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2017年10月15日 (日)

200年前の文化文政に築かれた清瀬市中里の富士塚は都指定文化財にもなっており登ってみる

富士山は古くから信仰対象の山であり、江戸時代中期には富士山登拝が盛んだったといいます。

当然、電車や自動車のない時代ですから、実際の富士登山は日程的にも経済的にも厳しいし危険でもあることから、代わりに各地に富士塚が築かれました。

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清瀬市中里にある富士塚は、東京都指定有形民俗文化財になっています。

時代としても、まさに文化文政年間(1804年〜1830年)の築造と考えられていますから、もう200年程前のこととなります。

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北側の鳥居を潜ると、登山道が九十九折にあります。

ここでは今でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されており、こちらは無形民俗文化財に指定されています。

途中、一合目から九合目までを記した小さな石柱があります。

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↑登山していくと、やがて頂上が見えてきました。

江戸時代の後、明治7年(1874年)に2m程かさ上げされ、現在の高さは約9mだそうです。

九合目まで来ると山頂が見えます。

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山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑があります。

この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社をかたどったものだそうです。

石祠にある文政8年(1825年)に築かれたのかと思いますが、この年に再築したという伝承があるので、文化文政年間築というように明確にはなっていないようです。

山頂からの景色を見てみます。

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2017年10月 9日 (月)

豊洲市場は敷地が広く一つの建物はとてつもなく大きいが、何もない空間もある

臨海副都心から自転車で豊洲市場に向かっていき、南側から新しく出来た富士見橋を渡ると、豊洲埠頭の敷地となります。

新しい豊洲市場の巨大な建物が見えてきます。

まず、右側に見えるのが「水産卸売場棟」です。

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マグロなどの水産物のせりをはじめとした取引が行われる場所です。

ここでは、見学者用デッキからマグロのせりを間近で見られるようになるといいます。

建築面積約49000㎡、延床面積約125000㎡、5階建です。

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↑道路を挟んで、豊洲埠頭の先端部は公園になっています。

埠頭全体をぐるっと囲むように、「豊洲ぐるり公園」として整備されています。

まだ、市場の建物の周囲には入れないので、ぐるりできませんが、敷地面積は約8.5haで、平成29年7月7日に一部開園しています。

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↑西に向けては東京湾となっていますから、レインボーブリッジがよく見えます。

↓公園の隣にあるのが、「水産仲卸売場棟」で、水産の仲卸店舗が集まる、豊洲市場で一番大きな建物です。

ここは、街の魚屋、寿司屋などが、水産物を仕入れに来る場所です。

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建築面積約70000㎡ 、延床面積約177000㎡ 、5階建です。

建築面積だけで7haですから巨大な建物です。

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↑まず最初に裏側を見た、道路を挟んだ向かい側の「水産卸売場棟」ももちろん巨大です。

これらの建物に謎の「地下空間」があると話題になりましたが、この大きさの建物を間近で見ると、地下ピット(地下空間)なしでこの建物が建つわけないなと感じられます。

その隣にあるのは「管理施設棟」です。

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東京都や各事業者の事務所をはじめ、都のPRルームや飲食店などが入ります。

建築面積約5500㎡ 、延床面積約24000㎡ 、6階建です。

十分に大きい建物なのですが、他の建物が巨大すぎるので小さく感じられます。

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↑水産仲卸売場棟のところに豊洲市場の正門と書かれていました。

↓閉鎖されていますが、中は当然に整備されています。

東京都により9月に地下ピットの床のコンクリート敷設工事の入札が行われましたが、4件では「1社入札」だったので、新たな方針により再入札となり、工事完了予定も来年6月上旬から遅れそうということです。

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この水産仲卸売場の端には、地下ではなく地上に不思議な空間があります。

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2017年10月 1日 (日)

