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2017年3月26日 (日)

稲城市ではなく川崎市にある若葉台駅とそこにできるテレビ朝日若葉台メディアセンター

京王相模原線の若葉台駅は地区センターとして開発されていますから、駅前に様々な商業施設があります。

アップダウンの多い多摩丘陵の斜面を開発したため、若葉台駅北口前にも道路がありますが、さらにエスカレーターを上ったところに、バスやタクシーの発着所のある駅前広場があります。

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駅北口側は東京都稲城市になっていますが、駅南口側は神奈川県川崎市です。

↑エスカレーターや右側の道路は稲城市ですが、若葉台駅ホームや京王線線路は川崎市にあります。

北口にいろいろな施設や建物があるのに比べて、南口駅前にはあまり商業施設はありません。

駅前広場にも車では入れなくなっているようですが、子どもが遊んでいたりしてのどかでいい雰囲気です。

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この先にある県道にかかる歩道橋までこの遊歩道は繋がっていて、利便性は考えられています。

こうして開発によって作られた街は、歩車分離がなされているとことがいいです。

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↑再び北口に戻りエスカレーターで一段上がると、こちらも北に真っ直ぐ続いていく遊歩道があります。

すぐ先ではさらにエスカレーターで上がっていくという地形となっています。

駅から歩いて5分ほどのところに、「テレビ朝日若葉台メディアセンター」ができます。

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テレビ朝日の公式サイトで詳しい情報を得ようと探したのですがあまりなく、「ゴーちゃん、若葉台メディアセンターに行って来ました!」という2月6日付のブログ記事があるくらいでした。

南側正面の窓には大きなゴーちゃんがいます。

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遊歩道側にはオブジェのようなものがあり、「tvasahi」と読めるようになっているのでしょうが、その角度を探してみましたがうまく見えませんでした。

今は敷地内に入れませんが、近くに寄って見ればいいということでしょう。

奥には2月にも行ったコーチャンフォーの建物が見えています。

周囲を一周するとともに、いろいろ調べてみました。

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2017年3月19日 (日)

デパート屋上に観覧車がビルトインされている不思議な名前のセンター北駅と古墳へと発展しそうな方形周溝墓のある歳勝土

子供の頃は、デパートに行く楽しみの一つに屋上の遊園地がありました。

観覧車などの遊具が数多くありましたが、今ではすっかり珍しい存在となってしまいました。

それが、「モザイクモール港北」という、センター北駅前の「都筑阪急」の屋上にはあります。

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屋上にある観覧車というと、もう少し小さいイメージですが、ここにあるものは直径45mもあります。

首都圏では初めての、そして現在でも唯一であるビルトインタイプの観覧車で、高さは地上67mなります。

後から屋上に設置したのではなく、ビル建設当時から建物の構造の一部として設計されて、建物の構造に組み込まれているようです。

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確かに後からこの大きさのものを設置したら、不安定でしょう。

ところで、この「センター北駅」という名称にはちょっと違和感を感じます。

大抵は「〇〇センター北」とかいう名前にして、どこにあるのか、何の施設のセンターなのか、わかるようになっているように思います。

横浜市営地下鉄の駅ですから、市民は当然、港北ニュータウンの中心市街地であるセンターだとわかるに決まっているということでしょうか。

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ここは地形的にも特殊のようで、あざみ野駅から来た地下鉄ブルーラインも、日吉駅から来た地下鉄グリーンラインも、このセンター北駅で地下から地上に出て来て、センター南駅で再び地下に潜り、それぞれ中山駅方面と横浜駅、湘南台駅方面へと向かいます。

↑センター北駅から南駅を向いていますが、右がブルーラインは横のサードレールから電気を取り入れており、左のグリーンラインは上の架空電線からパンタグラフで電気を取り入れているので景色が違います。

この辺りは、早渕川を挟んで谷となっていますから、このセンター北駅とセンター南駅間は地上でしかも高架上を走っているのです。

センター北駅の辺りの標高は31m、センター南駅の辺りも標高は31mです。

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早渕川のところでは標高は13mと低くなっています。

↑前回から見てまわっている大塚歳勝土遺跡公園は高台にあることがわかりますが、茅ヶ崎城址公園とは早渕川を挟んで反対側となります。

北と南にこうした地形となっていますから、この早渕川はかつては水量の多い急流の川だったことでしょう。

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港北ニュータウンの開発で地形も大きく改変されていますから、以前の様子はわかりません。

↑しかし、遺跡は大塚・歳勝土遺跡公園は標高50mほどの高さがありますが、公園として保全され、そこには地形模型があります。

前回見た大塚遺跡の弥生時代の住居跡でしたが、歳勝土遺跡は墓地があったところです。

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2017年3月12日 (日)

弥生時代に既に空堀や土塁があった大塚歳勝土遺跡、当時は都筑まもる君がいなかった

今から2000年ほど前の、この地方で稲作を始めた人々の暮らしていた、弥生時代中期のムラとその墓地が一体的のわかる貴重な遺跡も横浜市都筑区にあります。

大塚・歳勝土遺跡として国指定史跡となっています。

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弥生時代の住居跡に竪穴住居が復元されています。

大塚遺跡は外周600mに及ぶ大きな溝を廻らせた大規模なムラ全体が発掘され、85軒もの竪穴住居跡と25棟の高床倉庫があったようです。

↑これは中型住居で標準的な大きさです。

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↑大規模な住居もあり、ムラ長の住居だったようで集会所としても使われていたといいます。

