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11東京23区

2020年4月19日 (日)

西新宿にある銀世界稲荷という名の神社と2年前の記憶とのつながり

平日の西新宿に行きましたが、やはり人通りはかなり少ないです。


私も外出自粛したかったですが、仕事だったのでそうもいきませんでした。


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↑パークハイアット東京が高層階にある新宿パークタワーの敷地内に神社があります。


その名も、銀世界稲荷神社という不思議な名称です。


さほど広くはないものの、きれいに整備されています。


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平成6年(1994)に52階建ての超高層ビルとともに建てられたそうです。


両脇にいるキツネさんも現代的な顔をしています。


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江戸時代、この辺りには大名の下屋敷があり、春先には一面が銀世界のように梅の花の咲く名所だったそうです。


それに因み、ここに鎮座した神社は「銀世界」という名がついているそうです。


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↑石の手水鉢もちゃんとあり、ビルとともに管理されていますから水も流れています。


ところで、西新宿の銀世界といわれると、どこかで聞いたことがあるような気がしていました。


家に戻って調べてみると、2年前のことだとわかりました。

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2020年3月22日 (日)

練馬区で着実に進む石神井川の河川改修工事と桜の開花

ここ数日はとても温かくなり、東京都内でも桜が咲き始め、一部は早くも満開です。

春分の日に練馬区で見てみると、やはり桜が咲き始めていました。

そうした中、夏のゲリラ豪雨や秋の台風に備えた石神井川の河川改修工事も着実に進んでいます。

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↑西武新宿線の上石神井駅と池袋線の大泉学園駅を結ぶバス通りである上石神井通りの「愛宕橋」から下流側は、川幅も20メートル程となり、ほぼ工事は完了しています。

「あたご橋」というバス停名にもなっているこの橋は、しばらく前までは河川拡幅に伴い、橋の架け替え工事が行われていました。

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↑そのすぐ上流にあるここが拡幅工事の前後の境界となっています。

鋼矢板による護岸はありますが、上流は川幅がかなり狭くなっています。

石神井川河川整備計画では、現況6~8メートルの河道を拡幅して、1時間当たり50mmの降雨に対応できるようにしており、こうした工事が進められています。

また、それさえも超過する集中豪雨が増加しているため、75mmに目標整備水準を引き上げ、調整池を組み合わせて対策を実施しているといいます。

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↑この辺りも間もなく工事が行われるようで、ここ小ケ谷戸橋も拡幅に伴い3月末には通行止となると書かれていました。

このすぐ上流の新青梅街道の扇橋は、はるか高い位置を高架橋のように通っています。

それにしても、道路の下にあんなに太い土管が通っているとは驚きました。

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↑扇橋の上に登って上から見てみると、手前は川幅が狭く奥の下流は広くなっています。

ポツポツと咲き始めた桜もきれいです。

次に新青梅街道から反対側、つまり上流側も見てみます。

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2019年12月22日 (日)

ヘリテージとプレステージの2ブランドとしてThe Okura Tokyoになったホテルオークラとそこにある庭園

ホテルオークラといえば、日本を代表するホテルの一つです。

それが2019年9月に「The Okura Tokyo」に生まれ変わったといいます。

海外を中心に展開していた「オークラ プレステージ」ブランドと新たに創設された「オークラ ヘリテージ」ブランドの2つのブランドを一体で運営するショーケースとなるホテルだということです。

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↑左が「オークラ ヘリテージウイング」で、17階建に140の客室があります。

右が「オークラ プレステージタワー」で、41階建に368の客室があります。

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↑高層棟であるこちらの客室は28階以上に配置され、その下はオフィスとなっています。

一方、中層棟のヘリテージウイングの方は、日本の美のエッセンスで創り込む唯一無二のラグジュアリーホテルということで、オフィスとの併設ではないというこだわりがあるようです。

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2.6ヘクタールの敷地面積のうち1.3ヘクタール余りを緑地・庭園としました。

ホテル庭園というと、2年前に見てきたホテルニューオータニ庭園が有名ですが、こちらにはオークラ庭園が整備されました。

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滝、池、湿地などの水の動きや流れを石や砂利を用いて「水の道」として、枯山水の庭園としたといいます。

