこのようないくつもの、ちょっと見かけが不思議な像があります。

軍部としては武器関係の予算が無尽蔵に付くわけはないので、予算が大蔵省から削られることが不満だったことでしょう。

ここは青山通り南側の一等地ですが、通りの北側は広大な緑に被われた東宮御所などもある赤坂御用地です。

続きを読む "二・二六事件のあった高橋是清私邸跡地に行ったが、蔵相だけでなく首相や日銀総裁もしていたとは" »

2017年1月 1日 (日)

ブログ開設5周年と50万PVを記念して五重塔を見に池上本門寺に行く

平成24年(2012年)1月2日に開設したこのブログもお陰様をもちまして、5周年を迎えることとなります。

週1回しか更新していないにも関わらず、多くの方にご覧いただき、年末12月27日には50万PV(ページビュー)を達成しました。

有難うございます。

このことを自ら記念して、五と五十にかけて「五重塔」を見に行くこととしました。

Img_5488_500x369

東京周辺で最も古い五重塔があるという池上本門寺に、初詣の準備がされている晦日の日に訪問です。

東急池上線池上駅から参道を進むと、まず「総門」がありますが、これは江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に建造されたもので、大田区指定文化財になっています。↑

さらに、その奥の長い石段は「此経難持坂(しきょうなんじさか)」といい、加藤清正の寄進により慶長年間(1596~1615年)に造られたという、こちらも大田区指定文化財です。

Img_5489_500x375

96段もある石段で、標高9mから35mへと一気に登るので結構息が切れますが、この先に「仁王門」があり、さらに奥に「大堂」があります。↑

こちらも江戸時代かと思えば違うようで、昭和時代に再建されたものでした。

その左にある「経蔵」も再建ですが、こちらは江戸時代後期の天明4年(1784年)のもので区指定文化財です。

Img_5500_500x375

ところで、五重塔がありません。

案内図があまりないようなので池上本門寺のサイトを検索すると、これらの右の方の墓地の中というような位置にあるようです。

よく日本史で学んだ奈良にある寺院の伽藍配置などとは違うようです。

Img_5496_375x500

↑江戸時代の初期、慶長13年(1608年)に建立されたもので、関東地方に残る最古の「五重塔」です。

江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により、秀忠が寄進建立しました。

こちらは、国指定重要文化財になっています。

Img_5493_500x375

こうした塔が関西と比べて関東には少ないのが残念です。

五重塔は地震に強いとよく言われますが、雷には弱く、火事で焼失してしまうそうです。

そういえば、よく五重塔の写真を見ると不自然なコードのようなものがありますが、あれは避雷針だったのがわかりました。

Img_5492_375x500

先程も触れたように、周囲は墓地に囲まれていて、墓参のための車が普通に走り回っている、重要文化財らしからぬ不思議なところでした。

高さは31.8mということで、こちらも勝手に思っていたイメージよりは低いものに感じられました。

池上本門寺にはもう一つ、国指定重要文化財があるということなので見てみます。

続きを読む "ブログ開設5周年と50万PVを記念して五重塔を見に池上本門寺に行く" »

2016年12月18日 (日)

(後編)新国立競技場の着工前の様子を記憶そして記録しておく、赤名リカの立っていた日本青年館の建替も見る

前回の続きで、2016年12月11日に安倍首相、小池都知事らが出席した起工式が行われた「新国立競技場」について、まだ更地となっている現地の様子を目で見て記憶しておくため、そして記録を残しておくために行ってきました。

敷地を北から反時計回りの南端まで見てきましたから、次に南東に行ってみます。

Img_5405_500x375

↑ここには「日本青年館」というホテルやホールのある建物がありました。

明治公園と同様、新競技場が大きくなるので移転することとなり、解体されたのです。

フジテレビの月9ドラマ「東京ラブストーリー」最終回のエンディングは、鈴木保奈美さん演じる「赤名リカ」がこの日本青年館の屋上に立って、東京の街を見ているシーンでした。

