フォト

ブログの記事

無料ブログはココログ

ランキングに参加しております。いずれかポチッとお願いします。

09西多摩

2018年8月26日 (日)

狭山池緑地にある狭山神社は埼玉県狭山市ではなく東京都瑞穂町にある

この前来た「さやま花多来里の郷」は東京都瑞穂町にありました。

あの時「さやま」という名前についてはあまり触れませんでしたが、埼玉県狭山市からはかなり離れています。

Img_7963_500x375

↑花多来里の郷の隣りは、「狭山池緑地」となっています。

この近くには2年ほど前に来た、残堀川の源泉の一つである狭山池があります。

考えてみれば、ここは狭山湖のすぐ西側であり、その狭山湖は所沢市、一部が入間市です。

Img_7945_500x375

↑この緑地は小さな山のようになっていて、そこには「狭山神社」があります。

狭山市という名前の印象が強くあるため、東京都内の瑞穂町にある「狭山」に違和感を感じていました。

しかし、狭山丘陵全体を考えれば、ここに「狭山」という名前が付いていても不思議ではありません。

Img_7947_500x375

↑コンクリート造の鳥居を多く見る中、木造の鳥居が美しいです。

急な階段を登って行った先に狭山神社はあります。

かつては、箱根権現や三社大権現といわれ、祭神の箱根大神ですが、永承年間(1046~1053年)源義家の奥州征伐の折、筥の池(狭山池)辺に陣営、箱根権現の霊夢に感じ、当地に勧請、凱旋の時に奉賽したといいます。

Img_7950_500x375

↑階段を登ると、幕末と明治の火災の後、昭和26年に再建された拝殿です

JR八高線の駅名であり、ここの地名でもある「箱根ヶ崎」は箱根権現から来ているのでしょうか。

Img_7960_500x375

祭神の木花咲耶姫命他二柱は源頼朝の関東五百社勧請の一社、主祭神の伊邪那岐、伊邪那美二神と泉津事解男命はそれ以前の奉斎だそうです。

境内には、勝海舟による題額の碑もあるといいます。

続きを読む "狭山池緑地にある狭山神社は埼玉県狭山市ではなく東京都瑞穂町にある" »

2018年7月29日 (日)

さやま花多来里の郷と書いて何て読むのか、そしてそれは何処にあるのか

さやま花多来里の郷というところがあります。

「さやま」と言えば、狭山湖や狭山茶で有名で、狭山市は埼玉県にあります。

「花多来里」と書いてあっても、何て読むかは分かりません。

Img_7794_500x375

音読みしてみると、ひょっとして「カタクリ」かなとも思えます。

郷と書いて「さと」と読むのはよくあることですが、その前にも里という字があるので、やはり謎です。

↑実はここは狭山市ではなく、東京都瑞穂町にある施設です。

Img_7817_500x375

「かたくりのさと」と読み、都内では珍しい20万株以上のカタクリの群生地ということです。

↑駐車場も整備されており、しかも緑化駐車場となっています。

都内随一のカタクリの群生地とパンフには書かれています。

Img_7795_500x375

↑ほぼ全面がカタクリ群生地ですが、通年開園して春以外にも花が見られるということなので、期待して見て回りました。

カタクリを見るために春のみ開園しているところは数多くありますが、ここは通年開園しています。

Img_7796_500x375

↑園路の右側が斜面になっていて、ここがカタクリ群生地となっているようです。

ぽつんとユリの花が咲いていました。

Img_7802_500x375

↑宮崎テラスという名の鑑賞デッキがあります。

春になると約3000平方メートルの斜面一面に見事なカタクリが咲き誇るそうです。

カタクリがこの季節に咲いていないのは仕方ないですが、先に進んでみましょう。

続きを読む "さやま花多来里の郷と書いて何て読むのか、そしてそれは何処にあるのか" »

2018年7月22日 (日)