竹林の間の通路は、プレステージタワーのオフィスの入口へと繋がっていました。

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同じプレステージタワーの宴会場ロビーへは別の入口となっています。

そのロビーからは庭園が目の前に見られるようになっています。

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2019年10月27日 (日)

青海南ふ頭公園で見た新しい埠頭や東京国際クルーズターミナルの整備

青梅駅と青海駅を間違える人がいると言います。

青梅市のJR青梅線の青梅駅と江東区にある新交通ゆりかもめの青海駅ですから、本当に間違えてしまったら、取り返しがつきません。

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青海埠頭においてかなりの数のヒアリやその女王アリが発見されたというニュースも気になるところですが、青海南ふ頭公園に行きました。

↑ところが工事中で、肝心な海沿いの大部分が閉鎖されています。

見慣れない防波堤などが造られているようです。

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↑立ち入れる範囲では、青海コンテナ埠頭はかなり遠くて、ガントリークレーンによるコンテナの積み下ろしもよく見えませんでした。

奥の方には、以前には船がいなかったと思われるところに海上保安庁の船が停まっています。

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↑正面を見ると、こちらと並行して防波堤と岸壁らしきものがあります。

さらに右を見ると、海の上に建物が建設されています。

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東京税関の船が停泊しているため見づらいですが、対岸の大井埠頭ではありません。

アップにしてみると、お分かり頂けるでしょうか。

Aomi

知らなかったので調べてみると、大型クルーズ客船ターミナルと新客船埠頭の整備工事が行なわれているようです。

ゆりかもめの「船の科学館駅」は、いつのまにか今年3月からは「東京国際クルーズターミナル駅」になっていました。

なぜこれらを整備しているのかと思えば、クルーズ客船が大型化しているというなか、東京港の晴海埠頭へはレインボーブリッジの下を通り抜けて行くことができないからといいます。

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2019年7月 7日 (日)

本富士警察の名前の由来となった本郷にある富士浅間神社と東大内の庭園

文京区本郷に本富士警察という警察署があります。

左隣にある消防署は本郷消防署という名称ですから、警察はなぜ「本富士」なのか不思議でした。

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これまで存在に気付いていなかった神社がすぐ近くのビルの隙間にありました。

そこにあった文京区教育委員会による説明板で謎が解けました。

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ここは明治5年(1872)から昭和40年(1965)まで「本富士町」という町名だったといいます。

なぜかというと、加賀藩本郷邸の跡地であった東京大学本郷キャンパスに「富士浅間神社」があったからだそうです。

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江戸時代には「椿山」と呼ばれる小丘があり、それが「富士山」「富士塚」などと呼ばれ、富士浅間神社が祀られていました。

現在のこの位置ではなく、数百メートルほど離れた東大赤門を入った右側の辺りだそうで、今では面影はありません。

ではここになぜこの場所に神社があるかというと、明治維新により加賀藩本郷邸は明治4年に国に接収されましたことによります。

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そのため、前田家は旧加賀藩邸の南西一角に移転し、祀られていた富士浅間神社もその敷地内に移転しました。

さらに前田家が昭和3年に駒場へ移転して、地元の町会がここを管理しているという経緯だそうです。

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↑神社の道路を挟んだ向かい側には、いいチャーチゴシックの建物があります。

「日本基督教団本郷中央教会」で、昭和時代の建物ですが、東京都登録有形文化財となっています。

また、本富士警察署のすぐ奥にある東大の竜岡門横には、東京都選定歴史的建造物があります。

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2019年6月23日 (日)

今はもう誰も13号地とは呼ばなくなった臨海副都心の埋立地にあるアクアシティお台場神社

神社といえば、歴史的に古くからある町や村にあるものと思われます。

お台場のある臨海副都心は、昭和時代に東京湾を埋め立てたところに開発された街ですから、神社なんて無いと思っていました。

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↑でも、アクアシティお台場の6階から7階へのエスカレーターの上り口に鳥居があります。

何らかのイベントのためのものかとも思いましたが、7階に到着した所にも鳥居があります。

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ニノ鳥居ということでしょうか。

そして、その横にはおみくじの販売機があり、おみくじ結び所もありました。

ちなみにおみくじは100円のようです。

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7階は最上階ではありませんが、屋上があり外に出られるようになっています。

