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11東京23区

2018年4月 1日 (日)

ヒツジのモニュメントや洋館がありベルモント公園という名の不思議な公園が足立区役所近くにある

足立区役所に何度か行ったことがありますが、北千住駅からの都バスがいつも大変混雑しています。

東武スカイツリーライン梅島駅からも12分ほどでいけるようなので、歩いて行くこととしました。

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↑ルートを知るために地図を見ていると、足立区らしからぬ不思議な名前の公園があったので立ち寄ってみました。

エドモント公園といい、名前の通りに雰囲気も異国情緒があります。

ここはペットも自転車も持ち込み禁止と書かれています。

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↑東京ではソメイヨシノが満開の時期とはいえ、ここは洋風で一本もないのですが、梅島駅から行く南側入り口近くではベニバスモモが咲いています。

知りませんでしたが、ソメイヨシノもベニハスモモも、同じバラ科に属しているそうです。

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↑なぜかヒツジが可愛く並んだモニュメントがあります。

ここは足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた公園だということです。

何だろうと思っていた、ベルモントという名前は都市名だったということです。

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↑オーストラリア原産の木々が多数植えられており、ブラシノキです。

花の形が、コップやビンを洗うブラシに似ていることからこの名前が付いているのですが、開花は5月から6月ということで見られませんでした。

また、ベルモント公園はバラの名所だそうで、北側から東側の外周を中心に45品種79株のバラが植えられています。

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こちらも見頃となるのは5月から6月上旬ということで、残念ながら咲いていません。

トゲばかりが目立ち、痛々しい?イメージなので、咲いている花を探します。

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2018年3月25日 (日)

日本で一番古い公園の一つにあり都内最大級の規模をもつ芝丸山古墳と徳川家光の大イチョウ

東京タワーのすぐ隣にあり、徳川家の菩提寺である増上寺を取り囲むように芝公園はあります。

そんな都心の一等地に古墳があるというので見に行ってきました。

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↑小高い丘となっているところがあるので、これが古墳かと思い様々な角度から見てみました。

前方後円墳であるはずなのに、そうは見えません。

階段を登って行くと、その上に古墳はありました。

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↑「芝丸山古墳」といい、東京都指定史跡となっています。

向かって左が前方部分で、右が後円部分になり、正面がくびれ部分になります。

前方部が狭く低いという形態や占地状態などから5世紀代の築造とみられ、南武蔵の族長の墓だったと考えられています。

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↑右側を見ると、丸い円墳の形をしているのがわかります。

全長106メートル前後(125メートルとも)、後円部径約64メートル、前方部前端幅約40メートル、くびれ部幅約22メートルほどの都内最大級の規模をもつ前方後円墳です。

前方部は南南西に向いています。

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↑左側を見ると、こちらは言われてみれば方墳かなという感じです。

古墳の一部は削られてしまっており、明治31年に調査された時点で既に後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は無かったそうです。

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↑ここにはお稲荷さんがあり、「円山随身稲荷大明神」といいます。

この円山稲荷は増上寺の裏鬼門に位置し、寺の芝移転時にご本尊を守護するためにお供したことから随身というと書かれていました。

芝丸山遺跡を見るために、まず、後円部の円墳に登ってみます。

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↑広場となっており、円墳の上部は削られています。

ただし、円形であることはわかります。

ここにはちょっと不思議なものがありました。

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2018年2月25日 (日)

そばの一大生産拠点だったという中野にある石臼塚と醤油醸造所のレンガ塀

青梅街道の「淀橋」は新宿区と中野区の境界を流れる神田川に架かっています。

ヨドバシカメラや淀橋浄水場が有名なため、淀橋のいうと新宿区のイメージが強いですが、淀橋のすぐ西側は中野区なのです。

江戸時代には神田川に水車があり、蕎麦粉を挽いていたそうで、江戸そばは中野産のものが多かったといいます。

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↑淀橋のすぐ西にある中野坂上駅近くの宝仙寺には「石臼塚」があります。

