国立市ではなく府中市にある谷保天満宮発祥の地と用水路と大山道
受験のシーズンとなりましたが、学問の神様という菅原道真を祀った天神様に参拝する人は多くいます。
東京では湯島天満宮(湯島天神)、亀戸天神社、次に谷保天満宮が有名でしょうか。
府中市日新町にさほど広くは無いものの、赤い旗や鳥居の目立つ神社があります。

日新稲荷神社ですが、ここには気になる碑がありました。
キレイに磨かれた石なので、光が反射して見づらいですが、「谷保天満宮発祥之地」と書かれています。

菅原道真は昌泰4年(901)太宰府に左遷された際、同時に4人の子供達も左遷や流罪となり、 第三子の菅原道武は 武蔵国多摩郡に流されました。
父道真が2年後に太宰府で没し、延喜3年に道武は父の像を祀ったのが 谷保天満宮の創建とされています。

道武の子孫は津戸の姓を名乗り,鎌倉時代に源頼朝に仕えていた津戸三郎為守が、治承5年・養和元年(1181)にある神社を国立市谷保に遷したといいます。
日新稲荷神社だけに書かれているのでなく、谷保天満宮公式HPにありますから、ここが発祥の地のようです。

府中市と国立市の市境を跨いで移転していますが、当時はそんな市はありませんから当然なのでしょう。
また、谷保天満宮はヤホではなくヤボと読むことをはじめて知りました。
ところで、最初の写真の左端には蓋掛けされた水路があります。
ちょっと100メートルほど上流の都道20号府中相模原線(府中四谷橋への道)沿いを見てみました。