バックには、小田和正さんの「ラブ・ストーリーは突然に」のサビのところが流れています。

懐かしいですねえ、1991年放送ですが、私は再放送をビデオで見ました。

Img_5403_375x500

↑その日本青年館は、やはり明治公園と同様に、元の敷地の南側にある国立競技場西テニス場のあったところで、建替工事が進んでいます。

2017年初夏オープンに向けて、16階建ての建物の建設工事が進められていますが、ここは日本スポーツ振興センター(JSC)との合築となっており、JSC本部も工費164億円のうち47億円を負担して、3フロアが割り当てられることとなっていました。

しかし、新競技場設計をめぐるバタバタがあったのに、新しい本部ビルができることに対して批判が集まってしまいました。

Kokuritsu1

↑グーグルの航空写真では解体前の様子が見られますが、旧国立競技場の北西(左上)にある4階建ての建物が旧JSC本部です。

秋頃の新聞報道によると入居を断念して別の所に移転することとし、このフロアは民間に貸し出し、賃貸料を得ることとするとありました。

まあ、どちらにしても移転はするのですからねえ、どこに入っても同じような気はします。

Img_5407_500x375

↑その旧日本青年館と新日本青年館の間には、「外苑ハウス」というL字型の7階建てのマンションがありますが(写真の左側)、こちらも22階建ての高層マンションに建て替えられるそうです。

また、国立競技場西テニス場のあった敷地には、日本青年館・JSC本部棟だけでなく、日本体育協会・日本オリンピック委員会新会館も14階建てで建設される計画となっています。

ここまで来ると、ちょっとやり過ぎのようなものを感じます。

Img_5406_500x375

↑これらの新しい建物のできる位置の道を挟んだ東側には、神宮球場と神宮第二球場がありますが、その辺りから、新国立競技場敷地を見てみると、こんな感じです。

この敷地を時計と反対回りに北に向かってみます。

続きを読む "(後編)新国立競技場の着工前の様子を記憶そして記録しておく、赤名リカの立っていた日本青年館の建替も見る" »

2016年12月11日 (日)

新国立競技場の着工前の周囲の景色を記憶そして記録しに行く(前編)

2016年12月11日にようやく新国立競技場が着工されました。

2020年7月24日より開催される東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に間に合わせるため、2019年11月末までの3年間で工事完了させることになっています。

着工直前に、更地となっている現地や周囲の様子を目で見て記憶しておくため、そして記録を残しておくために見に行ってきました。

Img_5383_500x375

↑JR千駄ケ谷駅から東に向かい、駅前の東京体育館を通り過ぎると、広大な敷地が更地となっているのが見えてきました。

奥の南に向かって行く外苑西通りを、現在いるこの道は外苑橋で跨ぐ位置にありますから、全体が見渡せます。

旧国立競技場、正式には国立霞ヶ丘陸上競技場がここにあり、1964年の東京オリンピックが開催されましたが、既に解体されています。

Img_5381_500x375

↑少しだけ東に行くと、地下鉄大江戸線国立競技場前駅があります。

かつて、この裏側に独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)の4階建ての本部ビルがありましたが、やはり解体されています。

ここから右下に下りていく坂道が外苑西通りにつながっています。

Img_5391_500x375

↑下に下り、外苑西通りから南の方向を見てみます。

右の東京体育館側から国立競技場側への歩道橋は撤去されていました。

この歩道橋は、先程の千駄ヶ谷駅からの上にある道と同じ高さレベルですが、新国立競技場はこの高さレベルで設計されています。

では、ここから時計と反対回りにこの外苑西通りを歩いていきます。

Img_5393_500x375

↑本体工事の着工前とはいうものの、大型重機が何台か置かれていました。

付帯工事のためなのでしょうか。

奥に神宮第二球場のネットが見えるのは、今の時期だけなのでしょう。

この道路と旧競技場の間には、細長く都立明治公園の敷地がありましたが、新競技場は一回りサイズが大きくなるため、かつての公園もこの工事区域内となってしまいました。

Img_5394_500x375

↑道路にある案内地図は、旧競技場がある時のままなので、公園があったこともわかります。

これは左が北として表示されていますが、「現在地」の少し右(南)の観音橋交差点から上(西)に向かう、旧競技場と明治公園の間の道は既に無くなっています。

そのかつての道路の様子を見てみます。

続きを読む "新国立競技場の着工前の周囲の景色を記憶そして記録しに行く(前編)" »