外には予想通りに三ノ鳥居があり、「お台場アクアシティ神社」という名の神社があります。

形だけの「なんちゃって神社」なのではなく、芝大神宮から御神霊を分けていただいているものです。

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芝大神宮は、東京十大神社の一つであり、古くから「関東のお伊勢さま」と親しまれているといい、御祭神は天照皇大御神、豊受大神です。

屋上とはいえ、手水鉢もあり、周囲に木々も植えられています。

そして、ここは何と言っても借景も素晴らしいです。

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2018年4月 1日 (日)

ヒツジのモニュメントや洋館がありベルモント公園という名の不思議な公園が足立区役所近くにある

足立区役所に何度か行ったことがありますが、北千住駅からの都バスがいつも大変混雑しています。

東武スカイツリーライン梅島駅からも12分ほどでいけるようなので、歩いて行くこととしました。

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↑ルートを知るために地図を見ていると、足立区らしからぬ不思議な名前の公園があったので立ち寄ってみました。

エドモント公園といい、名前の通りに雰囲気も異国情緒があります。

ここはペットも自転車も持ち込み禁止と書かれています。

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↑東京ではソメイヨシノが満開の時期とはいえ、ここは洋風で一本もないのですが、梅島駅から行く南側入り口近くではベニバスモモが咲いています。

知りませんでしたが、ソメイヨシノもベニハスモモも、同じバラ科に属しているそうです。

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↑なぜかヒツジが可愛く並んだモニュメントがあります。

ここは足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた公園だということです。

何だろうと思っていた、ベルモントという名前は都市名だったということです。

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↑オーストラリア原産の木々が多数植えられており、ブラシノキです。

花の形が、コップやビンを洗うブラシに似ていることからこの名前が付いているのですが、開花は5月から6月ということで見られませんでした。

また、ベルモント公園はバラの名所だそうで、北側から東側の外周を中心に45品種79株のバラが植えられています。

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こちらも見頃となるのは5月から6月上旬ということで、残念ながら咲いていません。

トゲばかりが目立ち、痛々しい?イメージなので、咲いている花を探します。

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2018年3月25日 (日)

日本で一番古い公園の一つにあり都内最大級の規模をもつ芝丸山古墳と徳川家光の大イチョウ

東京タワーのすぐ隣にあり、徳川家の菩提寺である増上寺を取り囲むように芝公園はあります。

そんな都心の一等地に古墳があるというので見に行ってきました。

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↑小高い丘となっているところがあるので、これが古墳かと思い様々な角度から見てみました。

前方後円墳であるはずなのに、そうは見えません。

階段を登って行くと、その上に古墳はありました。

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↑「芝丸山古墳」といい、東京都指定史跡となっています。

向かって左が前方部分で、右が後円部分になり、正面がくびれ部分になります。

前方部が狭く低いという形態や占地状態などから5世紀代の築造とみられ、南武蔵の族長の墓だったと考えられています。

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↑右側を見ると、丸い円墳の形をしているのがわかります。

全長106メートル前後(125メートルとも)、後円部径約64メートル、前方部前端幅約40メートル、くびれ部幅約22メートルほどの都内最大級の規模をもつ前方後円墳です。

前方部は南南西に向いています。

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↑左側を見ると、こちらは言われてみれば方墳かなという感じです。

古墳の一部は削られてしまっており、明治31年に調査された時点で既に後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は無かったそうです。

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↑ここにはお稲荷さんがあり、「円山随身稲荷大明神」といいます。

この円山稲荷は増上寺の裏鬼門に位置し、寺の芝移転時にご本尊を守護するためにお供したことから随身というと書かれていました。

芝丸山遺跡を見るために、まず、後円部の円墳に登ってみます。

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↑広場となっており、円墳の上部は削られています。

ただし、円形であることはわかります。

ここにはちょっと不思議なものがありました。

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2018年2月25日 (日)