そばの一大消費地となった江戸に向けて、中野は製粉の一大拠点としてそばを供給したため、「中野そば」とまで言われていたそうです。

そこで使われていた石臼がその後の機械化により使われなくなり、道端に放置されているのを住職が見兼ねて、この石臼塚を築いたそうです。

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人の食のために貢献した石臼を供養すべきだということでした。

最初見た時はこれは何だろうと思いましたが、聞いてみれば素晴らしいことです。

この宝仙寺は山門も立派です。

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阿(あ)、吽(うん)の仁王像が迎えてくれます。

宝仙というと宝仙学園として学校を知っていましたが、その設立母体としての寺院というか宗教法人がありました。

ここには三重塔もありました。

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江戸六塔の一つで、寛永13年(1636年)に建立されたものの、昭和20年(1945年)の東京空襲により焼失してしまいました。

こちらは平成4年(1992年)に再建されたもので、飛鳥様式の木造建築です。

ところで、中野が蕎麦の一大生産地になったことは、ちょっと不思議にも思えます。

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江戸時代の江戸周辺には神田川以外にも川はいくつもありますし、その神田川沿いにだって多くの町があったはずです。

↑江戸時代にこの周辺が栄えていたことは確かなようで、ここ宝仙寺境内には明治28年から昭和時代初期まで中野町役場があって、その碑があります。

どうして中野ばかりで多くの蕎麦の製粉が多くお行われ、一大産地となったのか、いろいろ調べてみたいと思い周辺も見て回りました。

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2018年2月11日 (日)

渋谷にあると思えないほど土偶や埴輪や土器がいっぱいで静かな環境の國學院大學博物館

目的地の博物館は、渋谷駅から歩いて10分ちょっとで道はわかりやすく、六本木通りを東に向かい、実践女子大学と青山学院初等部の間の道を右に曲がったところにあります。

ところで、渋谷駅周辺では再開発工事の真っ最中なので、行くたびに景色が変わっていきます。

この日も駅から歩道橋で明治通りと六本木通りを渡り、渋谷警察署側に行くつもりだったのに、歩道橋が繋がっておらず、2つの歩道橋のために2度も階段を登ることになりました。

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↑國學院大学学術メディアセンターの半地下に「國學院大學大学博物館」があります。

この学校名の「國」も「學」も旧字体であることを初めて知りました。

また、この学校の母体は明治15年(1882年)に創立された皇典講究所であることも知りました。

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↑入口を入っていきなり火焔型土器があります。

レプリカですが、手に触れることができるので、3kgという重さや手触りのザラザラ感も味わうことができます。

この新潟地方で出土する火焔型土器を東京オリンピックパラリンピックの聖火台にしようという運動が行われていることも初めて知りました。

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↑縄文時代の土偶があります。

考古学はまさに文字のない時代のことを、発掘された物から読み解くものですが、土偶には興味引かれます。

主に祈りのために作られたようですが、何千年も前の人達は何を思い、こんな顔や形のものを作ったのかと思うと面白いです。

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↑ここには予想以上多くの展示物があり、土偶も破片のような一部しかないものも多数置いてあります。

見れば見るほど不思議です。

この博物館は、考古、神道、校史の3つがテーマとなっており、撮影可能なものと不可能なものが区別されており、考古ゾーンは撮影できます。

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↑縄文式土器も多過ぎて全部見ることができないほどです。

別のところには弥生式土器もたくさんあります。

土偶と土器のハイブリッドのようなものもありました。

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↑中央にあるのは「挙手人面土器」で、身体の形をした土器で胴部に顔面、口縁部に腕を模した一対の突起があります。

予想外なことに、縄文時代ではなく、古墳時代前期の4世紀のものといいます。

古墳時代ものとしては、埴輪がありますが、大きさに驚かされました。

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2018年1月21日 (日)

西新宿駅のすぐ近くの成子天神社にある富士塚からの眺めとクランク形状敷地での再開発

地下鉄丸ノ内線の西新宿駅のすぐ近く、青梅街道沿いに100mほどで成子天神社の参道があります。

北に向かう参道の左にはマンションが迫りますが、右側は開発されておらず低層住宅などが並びます。

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奥に見える神門の左右には風神雷神像があります。

つい最近の平成26年に成子天神社全体が再整備されたようで、本殿も含めすべて新しいものです。

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↑さすがに西新宿ということで、本殿の左には先程とは別のマンション、奥にもマンション、右は社務所です。