2016年12月 4日 (日)

江戸城の外濠はどこからどこに繋がっていたのかと赤坂見附の見附と門の関係

江戸城の外濠というと、JR中央線の市ヶ谷から御茶ノ水辺りまでの車窓から見える景色が頭に浮かびます。

飯田橋から御茶ノ水の間は神田山(駿河台)を外濠を作るために、あえて開削したことを1年前に見て廻った際に知りました。

そこよりも下流側は、神田川(江戸時代の平川)の水が隅田川まで流れていくのはわかりますが、神田川の流れる飯田橋より反対側というか西側はというと外堀の流れがどうなっていたのかよくわかりません。

Img_5334_500x375

↑しかし、先日、赤坂見附付近に行った時、弁慶濠を見て、そう言えばここも外濠だよなと思いましたので、この前後を確認してみたいと思います。

弁慶濠とはいいますが、この弁慶橋は明治時代に架けられて、弁慶濠という名も付けられたようです。

でも、江戸時代の江戸城の外濠なのだから、その痕跡はあるはずと思えば、ありました。

Img_5329_500x375

↑ここも何度か通ったことはあるのに気付きませんでしたが、赤坂御門の石垣が一部保存されています。

赤坂見附の「見附」とは見張りの兵を置いた番所のことだと習ったような気がしますが、赤坂門があるからここで見張りをしていたから「見附」なのだそうです。

江戸城外堀跡は1636年(寛永13年)に作られた約14kmの外濠のうち約4kmが国指定史跡となっています。

Img_5330_500x375

現在の青山通り、国道246号線である当時の大山道からの門だったようです。

内濠から江戸城への門というと現存している物も多く有名ですが、外濠の門というとあまり知りませんでしたが、ここも田安門や桜田門と同様に、二つの門が直角に配置された桝形門があったそうです。

ところで、弁慶橋から東の方を見ると、その先は埋め立てられているのか、水面は見当たりません。

Img_5335_500x375

ただ、この先、最高裁判所と国会図書館の間を通り、800mほど先の三宅坂交差点の向こうは内濠である桜田濠がありますから、この向きに外濠があると、内濠と外濠がここで繋がっていたとなり変な話です。

ちょっと調べてみると、わかりました。

外濠はここから南へと向きを変え、溜池方面に繋がっていたのです。

Img_5341_500x375

その名の通り、もともと江戸時代には「溜池」がありましたから、あえて開削した弁慶濠から、既に水がある溜池に通すというのは理にかなっています。

溜池の先にあるのはと考えると、虎ノ門ですから、やはりそこにも外濠の門があったことがわかります。

埋め立てられて道路になっているところを見て歩いても面白くないので、弁慶濠に沿って歩いて行ける北西側に向かいます。

Img_5336_500x375

↑右のホテルニューオータニの敷地が庭園として残されているため、この辺りの風景は建物や首都高速道路を除けば、江戸時代の面影が残されているといいます。

でも、この弁慶濠は600mほど先には堤があり堰き止められています。

Img_5351_500x375

↑この堰からというか土橋から弁慶濠を振り返ってみると、高いところからのいい景色です。

ここは江戸開府の最も初期に作られた見附、門の一つである喰違見附のあったところです。

他の見附とは異なり、石組のない簡易な門で枡形でもありませんが、現在も残されています。

続きを読む "江戸城の外濠はどこからどこに繋がっていたのかと赤坂見附の見附と門の関係" »