橋台、橋脚が早くも完成した東所沢の東京狭山線工事とおいしい珈琲が飲める店

弊ブログでは何回か話題としてきている、都道と埼玉県道である練馬所沢線となる東京狭山線(新東京所沢線)の東所沢周辺の工事進捗の様子を見に行きました。

国道16号線の狭山市から所沢方面に向かう片側2車線の広い道路なのに、東所沢のところで行き止まりになって東京都につながっていないあの道です。

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↑空堀川と柳瀬川の合流する小金井街道の清瀬橋方面、つまり東京都側から行ったのですが、平成28年ゴールデンウィークからは1年半しか経っていないというのに、驚くほど工事は進んでいました。

20mもの高低差がある地形のため、橋梁及び堀割形式で整備しているのですが、この舗装された面の奥に向かって橋梁として上に上がっていく設計です。

ちなみに、左に見える道は下り方面が渋滞している小金井街道です。

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↑行けるところまで近づいてみると、掘割部分のボックスカルバートは出来上がっているようで、向こうの東所沢側が見通せるようになっています。

橋梁部分の橋台や橋脚も出来ています。

途中にいくつかこの計画道路を横断する道があるので、近くに行って見ることにします。

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↑アップで見ると、やはり7%の勾配の道路を下側から支える橋台は頑丈そうなものです。

前回の復習になりますが、この工事の様子は全体像がわかりづらいので、工事の概況の説明です(クリックすると拡大します)。

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橋脚は4本あるようなので、さらに西側の道路に向かい、東側の橋脚を振り返ってみます。

高さこそそう高くはないものの、立派な橋脚です。

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この道から上の方の橋台を見てみると、やはり両側4車線の20m幅員の道路を支えるだけあって、やはり大きいです。

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工事看板によると、工期は平成28年9月29日までとなっていますから、当初予定通りに橋梁下部工が終わったということでしょう。

擁壁となると思われる鋼矢杭が見えるのですが、これがどういう形態で完成するのかが、ちょっと不思議です。

高低差20mを登るのはきついですが、上の様子も見に行くことにします。

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2017年9月24日 (日)

かみつけの里博物館と周りにある国指定史跡の保渡田古墳群では埴輪のイメージが変わる

「かみつけの里博物館」という名を見たときは何だろう、恐竜か猛獣の展示かなとも思いましたが、歴史博物館でした。

古く古墳時代には、群馬県と栃木県南部を合わせて「毛野」といわれ、それが「上毛野(かみつけの)」と「下毛野(しもつけの)」に分かれました。

8世紀の律令制施行後は、上毛野は上野国(こうずけのくに、今の群馬県)、下毛野は下野国(しもつけのくに。今の栃木県)となり、そちらには那須(県北部)も加わりました。

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↑その分かれた5世紀後半頃に築造された「二子山古墳」で、全長108メートルの前方後円墳です。

その円墳部分の方から見ています。

上野国の別称は上毛といいますし、今でも、上越線新前橋駅と東北線小山駅を結ぶ鉄道は、両毛線といいますから、「かみつけ」といわれてもすぐ理解すべきなのかもしれません。

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ここは国指定史跡になっている高崎市にある保渡田古墳群の一つで、周囲は「上毛野はにわの里公園」として整備されています(こちらは漢字です)。

この二子山古墳の墳丘には登ることができるようになっており、のどかないい景色を見ることができます。

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その公園敷地内に「かみつけの里博物館」があり、その展示によると、ここは約1500年前の豪族の墓で、その館は「三ツ寺I遺跡」として1.5kmほどの地点で発掘されています。

全国で初めて古墳時代の豪族の館(やかた)として発掘された遺跡です。

上越新幹線の工事をする際に見つかったということで、現在は、新幹線の高架下に埋め戻され、遺跡自体は見ることはできないということです。

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↑古墳の周りには広い二重の堀があり中に4つの中島があり、直径18mでマツリ(葬祭儀礼)が行われた場所のようです。