江戸時代中期より江戸庶民の間で盛んになったという富士信仰のための富士塚がこの敷地内にあります。

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しかも、江戸時代でも明治時代でもない、大正9年(1920年)に築かれたという新宿区内では最後に築かれた冨士塚だといいます。

成子天神社内にあった天神山という小山に溶岩を配して築いたそうです。

3か月前に見た清瀬市中里の富士塚と違うのは溶岩があるところですが、この方がより富士山らしく見えます。

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↑途中からは結構急斜面となり、小さなお子様やお年寄りは危険なので登頂禁止と書かれています。

高さは12mでこれは新宿区内では一番高い富士塚となるそうです。

新宿区登録文化財史跡です。

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↑先程の東側からだけでなく、この西側からも登山道はありますが、こちらも急なので、男坂女坂という区分けでもなさそうです。

それでは、いよいよ山頂からの景色を見てみましょう。

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2018年1月14日 (日)

石神井の日銀グラウンドは公園になっていて暑いアメダス練馬観測所やオーディオ展示もあった

かなり前から、石神井公園の三宝寺池北側には広い日銀グラウンドがありました。

調べてみたら、日本銀行石神井運動場として昭和9年(1934年)に開設されたもので4.7haもの広さがあります。

東隣にある東京海上グラウンドとともに、三宝寺池から富士街道に通り抜けるためには迂回しなければならない、入ることのできない存在でした。

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↑それがその富士街道側からの門が開放されており、通り抜けられるようになっています。

平成19年(2007年)に日本銀行から練馬区に石神井運動場の購入に関する意向確認があり、翌年には日本銀行と練馬区で売買契約にかかる基本合意書を取り交わされ、練馬区が取得したようです。

石神井公園は東京都立公園ですが、こちらは「練馬区立石神井松の風文化公園」というみたいです。

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北から見て、左にテニスコート、右に芝生のグラウンドというのは日銀の頃と同じようですが、新たに整備工事が行われたようです。

しかし、木々は以前からのものが残されているようです。

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↑兼六園で有名な雪吊りや松のコモ巻きもされています。

雪吊りは積雪により枝が折れるのを防ぐためとは知っていましたが、コモ巻きは越冬のため木の上から落ち葉の下に降りてくる虫を集めるて、病害虫から松を守るものだだそうです。

公園の名前の通り、ここには松、アカマツがたくさんあります。

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↑松林の広場と名付けられたここでは、バトミントンやキャチボールなどで楽しんでいる人たちがいます。

さらにこの公園の西の端には、気象観測のためのこんなものもあります。

露場で「アメダス練馬観測所(練馬地域気象観測所)」です。

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夏のニュースでは、「日中は暑くなり、東京の練馬では最高気温は37℃となりました」などとしてよく出てくるところです

以前は江古田駅に近い武蔵大学の方にあったものの、周辺が開発され風通しが悪く、気温が高く出過ぎるから7kmほど西のこちらに移転させたという話を聞いたことがあります。

練馬における過去の最高気温は何度だったのか気になり調べてみました。

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2017年12月10日 (日)

江戸時代から400年以上の歴史のあるホテルニューオータニの庭園にある高価な石や滝

ホテルニューオータニといえば、ホテル御三家の一つですが、広く立派な日本庭園があります。

ここに所用で行った際、宴会場フロアに日本庭園入口というのがあったので、ちょっと寄ってみました。

このホテルは広い上に高低差もあるところなので、北の上智大学側から入ると宴会場フロアは「ザ・メイン」の1階なのですが、そのまま歩いているといつのまにか、南の赤坂見附駅側の「ガーデンコート」や「ガーデンタワー」では5階となっています。

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↑その宴会場フロアから庭園に出ると、まず大きな石があります。