数十年に一度しか咲かないというリュウゼツラン がもうすぐ咲きそうなみずほエコパーク

いつものように地図を見ていて、どんなところなのだろうと気になって、「みずほエコパーク」に先週末行ってみました。

瑞穂町の新青梅街道とJR八高線との立体交差のすぐ西側にあります。

Img_7821_500x375

入口の案内板には、この公園は町民の健康を増進し、リサイクルと環境学習を推進することを目的として設置されたとありました。

生態や環境を学ぶことを意味するエコロジーとのかかわりが深いことから、名称をエコパークとしたとのことです。

Img_7824_500x375

↑公園らしい芝生広場がありますが、この面積は3150平方メートルということなので、公園全体面積48500平方メートルからすれば、ごく一部でしかありません。

歩いていくと不思議なものもあります。

Img_7825_500x375

江戸時代には多摩地方には、最盛期に酒蔵が29場もあったそうで、その中の一つで使われていた「酒造りの大釜」です。

直径163センチ、重さ750キロもあります。

こうした鉄などの金属は溶かして、リサイクルして半永久的に使えることから、リサイクルの象徴として設置してあるそうです。

Img_7827_500x375

↑公園内には様々なものがあり、「伝鎌倉街道」もあります。

これは中世の鎌倉街道がここを通っていたというものです。

この近くにはあまりみたことの無い、枯れているようにも見える大きめな植物がいくつかあります。

Img_7830_500x375

「リュウゼツラン」というそうで、メキシコ原産で百年草とも呼ばれています。

数十年に一度しか咲かないから、こうした名前のようです。

なんと、その花が咲いているのではないかと思われる木がありました。

続きを読む "数十年に一度しか咲かないというリュウゼツラン がもうすぐ咲きそうなみずほエコパーク" »

2018年6月24日 (日)

国登録有形文化財がいくつもある石川酒造と大ケヤキと熊川分水と下の川の合流地点

玉川上水から分流した熊川分水の流れを、熊川神社から下流に辿ってみました。

しばらく道路沿いに見ることのできた流れは直角に曲がって見えなくなり、道路と民家の間というよりも民家の敷地内を流れているところがあります。

交通量の多い睦橋通りを渡ると、民家と民家の間を流れていきます。

Img_7727_500x375

↑この背中越しの道の向こう側では、何やら蔵造りの建物の敷地内に熊川分水は流れていくようです。

こちらは「石川酒造」という造り酒屋で、文久3年(1863年)に創業したといいます。

ギリギリ江戸時代です。

Img_7728_500x375

↑「新蔵」といい、明治30年(1897年)建築のもので、酒の熟成に使われている土蔵です。

国登録有形文化財になっています。

Img_7717_500x375

↑さらに古い明治13年(1880年)建築の「本蔵」もあり、ここで日本酒「多満自慢」が醸造されています。

これも国登録有形文化財です。

手前には熊川分水の碑も見えます。

Img_7726_500x375

↑ここ石川酒造では蔵見学も無料で出来るとのことですから、このような案内表示板もあります。

さらに古い建物もあるようです。

Img_7718_500x375

↑「長屋門」という250年前の江戸時代の建築といいますから1770年頃でしょうか、石川家が造り酒屋を営む以前からのものだそうです。

こちらも当然に国登録有形文化財です。

ちょっと石川酒造の宣伝のようになってきたので、熊川分水の先に進みましょう。

続きを読む "国登録有形文化財がいくつもある石川酒造と大ケヤキと熊川分水と下の川の合流地点" »

2018年6月17日 (日)

拝島段丘の上を流れる熊川分水と下を流れる下の川に咲いている水芭蕉みたいな花

熊川神社のすぐ横を流れている水路があり、熊川分水といいます。

何の分水なのかと言えば、玉川上水からの水を取り入れています。

Img_7705_500x375

奥多摩街道と並行するように熊川地区の中心を流れ、福生南公園で下の川に流れ込んでいます。

4年半前に来た熊牛会館の近くにある料亭幸楽園の東側辺りから分水しています。

ちなみに「下の川」は一般名詞でなく川の名前です。

↓(クリックすると拡大します)