2016年10月23日 (日)

江戸川区の中心街はどこなのかと高さ115mの船堀タワーからの素晴らしい眺め

東京23区の白地図を見ながら各区の位置をすべて当てることは難しいですが、江戸川区はほとんどの人が一番東側の海寄りだと分かりそうです。

でも、その江戸川区の中心街はどこかというと、よく分かりません。

JR総武線は明治時代には開通していたはずですから、小岩駅でしょうか、それならば、快速停車の新小岩駅の方が大きな街のイメージです。

Img_5120_500x375

↑新小岩駅南口をホームから見てみますが、ビルやホテルや商店街があり、それなりに栄えています。

しかし、小岩駅は江戸川区ですが、新小岩駅は葛飾区になり、そして、荒川より西側の平井駅は再び江戸川区になります。

江戸川区役所はこの新小岩駅から歩くと20分程、バスでも7~8分程の距離にあります。

Img_5126_500x375

国道14号線京葉道路、千葉街道とも近くを通っていますから、鉄道が通る前はこの辺りが中心街だったのでしょうか。

江東区や江戸川区はゼロメートル地帯が広がりますから、表示されている高潮時の水位の高さに驚かされます。

庁舎は古そうで、高いところでも5階建ですが、屋上に行くと、西には東京スカイツリーが見えました。

Img_5127_500x375

もっと北寄りにあるかと思っていましたから、西の方角に見えてちょっと予想外でした。

せっかくですから、江戸川区で一番高いところから景色を見てみたいものです。

都営新宿線の船堀駅前にタワーがあるようなので行って見ます。

Img_5160_375x500

↑ここも江戸川区の施設であるタワーホール船堀の上に、船堀タワーがあります。

なんと高さ115mのところに展望室があり、区の施設ですから無料です。

1階でエレベーターに乗ろうかと思うと、期待を持たせてか、展望室行きのエレベーター乗り場は6階にあります。

そちらには、専用のエレベーターガールの方もいて、運行中案内もしてくれます。

Img_5138_500x375

↑エレベーターの扉が開くと、目の前に南向きの景色が広がります。

東京湾が一望でき、東京ゲートブリッジも見えます。

直下の船堀駅前には、1992年に建てられた公団(UR)トキタワーという27階建ての賃貸マンションがあります。

1983年にできた船堀駅前がこんなに栄えているとは知りませんでした。

船堀タワーの方も、想定以上にいい景色なので、ぐるっと8方向を見てまわります。

続きを読む "江戸川区の中心街はどこなのかと高さ115mの船堀タワーからの素晴らしい眺め" »

2016年10月 9日 (日)

