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2020年8月 2日 (日)

さいたま市の二ツ宮には二宮神社があるのではなく二つの宮が並んでいる

さいたま市西区には二ツ宮という地名があります。
二ノ宮神社があるのかとも思い、近くに所用があったのでちょっと神社を探してみました。
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↑氷川神社の鳥居と参道があります。
さいたま市の氷川神社といっても、武蔵国一ノ宮の氷川神社ではありません。
村社 氷川神社と書かれています。
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↑左奥の方にあるのが氷川神社の鳥居ですが、右にも鳥居があります。
ここには八幡神社があります。
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二ノ宮神社があるのではなく、氷川神社と八幡神社の二つのお宮があることから二ツ宮という地名となっています。
慶安2年、3年(1649、1650)の「田園簿」に既に二ツ宮という村名が記載されていたそうです。
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江戸時代初期にはこの辺りは開発されており、既に二つの神社があったようです。
↑二つの鳥居の中間から境内を見てみると、社殿らしきものはあります。
氷川神社も八幡神社も参道の正面に社殿があるはずですが、中間にも社殿があるようにも見え、どう配置されているのかわかりません。

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2020年7月26日 (日)

秋川を挟んで対岸にある雨間の雨武主神社の鳥居場とアーチの美しい東秋留橋

2ヶ月前に行った200段もの石段の上にある雨武主神社には、後で帰ってから調べてみて、離れたところに一ノ鳥居があることを知りました。
気になっていたそこに行ってみました。
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雨武主神社は秋川の右岸つまり南側にあるのですが、ここは左岸つまり北側になります。
鳥居場というそうで、Googleマップにも載っていました。
一ノ鳥居だけかと思っていましたが、道路というか参道を進むとニノ鳥居もありました。
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しかも、立派な両部鳥居です。
この形は厳島神社のものが有名です。
この鳥居のすぐ先に遥拝場があります。
秋川対岸の雨武主神社本殿まで行かなくても、ここでお参りできるようにということです。
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高さを考慮しない直線距離でも660メートルほどあります。
秋川の対岸からも参拝するということは、地元の鎮守様なだけでなく、かなり広域的な神社だったのでしょうか。
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↑天神山の頂上近くに本殿はあります。
あちら側でも長い石段を登らなくてはいけないので、明神山の石段手前にも賽銭箱がありましたから、3箇所で参拝できることになります。
遥拝場の辺りは木々に覆われていましたが、すぐ先の秋川沿いに行くと、明神山がよく見渡せます。
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こちらから秋川を渡って雨武主神社本殿まで行こうとすると、どのくらいの距離があるのでしょうか。
また、もう一つの疑問である、この地区の雨間の鎮守様というだけの存在ではなかったかも気になります。

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2020年7月19日 (日)

【後編】日の出山荘で実際にロンヤス会談が行われた天心亭とゴルバチョフ大統領と有名な句碑

日本の中曽根康弘首相とアメリカのロナルドレーガン大統領のよる日米首脳会談が行われた場所の続きです。
前回はレーガン大統領夫妻を茶の湯で接待したり、会食したりした青雲堂を見ました。
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↑こちらは実際の首脳会談が行われた天心亭です。
どちらも、東京都西多摩郡日の出町にある当時の中曽根首相の別荘である日の出山荘です。
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↑部屋の中には、やはり昭和58年(1983)11月の報道写真が飾られています。
ここの窓から二人で外を見ているところですが、見れば記憶に残っています。
建物の向こう側は土地が低くなっており、天心亭は石垣の上に築かれています。
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かなり小さな建物であることがわかりますが、約25平方メートルしかありません。
こんな狭いところで日米の首脳が会談したとは驚きです。
しかも、周辺道路等の警護のためでしょうが、3600人もの警察官が日の出町に動員されたというから大変です。
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↑木々が多く、なかなか建物全体を見ることができませんが、手前が天心亭で、奥に見えているのが青雲堂です。
明治時代の芸術家である岡倉天心から名付けられたということです。
中曽根首相はこの別荘に滞在する際は、この天心亭で寝泊りしていたそうです。
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↑さらに奥には書院という建物があります。
こちらは新しく平成元年(1989)に迎賓館として建てられた建物です。
二つの建物と違い、中に入ることが出来ます。

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2020年7月12日 (日)

ロンヤス会談が行われていたのをニュースで見たことのある自然いっぱいの日の出山荘

日本の総理大臣は、アメリカの大統領とファーストネームで呼び合うような密接な関係を築こうとしています。
その先駆けは中曽根首相であり、パートナーはレーガン大統領でしょう。
それを印象付ける歴史的舞台としてニュースに登場したのが、日の出山荘でした。
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↑日の出町にありますが、駐車場の辺りから今来た道を振り返れば、都内とは思えないようないい景色です。
少し手前に広い駐車場がありましたが一台も停まっておらず、「この先にも駐車場あります」という看板もあり250メートルほどですので、そちらに行ってみることとします。
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↑100メートルほどすると、真ん中の細い道のところに小さく「日の出山荘」と書かれた表示板があります。
車一台がやっと通れるくらいの道幅です。
総理大臣と大統領が来たところと思い甘く見ていましたが、やはり山荘です。
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路面を川のように水が流れており、対向車が来たらどうしようかとヒヤヒヤしながら100メートルほど登り坂を進むと、車が数台は停められるスペースがありました。
やはり、ここにも車はありませんでした。
↑道の横には小川が流れており、小さな滝もあります。
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↑少し徒歩で登り坂を行くと、日の出山荘はあります。
さらに「中曽根康弘・ロナルドレーガン日米首脳会談記念館」と書かれています。
しかも「中曽根康弘 書」とありますから、本人の自筆のようです。
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日の出山荘は中曽根元総理から日の出町に寄贈され、町による指定管理者の運営する記念館となっています。
↑入場料300円を支払ってパンフレットをもらい受付の建物の外に出ると、案内図があります。
大きくは三つの建物があるようです。

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2020年7月 5日 (日)

東久留米市指定史跡4つのうち2つや有形民俗文化財もある柳窪と登録有形文化財

東久留米市内には、まず東京都指定文化財(史跡)として新山遺跡、下里本邑遺跡、米津家大名墓所があります。
東久留米市指定文化財(史跡)は4つあります。
その一つが柳窪5丁目にある筆子塚です。
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筆子とは江戸時代から明治期にかけて、寺子屋などで手習を受けた人たちのことで、その師匠を偲んで造ったそうです。
この筆子塚は、安永4年(1775)に造立された市内最古のものです。
墓地の中にこうしたものがあるとは知りませんでしたが、お参りさせていただきました。
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↑墓地入口には市指定有形民俗文化財もありました。
地蔵菩薩石像で、宝永3年(1706)造立の市内では2番目に古いものだそうです。
柳久保村とも書かれていますが、柳窪と柳久保の両方が使われていたようです。
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↑史跡の方のもう一つは柳窪4丁目にある柳窪梅林の碑です。
江戸時代終期の安政4年(1857)に造られた石碑で、梅の植樹をしたことが記されています。
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↑何回か来たことのある柳窪天神社の境内にあります。
碑に、「来梅ノ荘の里」や「来梅川」と書かれており、東久留米の「くるめ」の名称が初めて登場します。
神社の目の前は、くるめの由来と言われる黒目川は流れています。

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