Img_7703_1024x768

全延長2000mで幅は1.2mと狭いですが、1日1000トンもの水が流れています。

承応3年(1791年)熊川分水の工事願いが提出されましたが、100年もの時間を経て様々な難しい問題を克服して、明治23年(1890年)にようやく完成しました。

工事期間中は延べ7000人余りの人が労働に従事しました。

Img_7706_500x375

この辺りは多摩川から数百メートルしか離れていませんが、拝島崖線の上の拝島段丘に位置しており、水には困っていたようです。

↑熊川神社近くの、崖線の下に降りる坂を下ってみます。

確かに実際に段丘下に降りてみると、だいぶ高低差があることがわかります。

Img_7707_500x375

ところで、よく車止めの上にちょこんと置いてあるモニュメントがありますが、ここのものは小鳥のようです。

なんとそれぞれに名前がついていました。

右から、スズリン、すずか、ビッグバード、スズラン、スメちゃん、パーチク、スズピー、花み。

Img_7708_500x375

続いて、ムー、チェリー、ちゅんた、ハニー、チュロ、チュッチュ、スズちゃん、リュウくんです。

福生第五小学校と書かれていたので子供たちのネーミングなのでしょうけれど、いかにもスズメという名前が多い中、時々微妙なものもあるのが面白いです。

ここには「下の川緑地せせらぎ遊歩道公園」がありますから、少しみてみます。

続きを読む "拝島段丘の上を流れる熊川分水と下を流れる下の川に咲いている水芭蕉みたいな花" »

2018年6月10日 (日)

都内で2番目に古い安土桃山時代に建築されたのに見ることと七福神巡りもできる熊川

前回、都内で一番古い神社建築である豊鹿島神社の本殿は、覆殿の中にあり外から見ることは出来ませんでした。

福生市にある熊川神社本殿も、建築物として東京都指定有形文化財となっています。

都内で2番目に古いということですが、今度こそ直接見てみたいものです。

Img_7679_500x375

熊川神社は平安時代の初め、多摩川で産鉄をしていた部族が、鉄神として白蛇神(宇賀神)を祀ったのが起源だそうです。

古代の礼拝塚(糠塚)が、後世、神社となったもので、古代の多摩川の砂鉄産鉄に大きく関わっていたといいます。

多摩川で砂鉄を採っていたということさえも知りませんでした。

Img_7680_500x375

↑カラスが水を汚さないようにということで、手水舎に蓋が被せてありました。

確かに、本殿近くの木の上で数多くのカラスの鳴き声がしていました。

この神社は礼拝大明神と言われたいたものが、明治時代から熊川神社という名称になったといいます。

Img_7687_500x375

↑まずは熊川神社の拝殿です。

この神社で、映画「ちはやふる-上の句-」と「ちはやふる-下の句-」の撮影が行われたそうです。

御祭神は大国主命ですが、昭和35年から交通安全のためにあった拝島不動尊も拝島駅改築に伴い、平成18年からここ熊川神社の御祭神の一柱とされたことが書かれていました。

Img_7695_500x375

↑いよいよ本殿ですが、覆殿の中とはいえ見ることが出来ました。

神様にお礼とお祈りしながらも、柱の隙間からさらに見させていただきます。

Img_7697_500x375

文化財の説明板によりますと、熊川神社本殿は、一間社流、見世棚造で、奥側の一間の身舎と手前側の向拝と呼ばれる二つの空間から構成されています。

反対側からも見てみます。

続きを読む "都内で2番目に古い安土桃山時代に建築されたのに見ることと七福神巡りもできる熊川" »

2018年4月15日 (日)

