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2019年10月20日 (日)

瑞穂町で不老川の源流はどこにあるのか流れを遡って探してみる

不老川は、主に埼玉県内を入間市、所沢市、狭山市を通り、川越市で新河岸川に合流する河川です。

埼玉県道179号所沢青梅線の入間市宮寺の上流浄化施設のある辺りが、正式には上流端になります。

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しかし、いつものパターンですが、ここからさらに上流にも川の流れがあります。

そもそも上流端に浄化施設が必要なわけありません。

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↑東京都瑞穂町の上流方向を見ていますが、写真では混乱を招くことに矢印があり埼玉県と書かれています。

これは道路が東京都と埼玉県の境界となっており、ここから手前側の道路を埼玉県が管理する補修境界を示したものです。

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↑奥に見えていたのは、東京都瑞穂町の元狭山雨水調整池です。

都内の水で埼玉県に水害の迷惑をかけないようにということでしょう。

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↑南へ上流を目指して進むと不老川の流れはこの少し先、国道16号線の瑞穂第三小入口交差点すぐ近くで暗渠となってしまいます。

しかし、さらに南に行くと、学校通りから南方に、いかにも下に水路がありそうな道があります。

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すこを南に進むと、高根通りのところから再び水路は姿を現します。

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これはGoogle マップでも描かれており、少し先で西へと向きを変えます。

wikiによると狭山池の伏流水が水源と書かれていましたが、実際に流れを辿ってみると、こちらの流れが本命ではないでしょうか。

先を急ぎます。

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2019年10月13日 (日)

入間市宮寺にひっそりと鎮座する出雲祝神社が延喜式神名帳の入間郡5座か

多摩湖や狭山湖のある狭山丘陵の北を通る県道所沢青梅線を西に向かい、所沢市を抜けると入間市宮寺です。

県道からは奥まった小高い丘の上に出雲祝神社があります。

北側からの参道は通行できなくなっていました。

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表参道は東側にあるようです。

村社出雲祝神社と書かれています。

説明板には、延喜式内社で第十二代景行天皇の時に創建され、大宝2年(702)に再建されたとあり、その棟札もあるようです。

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平安時代の延喜式神名帳にある入間郡5座のうちのひとつということです。

しかし、階段を数段上ると一ノ鳥居があり、そこには寄木宮と書かれています。

鳥居の奥の参道の右には旗竿と思われる長い木が屋根付きで置かれています。

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延喜式内社の出雲イワイ神社は、いくつかの論社があるようです。

2年前に行った毛呂山町にある出雲伊波比神社も論社の一つです。

参道を進むと、さらに階段があり、二の鳥居へと続きます。

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↓二の鳥居の奥に拝殿があります。

右には境内社の八雲神社、左には護国神社があります。

その右には社務所らしい建て替え中の建物がありました。

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出雲伊波比神社の本殿は室町時代の建築で重要文化財にも指定されていましたが、出雲祝神社の方は歴史的なそういった建築物はないようです。

しかし、こちらには戦国時代の弘治3年(1557)の北条氏康からの朱印状が残されており、そこに「出雲祝神社」と記されています。

その他の状況はどうでしょう。

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2019年10月 6日 (日)

自転車で浦所バイパスの所沢インター周辺を右側歩道に迂回しないとどうなるのか

浦和所沢バイパスを西行きに進むと、国道254号線との英インターを越えた「坂の下交差点」の歩道上に案内板があります。

「歩行者自転車のみなさまへ」とあり、図の通り「迂回願います」と書かれています。

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関越自動車道の所沢インター出入口があるところは、多くの車が左へ高速道路に入っていきますし、逆に左からバイパスに合流してきます。

自転車は車道走行が原則とはいえ、そのまま車道を直進するのは危険なのはわかります。

しかし、右側歩道を自転車で走行することをいやがるサイクリストもいそうなものです。

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左側歩道を通ってでも迂回すれば、それで良さそうなものですが無理なのでしょうか。

↑試すために、そのまま西へ左側歩道を走行していくと、700メートルの結構長い登り坂の先に所沢インターの入口があります。

そのさらに左には歩道が続いているように見えますが、40キロ制限の標識があることから自動車も通れる道路です。

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↑そのすぐ横にある所沢インターは、バイパスの東行き西行きの両側からの入口車線と出口車線、インターチェンジの料金所もある広い敷地となっていますから、先程の道路は大きく左に南西へと逸れていきます。

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↑やがてこの道は下り坂となり、インターチェンジ施設は擁壁の上で見えなくなっていきます。