墓域は全長213mもあり、大変広く、全体は芝生に覆われており、暑い日でしたが日陰となるところもないのが厳しかったです。

墳丘の上はハチに注意との看板もあり、実際ハチがほんとうに飛んでいました。

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昭和10年の調査で、群馬県内には8423基もの古墳が見つかり、全体では1万基以上が作られたと想定されています。

しかも規模の大きいものも多く、東国(関東甲信、東海地方)では圧倒的な質と量を誇っているそうです。

この「上毛野はにわの里公園」には、もう一つの古墳があるのですが、こちらはもっと迫力があります。

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↑「八幡塚古墳」という全長96メートルの前方後円墳で、築造時期は5世紀後半、二子山古墳に続いて造られたと考えられています。

こちらはより当時の様子が復元されており、墳丘部や内堀のなかにある中島の法面には葺石を施してあります。

なんといっても埴輪がたくさんあります。

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2017年9月17日 (日)

やんばツアーズの八ッ場ダム工事現場見学会はとてもいいし、また行きたくなる

前回の続きで、国土交通省による現場見学会での八ッ場ダム建設工事の様子です。

現場を案内してくれるのは工事現場の厳ついおじさんだと思っていましたが、「やんばコンシェルジュ」という名称の上戸彩に似た若い女性です。

しかも、めちゃくちゃ知識もあり、土木のことも詳しくて、資料も見ずに解説してくれます。

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↑何しろ大規模な工事現場ですから、ダムを造るためのコンクリートを運ぶケーブルクレーンのワイヤーのアンカーも大規模です。

平成28年6月からコンクリート打設工事が始まっているようです。

ワイヤーを間近にしながら、細い通路を進むと、目の前が工事現場です。

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↑こちらは右岸で、向こう側が左岸になり、ここは堤高116mのダムの天端の高さとなるようです。

堤高は利根川水系ダムでは8番目だそうで、現在は3割程度の高さにまで工事が進んでいるとのことです。

吾妻川は左から右へと流れており、重量式コンクリートダムの形が左岸側にちょっと見づらいですが青い線で引かれています。

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↑ここには生コンクリート工場があり、原石山から約10kmにもわたって、石の大小で3種類に分別されてベルトコンベヤーで運ばれてきた骨材が水とセメントを混ぜられて、コンクリートとなります。

そのできたてコンクリートが黄色いバケットに入れられています。

コンクリートは2つのルートで下の現場に運ばれているようです。

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↑左のクローラクレーンはこのコンクリート打設には使われていないようで、ケーブルクレーンで運んでいます。

ケーブルによりバケットは手前に動いて来るとともに、下に降りて行きます。

中央の下の方に向かってバケットが動いています。

ダムの堤頂長は290.8mになりますから、このケーブルも長いです。

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↑バケットは下まで着くと生コンクリートは、いろいろな方向に動けそうな不思議な形をした重機に載せられます。

こちらは主に手前側での作業に使われているようです。

工事が始まったころはもっと低い位置で、堤高116mもの高さ、今でも80m位の長さがあるわけですから、よくクレーンを操縦できるものだと感心します。

このコンクリート運搬にはもう一つのルートがあります。

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↑左岸の壁に沿って、コンクリート工場からクレーンを使わずに、直接ダンプトラックに流れ込むような仕組みもあります。

奥ではそのダンプに積み込んでおり、手前ではダンプから降ろしているのが見えます。

ビルの建築現場で見るようなサラサラしたコンクリートとは全く違い、こうしてダムで使用されるコンクリートはドロドロです。

水分はコンクリートのヒビ割れの原因となるので、極力水とセメントを少なくして、骨材をなるべく多くしているからだそうです。

それでもヒビ割れを全く無くすことは難しいようで、先日テレビで見たその対策も目の前で見ることができました。

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«八ッ場ダムが完成したら水没してしまう前の長野原町の様子を見に行く