平安時代の延喜式神名帳にも載っている多摩八座の一つである阿豆佐味天神社

新青梅街道を西に走って武蔵村山市から瑞穂町に入るとすぐに、阿豆佐味天神社入口という交差点があります。

旧青梅街道でも同様に、阿豆佐味天神社前という交差点があります。

名前や読み方にちょっと興味があったので、その神社に行ってみました。

Img_7471_500x375

↑新青梅街道から北へ向かう旧青梅街道までの道には「阿豆佐味通り」という表示板がありました。

今は普通の道路ですが、以前は参道だったのでしょうか。

道の向こう側には、狭いながらも芝桜がきれいに咲いていました。

Img_7451_500x375

↑旧青梅街道から北は、大きな石碑も多数あり、参道らしくなっています。

左側の大きな社号標には文久三年と記されていますから、江戸時代末の1863年のものです。

また、そこには「延喜式」ともありました。

Img_7453_500x375

延喜式とは延長5年(927年)にまとめられた、「官社」に指定されていた全国の神社一覧である神名帳です。

武蔵国多摩郡では8ヶ所載っており、多摩八座といわれていますが、ここはその一つということです。

Img_7455_500x375

社伝によれば、寛平四年(892年)に桓武平氏の始祖である上総介高望王による創建とされています。

その後も、後北条氏から社領15貫文、徳川幕府から朱印地12石が寄進されており、地域の主要な神社だったようです。

↑明治6年(1873年)郷社に位置付けられており、「郷社」と記されています。

Img_7468_500x375

↑社殿の奥には狭山丘陵の木々が生い茂っています。

階段を上ると拝殿です。

Img_7457_500x375

天正十二年(1584年)、慶長三年(1598年)、享保年間(1716~36)には社殿の修復が行われているようです。

現在の社殿は明治二十七年(1894年)に改修されたものです。

ちょっと見て回ります。

続きを読む "平安時代の延喜式神名帳にも載っている多摩八座の一つである阿豆佐味天神社" »

2017年2月19日 (日)

瑞穂町の日光街道沿いの豪農の屋敷であったところは心を耕す館になっている

東京都西多摩郡瑞穂町の旧国道16号線(都道166号線)を通った時に「耕心館」という案内板を見かけ、以前から気になっていました。

どのようなところなのかと今回行ってみると、ここに面した道路には「日光街道」と書いてありました。

まずは、こちらが気になります。

Img_5645_500x375

調べてみると、千人同心街道という、江戸時代に八王子千人同心が日光勤番のために整備された八王子から日光までの脇往還の街道でした。

「八王子千人同心」とは八王子に配置された幕臣集団で、甲州口つまり甲斐国から武蔵国への入口の警備と治安維持にあたっていました。

Img_5647_500x375

日光にも行かなければいけなかったのでしょうか、大変っだったことでしょうう。

この辺りの箱根ヶ崎は宿場町だったようです。

↑そして、気になる耕心館は周囲に塀をめぐらし、豪壮な母屋と二棟の土蔵から成る邸宅で、屋敷森に囲まれ、武蔵野の旧家のたたずまいを残しています。

Img_5630_500x375

ここは瑞穂町の社会教育施設で、豪農であった旧細渕家を町が取得して再整備しました。

母屋の母型は江戸時代末期の築造で、当時豪農として、その後は醤油醸造業、養蚕業が営まれていた細渕家がありました。

Img_5637_500x375

↑現在は1階はカフェ「ストーリア」となっており、2階は演奏会・展覧会が行われる施設となっていて、この日はコンサートが開催されていました。

そのため、中には入れませんでしたが、2階は整備されたとはいえ、養蚕のための家屋構造も見られるといいます。

Img_5636_500x375

↑左の離れ和室は、大正時代に増築されたもので、特に和室の書院障子の木組みなどは、大正時代の建具の実例として貴重なものといいます。

これらは昭和50年代にフランス料理店として改装されてしまいましたが、平成12年に瑞穂町が取得、耕心館として整備しました。

また、土蔵もあります。

続きを読む "瑞穂町の日光街道沿いの豪農の屋敷であったところは心を耕す館になっている" »