「赤玉石」という佐渡島の金山より運ばれた庭石で、一番大きいものは重量22トンもあり、これは日本一の大きさです。

なんと砕くと金が出てくるという高価な石です。

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そのすぐ先には枯山水の庭があります。

高級ホテルには庭園があるところは多くありますが、このホテルの敷地には江戸時代初期の徳川家康の時代には加藤清正の下屋敷があったところということです。

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二代忠広の時代に加藤家が改易になり、この屋敷は幕末まで井伊家の中屋敷となりました。

あの大老井伊直弼が鎖国を止め日米修好通商条約を結んだことから、桜田門外の変で暗殺された井伊家です。

地名の紀尾井町は、紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったから名付けられています。

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↑池の中にあるのは「佐渡の化石」という江戸時代からの大木の化石だといいます。

加藤清正の時代から残っているもので、 木の根がそのまま化石になった珍しい石とのことです。

ということは、400年以上前からこの庭や池があるということになります。

庭園内には4個の化石があるといいます。

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↑庭園にはいくつもの石があり、この池の傍らにも高そうな石があります。

「清泉池」という名のこの池の水は湧水のようで、元々は外濠の水源にもなっていたはずです。

池に架かる太鼓橋は朱色に塗られており、紅葉の季節には美しいものです。

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2017年10月 9日 (月)

豊洲市場は敷地が広く一つの建物はとてつもなく大きいが、何もない空間もある

臨海副都心から自転車で豊洲市場に向かっていき、南側から新しく出来た富士見橋を渡ると、豊洲埠頭の敷地となります。

新しい豊洲市場の巨大な建物が見えてきます。

まず、右側に見えるのが「水産卸売場棟」です。

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マグロなどの水産物のせりをはじめとした取引が行われる場所です。

ここでは、見学者用デッキからマグロのせりを間近で見られるようになるといいます。

建築面積約49000㎡、延床面積約125000㎡、5階建です。

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↑道路を挟んで、豊洲埠頭の先端部は公園になっています。

埠頭全体をぐるっと囲むように、「豊洲ぐるり公園」として整備されています。

まだ、市場の建物の周囲には入れないので、ぐるりできませんが、敷地面積は約8.5haで、平成29年7月7日に一部開園しています。

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↑西に向けては東京湾となっていますから、レインボーブリッジがよく見えます。

↓公園の隣にあるのが、「水産仲卸売場棟」で、水産の仲卸店舗が集まる、豊洲市場で一番大きな建物です。

ここは、街の魚屋、寿司屋などが、水産物を仕入れに来る場所です。

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建築面積約70000㎡ 、延床面積約177000㎡ 、5階建です。

建築面積だけで7haですから巨大な建物です。

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↑まず最初に裏側を見た、道路を挟んだ向かい側の「水産卸売場棟」ももちろん巨大です。

これらの建物に謎の「地下空間」があると話題になりましたが、この大きさの建物を間近で見ると、地下ピット(地下空間)なしでこの建物が建つわけないなと感じられます。

その隣にあるのは「管理施設棟」です。

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東京都や各事業者の事務所をはじめ、都のPRルームや飲食店などが入ります。

建築面積約5500㎡ 、延床面積約24000㎡ 、6階建です。

十分に大きい建物なのですが、他の建物が巨大すぎるので小さく感じられます。

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↑水産仲卸売場棟のところに豊洲市場の正門と書かれていました。

↓閉鎖されていますが、中は当然に整備されています。

東京都により9月に地下ピットの床のコンクリート敷設工事の入札が行われましたが、4件では「1社入札」だったので、新たな方針により再入札となり、工事完了予定も来年6月上旬から遅れそうということです。

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この水産仲卸売場の端には、地下ではなく地上に不思議な空間があります。

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2017年6月25日 (日)

二・二六事件のあった高橋是清私邸跡地に行ったが、蔵相だけでなく首相や日銀総裁もしていたとは

青山に所用があったついでに、いつものように地図を見て気になっていたところに行ってみました。

高橋是清翁記念公園です。

過去の経済財政政策との話というと、インフレ政策としての「高橋財政」がよく話題となります。

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その高橋是清私邸跡地が港区立公園となっています。

1936年(昭和21年)の二・二六事件において、高橋是清大蔵大臣はこの私邸で青年将校らの襲撃により亡くなっています。

その邸宅そのものは、小金井公園にある江戸東京たてもの園に移築されています。

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↑この跡地公園では高橋是清氏の銅像が敷地南寄りの一段高いところにあります。