乃木坂は明治時代までは別の名前の坂だったことも、乃木坂46の名前の由来も知らなかった

乃木坂といえば、私としては♪ちょっぴり寂しい乃木坂♪の「別れても好きな人」が思い浮かびます。

その他、♪それでも乃木坂あたりでは♪の「メランコリー」でしょうか、ちょっと古いかな。

でも今の世代では、当然「乃木坂46」でしょう。

Img_5057_500x375

検索して「乃木坂」そのものについて調べようと思っても、「-46」を付けないと、乃木坂46のことばかり上位にきます。

地下鉄千代田線の駅名にもなっている乃木坂ですが、港区の住所としての地名にはこの名はありません。

赤坂八丁目と九丁目の間の東から西に登って行くこの坂の名称として、そしてこの周辺の呼び名としては定着しています。

でも、前々からこの名前だったのではなく、明治時代までは幽霊坂と呼ばれていたようです。

Img_5060_500x375

ところで、まずは、乃木坂46は何で「乃木坂」という地名が付いているのかも気になります。

最終オーディションが、このすぐ南にある外苑東通り沿いの「SME(ソニーミュージックエンターテイメント)乃木坂ビル」で行われたからだそうです。

そして「46」は、AKB48よりも人数は少ないけれども負けないという意気込みが込められており、どちらも総合プロデューサー秋元康さんのアイディアのようです。

私が知らなかっただけで、ファンの間では有名なのでしょう。

Img_5079_500x375

↑外苑東通りはこの乃木坂よりも高所を通るため、坂の道はトンネルとなっています。

そして、「乃木坂」という名前は、明治時代の日露戦争で有名な乃木希典陸軍大将が明治12年からここに住んでいたことに由来するようです。

家があったからといっても、坂の名称にもなるとはどんな家だったのか気になりますから、見に行きました。

Img_5070_500x375

↑外苑東通りから敷地内の屋敷らしきものが見えます。

ここは港区立乃木公園として開放されています。

煉瓦造りの家なのかなと思ったら、正面に行くとこれは馬を飼うための馬舎でした。

Img_5071_500x375

乃木氏は馬を愛していたようで、何頭かの馬が飼えるようになっています。

ご本人が住んでいた方の建物はどんなものなのか気になります。

続きを読む "乃木坂は明治時代までは別の名前の坂だったことも、乃木坂46の名前の由来も知らなかった" »

2016年8月 7日 (日)

東京ミッドタウンで土木展という展覧会を見に行き、檜町公園の清流で涼を感じる

東京ミッドタウンといえば、六本木にあった防衛庁が2000年に市ヶ谷に移転した跡地約7haの敷地が再開発され、2007年からオフィス、住宅、ホテルなどが建設されたところです。

仕事の関係では来たことはありますが、その際は地下鉄六本木駅から地下道で行くので、実は外の様子はあまり見たことがありません。

Img_4706_375x500

↑この日は千代田線乃木坂駅から歩いてみると、徒歩で5分もかかりません。

ここは開発面積の約40%が緑のオープンスペースとなっているといいます。

芝生の間に小川が流れているのですが、そこに足湯のように足を入れて座っている人たちがいます。

Img_4709_500x375

↑「ASHIMIZU」という夏季限定のイベントのようです。

周りにあるものは、寺院建築の丸窓をイメージした「シェード」だそうです。

受付もあって、座席に番号が割り振られていたので、有料なのかと思って通り過ぎましたが、さすがに無料だったようです。

さて、今日の目的地はこの「21_21 DESIGN SIGHT」という美術館というかデザインサイトです。

Img_4711_500x375

読み方わからずに行きましたが、「トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト」と読むのだそうです。

ここで「土木展」が開催されており、入場料は1100円です。

1階建ての建物ですが、その1階は受付とミュージアムショップとなっており、展示室は地下にあります。

Img_4717_500x375

↑下に降りると、展示室は2つありますが、地下ロビーには日が射し込む構造になっています。

地下空間は芝生部分にも張り出していて、展示室があり、1階で見るより広い空間となっており、床面積の7割は地下だといいます。

設計は安藤忠雄氏です。

Img_4721_500x375

↑サンクンコートという外の空間のこの絵も「重機グラフィック」という展示で、実物大だそうです。

外でとても暑く、私のほかにわざわざ外に出る人はいませんでした。

館内には多くの人がおり、特に外国人観光客が目立ちました。

この企画展は太っ腹なことに、三脚や動画でなければ、展示物の写真撮影は可能ということで期待できます。

続きを読む "東京ミッドタウンで土木展という展覧会を見に行き、檜町公園の清流で涼を感じる" »

2016年7月10日 (日)

武蔵野三大湧水池の一つである善福寺池の湧水を探しに

善福寺池は、吉祥寺に近い井の頭池、石神井公園の石神井池、三宝寺池とともに、武蔵野三大湧水池の一つといいますが、近くに駅が無いせいか、割と訪れる人が少なくていいところです。