2016年9月18日 (日)

檜原村には滝が13もあるというので滝巡りをして吉祥寺滝と中山の滝を見に行く

払沢の滝に行ったら、檜原村には滝が13もあり滝巡りが出来ると書かれていたので、いくつか行ってみることにしました。

と言っても、この日は車で来ているので駐車場があることが条件となってしまいます。

Img_4974_500x375

なんと、村の中心部、檜原村役場のすぐ近くに滝があるようです。

渓谷や滝が至るところにあるのが、この檜原村のすごいところで、役場前にある橘橋の下も橘渓谷となっています。

川沿いに遊歩道が整備されているようですが、ここは繋がっていないようです。

Img_4973_500x375

↑この南秋川はこのすぐ先で北秋川と合流して、秋川への流れとなります。

一旦道路に戻り、左に進むと吉祥滝という名のバス停がありました。

ここには目の前に吉祥寺という寺があり、川に向かって下りていく階段がありますから行ってみます。

Img_4978_500x375

↑ここも橘渓谷なのでしょう。

ゴウゴウと音をたてて流れる渓流は迫力があります。

しかし、少し段差はあるものの滝ではないような気がします。

上流に向けてある遊歩道は、途中で工事中で通行できなくなっています。

Img_4992_375x500

また上がって都道まで戻り、右に少し曲がると吉祥寺滝という看板を見つけました。

↑下りていくと、さらに大きなゴウゴウという音が聞こえてきます。

この滝は吉祥滝とも言われ、奥行き3段約20mあり、落差も4mあります。

Img_4986_500x375

↑滝の中間部は川幅も狭く、近づくのが怖いほどです。

近過ぎて、滝の全景がカメラに入りきらないのが残念です。

下流に向けて、勢いよく流れていきます。

続きを読む "檜原村には滝が13もあるというので滝巡りをして吉祥寺滝と中山の滝を見に行く" »

2016年9月11日 (日)

日本の滝100選に東京都からは唯一選ばれている払沢の滝に行ってきた

滝といえば、山の中にあるものですから、東京都にはあまり大きな滝や有名な所はないと思っていました。

しかし、檜原村に「払沢の滝(ほっさわのたき)」があり、これは日本の滝100選の一つだということなので見に行くこととしました。

Img_4929_500x374

JR武蔵五日市駅からもだいぶ遠いようなので、車です。

あきる野市を通り過ぎ、檜原村に入る辺りから景色も変わり、秋川沿いに進んでいきます。

しばらく進むと村役場などのある檜原村中心部から近いところで、都道から左折すると、すぐ先に駐車場が整備されています(駐車場にあった看板です↑)。

Img_4931_500x375

そこからは滝まで歩いて15分と書かれていました。

坂道ですが、木材チップが敷き詰められており、踏み心地気持ちよく歩くことができます。

周囲は杉林で、いかにも山中に来たなあという感じです。

Img_4933_500x375

ずっと川沿いを登っていくので、水音を聞きながら進みます。

小さな滝は数多くありますが、途中には一カ所だけ名前の付けられたものがありました。

Img_4934_500x375

↑「忠助淵」と書かれたプレートが写真右上に小さく写っています。

やがて、川の上に小さな橋がかけられている所が見えます。

しかし、細くて渡るのは怖そうだなと思いながら近づくと、橋ではありません。

Img_4935_500x375

水道管とその保護のためのカバーのようです。

この辺りからは、水辺に近づくことが出来るのですが、地域の水道水として使われているので水に入らないようにとの注意看板が数多くありました。

飲料水にもなるのだから、きれいな水なのでしょう。

続きを読む "日本の滝100選に東京都からは唯一選ばれている払沢の滝に行ってきた" »