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2019年8月18日 (日)

青梅市にある霞川の上流端からさらに源流を探しに行く

東京都青梅市から埼玉県入間市を通り、入間川に合流する霞川があります。

青梅市東青梅駅近くで都道28号青梅飯能線成木街道が南北方向に通っています。

その鉄道公園入口交差点にある柿沢橋の所が霞川の上流端と表示されています。

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しかし、他の川と同様に東京都の河川管理上での上流端なだけであって、実際にはここが水源ではありません。

道路を挟んで反対側に少し西へ行くと、すぐに流れを見つけることができます。

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永山公園通りという道で、鉄道公園へ向かう道ともなっています。

この道路の左側つまり南側は斜面となっています。

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↑やがて、永山公園通りはその斜面を上って行くので、下の川に沿った道をいきます。

上流に向けて西へしばらく進むと、風の子太陽の子広場入口という看板のところで、南西からの流れが合流しています。

↓左奥からの流れと右奥からの流れがあるということです。

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まず、右奥つまり北東に向かいますと、すぐに道路は行き止まりとなります。

青梅市のよる野生動物に注意という表示があります。

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絵にはシカ、イノシシ、ヘビ、ハチが描かれています。

ちょっと怖がりながら少し進みます。

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2019年8月11日 (日)

大和時代はどうかとしても平安時代にはあった狭山市の廣瀬神社と樹齢400年のねじれた梅の木

狭山市にある廣瀬神社は、社伝によれば創建は古く、3世紀の大和時代の景行天皇の御代、日本武尊東征の折だといいます。

ここを流れる入間川が大和国広瀬の地によく似ていることから、廣瀬神社から分社したとのことです。

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しかし、元の大和国の廣瀬神社の創建が天武天皇の頃といいますから、ちょっとあり得なさそうな話でです。

そうは言うものの、嘉祥3年(850年)の文徳天皇実録には、武蔵国廣瀬神社が記載されているといいます。

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これまでもいろいろ見てきた延喜式内の神社では、中氷川神社のようにいくつかの候補があるケースも多いようですが、ここは違うようです。

廣瀬神社は入間郡五座の一つですが、ここ以外にはないようです。

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延長5年(927年)に延喜式神名帳は書かれていますから、平安時代にはこの神社はあったということです。

↑拝殿の御神号額は明治の三筆といわれた野村素介によるものです。

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↑御神木の大欅二本も古く、樹齢900年と1000年といい、高さ30メートルです。

埼玉県指定天然記念物となっています。

そして、ねじれた不思議な松の木もありました。

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2019年8月 4日 (日)

北本市の石戸城とそれを攻める北条氏邦が一夜にして築いたという一夜堤

石戸城は天神山城ともいわれる北本市石戸宿にある城跡です。

室町時代長禄年間(1457~60年)頃の城といいます。

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↑荒川沿いの河川敷にある天神下駐車場から見上げていますが、荒川の堤防にもなっている桜堤通りに沿って石戸城はありました。

扇谷上杉氏の家臣藤田八右衛門が築城し、北上する北条氏に備えるため、岩付城、松山城、川越城を結ぶ防衛ラインの一部を担っていました。

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↑その桜堤通りを南に向かい北を振り返ると、一の郭があったところを道路が分断して通っています。

一の郭の左側が荒川になりますから、西側は要害となっています。

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↑さらに南に行くと、五の郭のあった辺りに北本市教育委員会による説明板があります。

奥の方が三の郭になります。

永禄6年(1563)北条、武田連合軍が松山城攻めした時には、援軍のため上杉謙信が上越越えをして石戸城に逗留したといいます。

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↑そこにある地図になります。

埼玉県選定重要遺跡となっています。

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↑この道を挟んで左側が四の郭になります。

一の郭(左)と二の郭(右)間は急な下り坂で、トンネルに入って行くような感じです。

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ここまで風景では戦国の城跡の印象がありませんでしたが、奥に入って行くと別世界になります。

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2019年7月28日 (日)

富士見市の武蔵野台地の端に突き出た氷川神社とそこにある湧水

国道254号線バイパス沿いに沿っては、ららぽーと富士見、またすぐ隣には市役所もあります。

この辺りは、武蔵野台地が舌状台地となって突き出た部分との間の高低差を見ることが出来ます。

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↑鶴瀬駅のある南西方向に向けては、道路も登り坂となっており、高さの差は10メートルほどになっています。

奥に見える木々の生い茂ったところは、氷川神社の鎮守の杜となっています。

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道路を挟んで、諏訪神社とこの氷川神社は向かい合っています。

どちらも、古代の住居址が数多くあるところに建立された神社です。

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↑狛犬は溶岩の上にいて迫力があります。

獅子山というそうです。

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↑拝殿にはネコが昼寝していましたが、割とこれは日常的な風景だそうです。

創建は不明ですが、江戸時代の正徳元年(1711)に社殿が再建されたという棟札が現存しています。

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↑参道の途中には、下に向けて降りて行く階段があり、「雲居の瀧」と書かれています。

本当に滝があるのでしょうか。

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2019年7月21日 (日)

以前は滝山城跡にあり北条氏照によって移された蔵王権現社であった丹木御嶽神社

国道411号線滝山街道沿いの小高い丘の上に御嶽神社があるというので行って来ました。

八王子市丹木町の滝山城跡のすぐ近くなのですが、登り口が分かりませんでした。

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Googleマップにも載っていませんでしたが、南側からのルートの見当をつけて行ってみました。

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↑急な上り石段があります。

村社御嶽神社と書かれています。

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↑途中で後ろを振り返っても急坂であることが分かります。

やがて南東方面からのもう一つの参道につきます。

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ここを左に行くと、御嶽神社本殿です。

その歴史は古く、往古蔵王権現社と称し高月村にあり、今の滝山城跡山頂に蔵王堂が鎮座していたと言います。

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社の立は推古天皇代(595年)といいますから、滝山城があるはずもない頃の話です。

藤原時代の康平2年(1059年)源義家が社を再興し社殿を新築したといいます。

その後、現地への移転が行われることになります。

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