そして関越自動車道の東京方面行きに沿って南に向かい、さらにこの道は東向きとなってしまいます。

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このままでは浦所バイパスに戻れなくなりますから、この関越自動車道をアンダーパスで潜ることとします。

↑右奥から来たので、ここでUターンして西に向かいます。

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↑高速道路を潜って振り返って見ています。

二本トンネルがあるのは、手前は下りの所沢インターへの出口車線で、奥のものが本線です。

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この道を先に進むと、下り車線の出入口のインターチェンジ施設に沿って、時計回りに北へと向きを変えながら登り坂となっています。

↑振返ると、掘割下が左の新潟方面への本線で、下り車線の出入口が本線を跨いでいくのが見えます。

もうそろそろ浦所バイパスに戻れそうです。

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2019年9月29日 (日)

薬師池公園の名勝正式名である福王寺旧園地という謎と国指定重要文化財や都指定有形文化財などの旧家建築物

東京都指定名勝となっている町田市の薬師池公園ですが、正式には「福王寺旧園地」という名称で指定されています。

薬師池という位ですから薬師堂があるようなので行ってみます。

ただし、地図や案内板には薬師堂の表示はありますが、福王寺という表示はないので、その辺も確認してみます。

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↑公園内の階段の登り口の所に「薬師堂参道」と書かれています。

階段を登っていくと、まずは巨大な御神木がまず目をひきます。

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現在は「野津田薬師堂」と言われているこの薬師堂は、奈良時代である天平年間(729〜749)行基の開基と伝えられています。

しかし、鎌倉時代末期の新田義貞の鎌倉攻めの時に焼失してしまったようです。

200年以上後の元亀4年(1576)にこの地に福王寺として再興されました。

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↑現在の薬師堂は明治16年(1883)に再建されたものです。

前回見てきたように農業用水池として薬師池が作られた頃は、福王寺溜井と言われていたそうです。

そのため、正式名は福王寺旧園地です。

この薬師堂は華厳院というここより1キロメートルほど北にある寺院により管理されており、どうやら行基開基といわれているのはその華厳院のようです。

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福王寺溜井は寛永年間(1624~43)に作られたと前回書いたのは、公園内の東京都教育委員会による名勝の案内板によるものでした。

しかし、園内の別の案内板をには、戦国時代の天正5年(1577)滝山城主としてこの辺りを支配していた北条氏照の許可によって、周辺農民により十数年かけて農業用水池として開拓されたとの表記もありました。

どちらが正しいのでしょうか。

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↑薬師堂からさらに階段を登っていくと、視界が開け、この薬師池公園を東から南を通り西へと取り囲んでいる尾根道にでます。

ここは標高100メートルを超えていますから、池の辺りとの高低差は35メートルもあります。

この薬師池公園は日本の歴史公園100選にも選ばれていますが、国指定重要文化財や都指定有形文化財の建物があるのでそちらも見てみます。

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2019年9月22日 (日)

新東京百景で東京都指定名勝でもあり日本の歴史公園100選にもなっている町田市の薬師池公園

薬師池公園は1982年には「新東京百景」に選ばれ、さらに1998年には「東京都指定名勝」に指定されました。

その上2007年には「日本の歴史公園100選」に選定されたという町田市を代表する公園です。

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↑都道18号府中町田線(鎌倉街道)がこのすぐ左側を通っているのですが、ここは薬師池という池があるように周囲より低い標高66メートルほどになるため静かです。

道路が10メートルほど高い位置にあるため、幹線道路沿いであることを感じさせない落ち着いた雰囲気です。

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↑池の南から北を見ると、東も西も土地が高くなっていることが分かります。

しかし、ここは自然の池ではなく、江戸時代に人工的に造られたものだそうです。

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↑二連の太鼓橋が架かっています。

寛永年間(1624〜43)に、ここを農業用水池にするために耕地を潰して溜井にしました。

長さ70間(126メートル)、横28間(50.4メートル)もの大きさで、十数年間かけて築いたそうです。

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↑逆に北から南を見ていますが、東と南と西を尾根に囲まれたような地形なので、自然にも水は溜まりそうなところです。

案内板をみると、「大滝」があるというので見に行きました。

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↑水の音がするので近づいてみると、「えっこれが大滝?」と思うような小さい滝でした。

位置としては池の西側の斜面の途中になります。

水量は豊富なようで、水は高いところから低いところへ勢いよく流れていきますが、この薬師池にも苦労の歴史があるそうです。

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