杉並区にありますが、JR中央線西荻窪駅と西武新宿線上石神井駅の中間に位置します。

Img_4581_375x500

善福寺公園という都立公園になっています。

善福寺川は湧水量も多く、かつては神田上水の補助水源としても利用されるほど澄んだ水だったといいます。

善福寺川の源泉探しとしては、いきなり終着点ですが、上池と下池というストレートな名前の二つの池に分かれていますから、上池の方が源泉ということになるでしょうか。

Img_4599_500x375

↑上池の北西の端には、「善福寺川源流 遅野井湧水の碑」が立っています。

小さな滝のようになっていて、水が流れ出ていますが、これは往時の湧水の形を再現したものです。

残念ながら、現在は湧水ではなく、地下ポンプで吸い上げているといいます。

Img_4597_500x375

1189年のことですが、源頼朝が奥州征伐の後、ここに立ち寄り、干ばつで軍勢が水を欲していたところ、7本の矢で土を突いて水が湧き出た。

それ自体のことか、その水の出方かわかりませんが、とても遅かったから、この遅の井という名がついたといいます。

Img_4601_500x375

↑この上池に沿っては東京都水道局の杉並浄水場があり、23区内では井戸の湧水を利用しているのはここだけだそうです。

やはり、地下には湧水のある所のようです。

武蔵野三大湧水池はいずれも標高50m地点にあるそうで、以前の東京はこの高さに地下水の流れがあったようです。

Img_4592_500x375

ボート乗り場もありますが、休日だというのに、石神井池や井の頭池のように混み合っていないところがいいです。

あまり源泉らしいところが見つからず、ちょっと残念に思いながら下池の方にも寄ってみましたが、なんと、こちらの方に湧水らしき所がありました。

続きを読む "武蔵野三大湧水池の一つである善福寺池の湧水を探しに" »

2016年6月12日 (日)

中井駅の地下改札口化が完了したので行ってみたら、やはり予想通りの結果?

1年前に見に行った西武新宿線中井駅の駅舎改良工事が進捗し、地下改札口が6月5日にできたということなので、再び見に行きました。

今まで地上改札口のあった辺りには、地下に下りるエレベーターの入口があります。

Img_4526_500x364

完成予想パースによると、ここには何らかのガラス張りの建物が描かれています。

カフェのようにも思われますが、そうであればうれしいです。

以前には分煙がされていない店しかなく困ったことがありましたから。

少し線路寄りに地下に下りていく通路ができました。

Img_4527_500x359

↑右側のホームとの間にも小さな建築物ができるようですが、これはトイレでしょうか。

駅改良工事が完了すると、先程のエレベーターへの通路もこちら側になるようです。

これまで、中井駅は下り線ホーム横に地上改札口があったため、こちらは平面で車椅子等でも行き来できましたが、上り線ホームに行くには、改札内の階段を通るしかありませんでした。

その階段の壁には、車いす用階段昇降機がありましたが、駅員さんに頼まなければ利用できない大がかりなものでしたので、今後はエレベーターができれば、ベビーカーや輪行する自転車などでも便利になります。

Img_4528_500x365

↑階段とエスカレーターがあり、その先に改札口ができました。↓

Img_4530_500x375

改札内は、下り本川越方面に行くには正面に階段とエスカレーターがあり、上り新宿方面に向かうには右に進むこととなります。

これと並行して、新宿区による南北自由通路設置工事も行われています。

こちらはまだ工事中ですが、今年度内の完成の予定です。

Img_4531_500x364

↑改札内通路から見てみると、右側が自由通路になります。

開通すれば、ガラス張りで互いに見通せるようになるのでしょうか。

これまでは上りホームと下りホームを跨線橋で渡る必要があり、上りホームでは階段は東側と西側に分かれていましたが、新たな地下通路と上りホームを結ぶ階段とエスカレーターは1つになりました。

Img_4532_500x367

上りホームはかなり狭かったため、この階段はこれまでの敷地よりも北側にはみ出して設置することとしたようです。

こちらにもエレベーターがつきました。

これまでの階段はどうなったのかと、見てみてびっくりです。

続きを読む "中井駅の地下改札口化が完了したので行ってみたら、やはり予想通りの結果?" »

より以前の記事一覧