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2020年5月24日 (日)

都内に2箇所しか残っていない蔵敷高札場と2つの本殿があるような厳島神社

江戸時代に禁制や法令を伝えるための板札である高札を掲げたところを高札場といいます。
当時はそこらじゅうにありましたが、現在は都内に二箇所しか残っていません。
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↑その一つが蔵敷高札場で、東京都旧跡に指定されています。
慶長8年(1603)の年貢に関する高札が最初に掲示されたものといいますが、この年は徳川家康が江戸幕府を開幕した年ですから驚きです。
青梅街道沿いにありますが、蔵敷のバス停の待合所のようなイメージで、これまで気付きませんでした。
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高札場とはもっと大きな高いものだと思い込んでいましたが、この蔵敷のものは比較的小さめです。
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蔵敷高札場の近くの青梅街道沿いに厳島神社という看板があり、こちらも気になっていました。
↑狭山丘陵に登っていくところに蔵敷厳島神社の鳥居があります。
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↑鳥居をくぐると、参道の石段です。
以前は弁天社といわれ、創建は永禄12年(1569)または天正6年(1588)とされています。
前回見た蔵敷熊野神社と同様に、内野家と小嶋家文書で若干の違いがあるようです。
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石段を登り切ると社殿があります。
こちらが本殿のようですが、両脇にはなぜか階段があります。

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2020年5月17日 (日)

数少ない聖徳太子信仰の太子堂のあるクラシキではないゾウシキと蔵敷熊野神社からの眺望

かつては、一万円札にも五千円札にも肖像画が描かれていた聖徳太子はとてつもない偉人であり、しかも超人であるように習ってきました。
しかし、今ではあの絵のモデルはそもそも本人か不明として、「伝聖徳太子画像」とされています。
実在しなかったかもしれないともいわれ、少なくとも厩戸皇子、厩戸王と書かれています。
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↑以前はヒーローですから、ここには江戸時代に聖徳太子を信仰する太子堂があり、「蔵敷太子堂」として東大和市史跡に指定されています。
多摩郡山口領では太子堂はここだけにしかないそうです。
山口領とは、現在の東大和市、武蔵村山市、東村山市一帯と一部の周辺市の範囲です。
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この裏は狭山丘陵になっており、上には神社らしきものが見えますから行ってみました。
蔵敷は、クラシキと読むものと思い込んでいましたが、ゾウシキだそうです。
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そこには、蔵敷熊野神社があります。
丘陵の斜面に建てられており、急な石段の上にあります。
鳥居後ろの石碑には、武蔵国多摩郡蔵敷村、村社熊野宮と書かれています。
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明治15年に鳥居、石階、石橋が造られたと刻まれているようです。
↑参道左には、もう一つ別の参道もあるようです。
まずは、右側の石段を登ります。

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2020年5月10日 (日)

小平霊園内で行われている道路工事と新青梅街道側入口前のサイゼリヤの想定外の後継店

小平霊園は、小平市、東久留米市、東村山市に跨る広い敷地の都立霊園です。
外出自粛のため、遠出できない数多くの人が散歩やジョギング、犬を散歩させたり、ヤギを散歩させている人もいました。
その新青梅街道側のお盆時期しか車は入れない、通常は歩行者、自転車用の入口を入ると、すぐのところで工事が行われています。
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新青梅街道に沿った道路の舗装が剥がされて、砂利道となっています。
道路排水とともに道路(園路)整備をするようです。
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↑働き方改革の一環なのでしょうか、「週休2日確保試行工事」と書かれています。
小平霊園内では近年こうした工事が順次実施されているようで、既に完了したところはこんな様子です。
V型側溝に雨水を流し、集水桝で集めるようですが、雨水浸透桝ではなさそうです。
小平霊園内では、最近こうした工事が順次実施されており、既に完了したところはこんな感じです。
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幻の湧水と言われている「さいかち窪」に水が湧いた様子を、何度かこのブログでも見てきました。
その時には、さいかち窪の敷地に向けて南から流れ込む水流もあった気がします。
あれはこうした道路排水だったのでしょうか。
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↑この日はいつものように、さいかち窪に水は無く、ここから北の黒目川への流れは枯れています。
小平霊園内や周辺に浸み込んだ雨水が集まって、さいかち窪の湧水になっているはずです。

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2020年5月 3日 (日)

小平市の小川駅付近を東西に立体交差する都市計画道路の事業が進められている

西武拝島線と西武国分寺線の小川駅の西口には、南北方向に富士見通りという広い道路が通っています。
しかし、その道を南に向かうと、西武拝島線の手前で細い路地となってしまい、直角に西向きのこぶし通りという道路と繋がっています。
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南北方向の道は、小平3・4・21号線という東村山市富士見図書館の辺りからここまでの開通済みの都市計画道路です。
もう一方の、東大和市方面に向かって西武拝島線と平行して真っ直ぐ西に向かっている道は。小平3・4・10号小平大和線という別の都市計画道路です。
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この東西方向の都市計画道路の東に向けての延伸計画が事業化されています。
平成28年に策定された都による第四次事業計画でも、優先整備路線に位置付けられています。
西から東を見ると、現在は畑で、その先には家屋等があります。
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さらにその向こうには西武国分寺線と北に向きを変えた拝島線の線路があります。
その場所の様子を見ようと行ってみましたが、家屋等の建物が線路に沿ってあり、左には行けなくなっています。
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↑4階建ての建物の先の辺りで、この道路を横断するように計画線が通っています。
この道路計画は線路の下をアンダーパスする単独立体交差事業となっています。
先程の道を100メートルほど南に行って、西武拝島線の踏切から立体交差となる方向を見てみました。
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わかりにくいですが、新宿方面に東に向かっていた西武拝島線はここで北に向きを変え、同じく北向きの国分寺線とすぐ先で合流するところです。
その合流直前辺りが道路計画線です。
線路の向こう側(東側)には道路があるようなので、そちらから見てみることにします。

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2020年4月26日 (日)

本殿に三面ある江戸時代の彫刻を見ることができる大和田氷川神社

4月25日から5月6日までの「ステイホーム週間」前の先週末のことです。
新座市のOSCデオシティ新座に近い柳瀬川沿いには、多くの人が散歩などをしていました。
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外とはいいながらも、この人道橋の上などは「3密」が心配となるような感じでした。
所用で行った新座市大和田のこのすぐ近くに、氷川神社があるというので立ち寄ってきました。
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↑道路である埼玉県道113号川越新座線からの入口には赤い神橋があり、蓋掛けされていますが間に水路があったようです。
大和田の氷川神社は、縁起によると延暦21年(802)の創建といわれる神社です。
平安時代初期ということになります。
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↑赤い三ノ鳥居は、両部作りといわれるものでした。
この氷川神社のある大和田一帯は、古くから鎌倉幕府の支配する土地である国衙領だったそうで「大和田郷」といわれていました。
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↑狛犬のすぐ奥には、さらに一対の狛犬がいますが、こちらは江戸時代のもののようです。
拝殿には、やはり氷川神社だなあと感じられる太く立派な注連縄が飾られていました。
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↑入母屋造りの本殿は、江戸時代の享和年間に再建されたものです。
正面に千鳥破風と唐破風の向拝を付けています。
さらに、この本殿には素晴らしい彫刻があり、しかも見ることが出来ます。

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«西新宿にある銀世界稲荷という名の神社と2年前の記憶とのつながり