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10南多摩

2023年9月24日 (日)

7世紀の三輪白坂横穴群と三輪という地名の由来にもなっている椙山神社

前回、予想を上回る素晴らしさの町田市の三輪城跡を見てまわりましたが、そのすぐ横の坂道には遺跡がありました。

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三輪白坂横穴群で町田市指定史跡になっています

崖面に横穴を掘った古墳時代における有力者のお墓です。

この崖が凝灰岩のような白っぽい岩石なので白坂なのか、城坂から来ているのかどちらかなのでしょう。

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三輪白坂横穴群は二つの群13基あり、この第一支群は6基あります。

鶴見川のすぐ近くですが、三輪城を築こうとするくらいですから高低差のある地形です。坂道の途中の斜面で標高50メートルほどのところに位置します。

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内部には川原石が敷詰められて、遺骨とともに刀子や須恵器が発見され7世紀に造られたと想定されます。

見学できるのはこの2基だけです。

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↑この東の鶴見川に沿った崖には第二支群の7基があり標高35メートル付近に位置します。

この鶴見川すぐ下流沿いの三輪小学校があります。

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開校前の発掘調査では、町田市内では珍らしい弥生時代後期の住居址二軒土器二個を組み合わせた墓などが発見されました。

斜面に立地しているため、高い位置の裏門側に案内板だけがありました。

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2023年9月17日 (日)

三輪城、沢山城は公的なものには出てこないが土塁や空堀の残る素晴らしい城跡

町田市三輪に沢山城または三輪城といわれる城跡があります。

町田市ホームページなどには載っていないので知りませんでしたが、近くに行った際に立ち寄ってみました。

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沢谷戸自然公園の北側の山の中にあるということです。

公園内からの登り口を探しても見つかりませんでしたが、南西端の入り口の奥にそれらしき階段があります。

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公園とのフェンス沿いの雑草の多い通路を登っていくと、横には小さな墓地などがあります。

さらに、蚊に刺されながらクモの巣をよけ、ヘビに注意しながら半信半疑で進むと、これは城跡らしいと感じられるものがありました。

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↑両側は土塁で間には空堀のようです。

しかも、想像していた以上に深く立派なものです。

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↑少し行くと、三輪七面山の山主名で、団体の方はお戻り下さいという立札があり、ここは民有地であることがわかります。

テレビ等の取材や犬の散歩もやめるよう書かれています。

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↑お参りするつもりなので行かせてもらうこととして、二の郭と思われる高台に一旦登ると、その先の鳥居の奥に再び下り階段があります。

その低くなった先はまた高くなっています。

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↑この低いところは空堀のようです。

右側である南に向けては公園がある方向で、下り急斜面になっています。

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2023年7月16日 (日)

実は城山公園だけでなく本当の城跡もある稲城市大丸城と円形をした都営住宅

半年ほど前に行った稲城市向陽台にある城山公園は、大丸城跡なのかと思いきや、なんちゃって城跡でした。

でも、本当に大丸城はあったということなので、そちらに行ってみました。

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↑奥に見える多摩川の是政橋の右岸側、南武線南多摩駅からさらに少し南になります。

↑道路に架かる城山橋から見て、左方が城山公園や稲城市立中央図書館、右方が大丸城のあったところです。

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↑山城らしく斜面を登っていかなくてはなりません。

木々が生い茂っているので暑さよりも、夏のこの時期は蚊やハチ、マムシなどに注意が必要です。

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稲城市だけでなく、多摩市、八王子市などで昭和の終わり頃、多摩ニュータウン開発のため大規模な造成工事が行われました。

ここのような風景の広がる地区だったのでしょうが、この周囲は中高層建築物や戸建て住宅が多数あります。

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↑やがて、標高100メートルほどのところに予想外の舗装された、ベンチのある狭い広場にでます。

しかし、大きな木々があり景色は見えませんし、隙間から見えるのは遠方ではなく目前のマンションです。

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↑ここから上は斜面の崩落予防のためかコンクリート打設されていますが、10メートルほど先の上には登ることも出来なくなっています。

大丸地区開発の造成工事時の際に発掘調査が行われ、里山の頂上に空堀に囲まれた本曲輪があり、その外側に二の曲輪、三の曲輪のある山城だったことがわかっています。

しかし、そのまま開発が進められたので今ではどこが何やらわかりません。

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2023年7月 2日 (日)

橋からの想像とは全く違った景観を見せる長池公園と多摩よこやまの道西端

四谷見附橋を移設した長池見附橋を前回見てきましたが、この橋は長池公園に架けられてています。

橋から見ると、下には姿池という人工的な池があり西洋式の公園が整備されています。

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ネオバロック様式の橋に似合うように造られたのでしょう。

実は長池公園の中ではここは特殊な部分であり、全体像はここから想像するものとは違っています。

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池と池の間にある築堤のような高いところから見ると、自然いっぱいの和風の公園のような景色になります。