いずれも中に入れるようになっており、結構しっかりした作りになっていることから当時の技術水準に驚かされます。

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↓竪穴住居の発掘跡が保存されています。

2回の建て替えが行われたことがわかり、壁の一方には通路があったこともわかったそうです。

こうした発掘とその検証の技術の高さにも驚かされます。

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ところで、竪穴式住居とか高床式倉庫とか、歴史の授業では「式」が入って教えられた気がしますが、案内板には「式」無しで表示されています。

現在の山川日本史の教科書を見てみると、確かに竪穴住居、高床倉庫と記載されていました。

その高床倉庫も復元されています。

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柱にはネズミ返しという侵入を防ぐためのものも既に設置されていたといいますから、予想以上に発達した社会です。

このムラの周りには溝があったといい、さらには柵も廻らされていたと言います。

幅4m深さ2mもあったといい、復元されていますが、弥生時代から何のためにあったのでしょうか。

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2017年3月 5日 (日)

早渕川からの崖の上にあって高低差を実感できる茅ヶ崎城の郭や土橋

前回に続き、横浜市都筑区にある中世城郭の様子がよく保存されている茅ヶ崎城址公園を見て回ります。

横浜市指定史跡となっています。

ここは案内板がとても丁寧で、郭についても説明されています。

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最初に見た地図とは上下が逆で、北が上になっています。

北郭、西郭、中郭と見てきましたが、その中郭の南側から次に東郭に向かうと、まず一旦下り、その先は急な上りとなっています。

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中郭と東郭の間には幅14m、深さ7mの空堀がありましたが、この2つの郭は土橋で繋がれていたようです。

土橋があったら、簡単に攻め込むことができてしまい、防御の上では不利のように思われます。

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しかし、この土橋は中郭よりも2m低い位置で、東郭からは4mも低い位置でしたから、東郭に向けては何かに掴まらなければ登れないほどの旧斜面だったといいます。

そして、この茅ヶ崎城では一番高い標高35mのところに東郭があります。

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この東郭が主郭と考えられており、南北幅50m、東西幅20mもの広さがあります。

建物の跡などは見つかっていません。

ここからは遠くが見渡せ、かつては鎌倉道「中の道」が近くを通っている交通の要衝でしたから、軍事上も有利だったことでしょう。

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東に中原街道、西に大山道も通っていますし、すぐ近くの早渕川沿いの道は神奈川湊と武蔵国府を結ぶるルートでした。

現在は、左の方に横浜市営地下鉄センター北駅前の商業施設の賑わいも見ることができます。

また、家の屋根が低いところに見えますが、少し向こう側はさらに低い土地となっているようで、かなり下に屋根が見えます。

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東郭から出て南側を戻り下っていくと、東郭虎口があったと思われるところがあります。

ちょうど先程の、中郭と東郭間の土橋のあった空堀につながるような位置になります。

この南側斜面の下には、根小屋という城下町のようなものがあったようです。

中世の城では城主や重臣たちは、主郭や本丸には住んでおらず、麓の根小屋に居住していて、戦になると城に籠って戦っていたそうです。

4つの郭以外にもいろいろあるようなので、さらに見てみます。

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2017年2月26日 (日)

茅ヶ崎城址は横浜市都筑区にあり中世城郭の空堀や土塁が良好な状態で見られる

茅ヶ崎城と言われれば、普通の人なら茅ヶ崎市にあると思いますが、しかし、なぜか横浜市都筑区にあったという城です。

ここにも茅ヶ崎という地名なので、この名がついています。

さらに、そもそも横浜市に都筑区なんてあったかなとも思いましたが、1994年(平成6年)に発足した比較的新しい区だそうです。

港北ニュータウンのある辺りといえば、場所のイメージがわかる方も多いことでしょうか、港北区の一部だったはずです。

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横浜市営地下鉄のセンター南駅から歩車分離された自転車歩行者道を300~400mほど歩くと、小高い丘のようになっています。

↑ここが茅ヶ崎城址公園として中世城郭がとても良好な状態で保存されている所です。

南側の方から入口を探しましたが見当たらないので、西側に沿って行くと北に入口はあるようです

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↑さすが、中世の山城らしく、入口からすぐに急な階段です。

もう一カ所がメインともいえる入り口で、そちらはもう少し先にありスロープとなっていました。

そちらから少し上ると、広い空間が広がっていますが、そこは北郭です。

「くるわ」はこのように郭と書いたり、曲輪だったりしますが、ここでは郭のようです。

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ここには案内板があり、それによると、

茅ヶ崎城址は、空堀、郭、土塁などが良好な状態で残る貴重な中世城郭遺跡で、早渕川を北に望む自然の丘を利用して築城されているとあります。

14世紀末〜15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなり、16世紀中頃にはニ重土塁とその間に空堀が設けられましたとあります。

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築城には、それぞれの時期に相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代)や後北条氏(戦国時代)が関与していたと推定されています。

北郭、中郭、西郭、東郭があるようですが、北郭は比較的低い位置になります。

次に、空堀だったところの通路を通り、西郭に向かいます。

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↑折れ曲がった辺りに北側の城の入り口である虎口(小口)があったのではないかと推定されているようです。

虎口のところは狭い通路となっており、上から城の防御のための攻撃をしやすいようになっていました。

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この先を右に曲がると、西郭になります。

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