大蔵大臣のイメージが強いですが、実は総理大臣や日銀総裁にもなっています。

日本銀行に建築事務主任として採用され、西部支店長、副総裁となり、1911年(明治44年)には日銀総裁にまでなります。

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↑その高橋像のところから見た庭園の様子です。

1921年(大正10年)に東京駅で暗殺され亡くなった原敬首相に引き続き、内閣総理大臣となったのはこの高橋是清です。

なぜかそれよりも、1929年(昭和4年)の世界恐慌や昭和恐慌後、1931年(昭和6年)から大蔵大臣として実行した、積極的な財政政策や低金利政策、金輸出再禁止が「高橋財政」としてずっと有名となっています。

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↑ここには池もあり、水が流れていますが、湧き水なわけではなく、内部で循環させているようです。

高橋財政により、経済は無事に持ち直しを図ることができ、そもそも積極財政派なのに、二・二六事件で襲撃されてしまったことは残念です。

大蔵大臣を7回も務めたようです。

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↑関係ありませんが、敷地内にはこのようないくつもの、ちょっと見かけが不思議な像があります。

軍部としては武器関係の予算が無尽蔵に付くわけはないので、予算が大蔵省から削られることが不満だったことでしょう。

ここは青山通り南側の一等地ですが、通りの北側は広大な緑に被われた東宮御所などもある赤坂御用地です。

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2017年1月 1日 (日)

ブログ開設5周年と50万PVを記念して五重塔を見に池上本門寺に行く

平成24年(2012年)1月2日に開設したこのブログもお陰様をもちまして、5周年を迎えることとなります。

週1回しか更新していないにも関わらず、多くの方にご覧いただき、年末12月27日には50万PV(ページビュー)を達成しました。

有難うございます。

このことを自ら記念して、五と五十にかけて「五重塔」を見に行くこととしました。

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東京周辺で最も古い五重塔があるという池上本門寺に、初詣の準備がされている晦日の日に訪問です。

東急池上線池上駅から参道を進むと、まず「総門」がありますが、これは江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に建造されたもので、大田区指定文化財になっています。↑

さらに、その奥の長い石段は「此経難持坂(しきょうなんじさか)」といい、加藤清正の寄進により慶長年間(1596~1615年)に造られたという、こちらも大田区指定文化財です。

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96段もある石段で、標高9mから35mへと一気に登るので結構息が切れますが、この先に「仁王門」があり、さらに奥に「大堂」があります。↑

こちらも江戸時代かと思えば違うようで、昭和時代に再建されたものでした。

その左にある「経蔵」も再建ですが、こちらは江戸時代後期の天明4年(1784年)のもので区指定文化財です。

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ところで、五重塔がありません。

案内図があまりないようなので池上本門寺のサイトを検索すると、これらの右の方の墓地の中というような位置にあるようです。

よく日本史で学んだ奈良にある寺院の伽藍配置などとは違うようです。

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↑江戸時代の初期、慶長13年(1608年)に建立されたもので、関東地方に残る最古の「五重塔」です。

江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により、秀忠が寄進建立しました。

こちらは、国指定重要文化財になっています。

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こうした塔が関西と比べて関東には少ないのが残念です。

五重塔は地震に強いとよく言われますが、雷には弱く、火事で焼失してしまうそうです。

そういえば、よく五重塔の写真を見ると不自然なコードのようなものがありますが、あれは避雷針だったのがわかりました。

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先程も触れたように、周囲は墓地に囲まれていて、墓参のための車が普通に走り回っている、重要文化財らしからぬ不思議なところでした。

高さは31.8mということで、こちらも勝手に思っていたイメージよりは低いものに感じられました。

池上本門寺にはもう一つ、国指定重要文化財があるということなので見てみます。

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