とはいえ、木々が生い茂る風景は洋の東西を問わないはずですから、和風とはいえないのかもしれません。

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↑長池公園は農業用のため池であった、築池と奥にある長池を中心に、小川や湿地、雑木林が残された自然保全型公園です。

面積は20ヘクタールあり、姿池や長池見附橋のある区画は北方の一部分です。

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↑南に奥に進んでいくと長池があり、まさに自然いっぱいの風景です。

この池には長池伝説が語り継がれています。

武蔵国の城主小山田太郎高家に輿入れした浄瑠璃姫がいました。

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延元元年(1336)湊川の戦いで高家が討ち死にしたため、薬師如来像を背負い、侍女らと共に長池に身を投じたといいます。

その後、蓮生寺の住職が長池に光る薬師如来像を見つけ、薬師堂を建て供養したということです。

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2023年6月25日 (日)

四ツ谷駅前の四谷見附橋を見ることができる多摩ニュータウンの長池見附橋

多摩ニュータウンは計画的の造られた街なので、歩車分離されており人も車も通りやすくなっています。

機能優先ばかりな訳でなく、デザインの美しい橋がありました。

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京王堀之内、南大沢、小田急の唐木田駅の中間になります。

住所では八王子市別所2丁目辺りになります。

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長池見附橋といいますが、江戸城近辺でもない、こういった場所で名前に「見附」とついているのには、理由があるようです。

この橋は四ツ谷にあった四谷見附橋が移設されたものだからです。

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旧橋は撤去解体するのが惜しい、美しい橋であったため、この多摩ニュータウンの長池公園内に再架橋されたのです。

旧橋は甲州街道(国道20号)が、今のJR中央線を跨ぐのに架橋されたのは大正2年(1913)です。

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当時、国賓が東京駅や皇居から迎賓館に向かう際の通り道であることもあり、デザインにも力を入れたようです。

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旧四谷見附橋は平成3年(1991)に道路拡幅のため架け替えられました。

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2023年1月29日 (日)

立派な山城らしいのになんちゃって城跡の稲城市の城山公園

城山公園は各地にありますが、いずれも築城者などは不明であっても何らかの城跡であることが一般的です。

そのつもりで、稲城市向陽台にある城山公園に行ってみました。

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多摩川から近くですが多摩丘陵にあり、城山公園前交差点の標高は78メートルです。

↑歩道橋につながるデッキから山城らしい登り坂があります。

しばらく登るとファインタワーがあります。

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展望台になっているのですが閉まっており、5月から10月の日曜祝日の午後しか開いていないようです。

景色に期待して登ってきたのでちょっと残念です。

雪深い山中ではないのだから、夏のみとか季節は関係ない気がしますが。

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↑表示板によると高さ24メートル、地盤面の高さ111メートルとありますから、ここに真っ直ぐ上がってくる階段から南方にはいい眺めです。

下の水の広場は83メートルとありましたから、この階段から登ってくるのはきつそうです。

タワーの下の「五の丸」と書かれた石柱が気になりますが、こちらには何の説明板もありません。

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↑このタワーの裏側には北方に向けて、さらに山坂道を登っていけます。

道は途中二つの分かれているので、まず左側に行きました。

左側も雑木林ですがフェンスがあり入っては行けません。

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石標があるので見てみると、陸軍用地境界標です。

そして横田基地などで見かけたWARNINGの表示板です。

やはりここも在日米軍基地と書かれており、多摩サービス補助施設なのです。

日本陸軍多摩火工敞がGHQに接収されたものです。

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2022年12月18日 (日)

80メートルもの高低差があり予想外の立川やワシが見える南平丘陵公園

京王線南平駅近くにある南平丘陵公園に行きました。

日野市になり、入り口辺りの標高は83メートル位のところです。

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案内図を見ても、広さとここから先の高さのイメージはわかりません。

丘陵公園というと結構広大なイメージだけどがありましたが、都立公園でなく日野市立公園ということなので気軽に入ってみたところです。

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深く切り込んだ谷戸があり、そこから登る丘陵があるという、いい感じのところでした。

ちょっと方向感覚の分かりづらいところですが、南東に向けての登りが続きます。

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結構急な階段もありましたが、案内図の7番とあった展望台にはあっさりと到着しました。

木々の隙間からなので見づらいですが遠くまで見渡せます。

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↑右の方に大きな建物がありますが、どこが見えているのだかわかりません。

日野市なので豊田駅とその周辺の工場やイオンモールの辺りかと考えました。

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↑しかし、あの大きな建物は見た感じは立川駅前の立川タクロスです。

そう考えれば、手前に多摩川をモノレールの渡る立日橋があります。

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この先もアップダウンしながらも上り階段は続きます。

↑やがて、両側の木に意味深に22と23と書かれたところがあります。

さらに急な階段は続き、公園の案内図は縮尺おかしいのかなとも思っているうちにT字路のような突き当たりです。

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2020年8月 9日 (日)