そばの一大生産拠点だったという中野にある石臼塚と醤油醸造所のレンガ塀

青梅街道の「淀橋」は新宿区と中野区の境界を流れる神田川に架かっています。

ヨドバシカメラや淀橋浄水場が有名なため、淀橋のいうと新宿区のイメージが強いですが、淀橋のすぐ西側は中野区なのです。

江戸時代には神田川に水車があり、蕎麦粉を挽いていたそうで、江戸そばは中野産のものが多かったといいます。

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↑淀橋のすぐ西にある中野坂上駅近くの宝仙寺には「石臼塚」があります。

そばの一大消費地となった江戸に向けて、中野は製粉の一大拠点としてそばを供給したため、「中野そば」とまで言われていたそうです。

そこで使われていた石臼がその後の機械化により使われなくなり、道端に放置されているのを住職が見兼ねて、この石臼塚を築いたそうです。

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人の食のために貢献した石臼を供養すべきだということでした。

最初見た時はこれは何だろうと思いましたが、聞いてみれば素晴らしいことです。

この宝仙寺は山門も立派です。

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阿(あ)、吽(うん)の仁王像が迎えてくれます。

宝仙というと宝仙学園として学校を知っていましたが、その設立母体としての寺院というか宗教法人がありました。

ここには三重塔もありました。

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江戸六塔の一つで、寛永13年(1636年)に建立されたものの、昭和20年(1945年)の東京空襲により焼失してしまいました。

こちらは平成4年(1992年)に再建されたもので、飛鳥様式の木造建築です。

ところで、中野が蕎麦の一大生産地になったことは、ちょっと不思議にも思えます。

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江戸時代の江戸周辺には神田川以外にも川はいくつもありますし、その神田川沿いにだって多くの町があったはずです。

↑江戸時代にこの周辺が栄えていたことは確かなようで、ここ宝仙寺境内には明治28年から昭和時代初期まで中野町役場があって、その碑があります。

どうして中野ばかりで多くの蕎麦の製粉が多くお行われ、一大産地となったのか、いろいろ調べてみたいと思い周辺も見て回りました。

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2018年2月11日 (日)

渋谷にあると思えないほど土偶や埴輪や土器がいっぱいで静かな環境の國學院大學博物館

目的地の博物館は、渋谷駅から歩いて10分ちょっとで道はわかりやすく、六本木通りを東に向かい、実践女子大学と青山学院初等部の間の道を右に曲がったところにあります。

ところで、渋谷駅周辺では再開発工事の真っ最中なので、行くたびに景色が変わっていきます。

この日も駅から歩道橋で明治通りと六本木通りを渡り、渋谷警察署側に行くつもりだったのに、歩道橋が繋がっておらず、2つの歩道橋のために2度も階段を登ることになりました。

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↑國學院大学学術メディアセンターの半地下に「國學院大學大学博物館」があります。

この学校名の「國」も「學」も旧字体であることを初めて知りました。

また、この学校の母体は明治15年(1882年)に創立された皇典講究所であることも知りました。

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↑入口を入っていきなり火焔型土器があります。

レプリカですが、手に触れることができるので、3kgという重さや手触りのザラザラ感も味わうことができます。

この新潟地方で出土する火焔型土器を東京オリンピックパラリンピックの聖火台にしようという運動が行われていることも初めて知りました。

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↑縄文時代の土偶があります。

考古学はまさに文字のない時代のことを、発掘された物から読み解くものですが、土偶には興味引かれます。

主に祈りのために作られたようですが、何千年も前の人達は何を思い、こんな顔や形のものを作ったのかと思うと面白いです。

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↑ここには予想以上多くの展示物があり、土偶も破片のような一部しかないものも多数置いてあります。

見れば見るほど不思議です。

この博物館は、考古、神道、校史の3つがテーマとなっており、撮影可能なものと不可能なものが区別されており、考古ゾーンは撮影できます。

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↑縄文式土器も多過ぎて全部見ることができないほどです。

別のところには弥生式土器もたくさんあります。

土偶と土器のハイブリッドのようなものもありました。

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↑中央にあるのは「挙手人面土器」で、身体の形をした土器で胴部に顔面、口縁部に腕を模した一対の突起があります。

予想外なことに、縄文時代ではなく、古墳時代前期の4世紀のものといいます。

古墳時代ものとしては、埴輪がありますが、大きさに驚かされました。

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