相原は予想外に八王子市ではなく町田市にあり、しかも相模原市にも相原

八王子駅からJR横浜線で橋本駅に行く間に相原駅があります。
八王子市と相模原市の間にあり、八王子みなみ野駅の隣なので、相原は八王子市内と思っていました。
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↑すぐ先にある交差点は、東京都道47号線、通称町田街道の「相原十字路」という交差点です。
ここにある境川の橋が東京都と神奈川県の都県境になっており、手前が神奈川県相模原市で、奥は東京都です。
ただし、都の八王子市ではなく、予想外に町田市で、町田市は北西に向けて入り込んだような形となっているようです。
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↑これは交差点近くにあった「町田市地区案内図」です。
左側が北向きの地図なので、上方つまり東にある相原駅も町田市相原町になります。
もう一つ驚くことに、右側にも「相原一丁目、二丁目、六丁目」とあり、こちらは相模原市となっています。
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↑その相原六丁目に「相原総鎮守 相原八幡宮」があり、そこに「相原起番地之碑」があります。
明治時代初めの地租改正に際して、ここが相原1番地とされたことによります。
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相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期に小野妹子の子孫という小野孝泰が岩清水八幡宮を迎え祀ったといわれています。
御神木であるケヤキの木は平成8年(1996)に上の方が倒れてしまいましたが、樹齢600年だったと言いますから、長い歴史のある神社のようです。
相原が東京都と神奈川県にある謎もわかりそうです。

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2019年9月29日 (日)

薬師池公園の名勝正式名である福王寺旧園地という謎と国指定重要文化財や都指定有形文化財などの旧家建築物

東京都指定名勝となっている町田市の薬師池公園ですが、正式には「福王寺旧園地」という名称で指定されています。

薬師池という位ですから薬師堂があるようなので行ってみます。

ただし、地図や案内板には薬師堂の表示はありますが、福王寺という表示はないので、その辺も確認してみます。

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↑公園内の階段の登り口の所に「薬師堂参道」と書かれています。

階段を登っていくと、まずは巨大な御神木がまず目をひきます。

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現在は「野津田薬師堂」と言われているこの薬師堂は、奈良時代である天平年間(729〜749)行基の開基と伝えられています。

しかし、鎌倉時代末期の新田義貞の鎌倉攻めの時に焼失してしまったようです。

200年以上後の元亀4年(1576)にこの地に福王寺として再興されました。

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↑現在の薬師堂は明治16年(1883)に再建されたものです。

前回見てきたように農業用水池として薬師池が作られた頃は、福王寺溜井と言われていたそうです。

そのため、正式名は福王寺旧園地です。

この薬師堂は華厳院というここより1キロメートルほど北にある寺院により管理されており、どうやら行基開基といわれているのはその華厳院のようです。

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福王寺溜井は寛永年間(1624~43)に作られたと前回書いたのは、公園内の東京都教育委員会による名勝の案内板によるものでした。

しかし、園内の別の案内板をには、戦国時代の天正5年(1577)滝山城主としてこの辺りを支配していた北条氏照の許可によって、周辺農民により十数年かけて農業用水池として開拓されたとの表記もありました。

どちらが正しいのでしょうか。

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↑薬師堂からさらに階段を登っていくと、視界が開け、この薬師池公園を東から南を通り西へと取り囲んでいる尾根道にでます。

ここは標高100メートルを超えていますから、池の辺りとの高低差は35メートルもあります。

この薬師池公園は日本の歴史公園100選にも選ばれていますが、国指定重要文化財や都指定有形文化財の建物があるのでそちらも見てみます。

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2019年9月22日 (日)

新東京百景で東京都指定名勝でもあり日本の歴史公園100選にもなっている町田市の薬師池公園

薬師池公園は1982年には「新東京百景」に選ばれ、さらに1998年には「東京都指定名勝」に指定されました。

その上2007年には「日本の歴史公園100選」に選定されたという町田市を代表する公園です。

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↑都道18号府中町田線(鎌倉街道)がこのすぐ左側を通っているのですが、ここは薬師池という池があるように周囲より低い標高66メートルほどになるため静かです。

道路が10メートルほど高い位置にあるため、幹線道路沿いであることを感じさせない落ち着いた雰囲気です。

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↑池の南から北を見ると、東も西も土地が高くなっていることが分かります。

しかし、ここは自然の池ではなく、江戸時代に人工的に造られたものだそうです。

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↑二連の太鼓橋が架かっています。

寛永年間(1624〜43)に、ここを農業用水池にするために耕地を潰して溜井にしました。

長さ70間(126メートル)、横28間(50.4メートル)もの大きさで、十数年間かけて築いたそうです。

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↑逆に北から南を見ていますが、東と南と西を尾根に囲まれたような地形なので、自然にも水は溜まりそうなところです。

案内板をみると、「大滝」があるというので見に行きました。

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↑水の音がするので近づいてみると、「えっこれが大滝?」と思うような小さい滝でした。

位置としては池の西側の斜面の途中になります。

水量は豊富なようで、水は高いところから低いところへ勢いよく流れていきますが、この薬師池にも苦労の歴史があるそうです。

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