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2017年8月20日 (日)

ららぽーと立川立飛の駐車場混雑状況から休日無料化できそうかの考察、ついでにタチヒビーチ

平成27年12月にオープンした「ららぽーと立川立飛」は、駐車場が3100台分ありましたが、開業当時は立川市や警察も含め、周辺道路をとんでもない渋滞にさせてしまうのではないかと危惧されていました。

そのため、駐車場は有料として車での直接の来場を抑え、周辺にもいくつかの駐車場を確保した上で、そこから無料シャトルバスが運行されていました。

しかし、多摩都市モノレール立飛駅のすぐ前という素晴らしい立地だったこともあり、心配されたほど渋滞は起きませんでした。

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そのため、周辺の駐車場やシャトルバスは廃止されていきました。

また、開業当時は平日も休日も有料であった駐車場も、今では平日は終日無料です。

ですが、休日(土、日、祝日)は今でも有料となっています。

モノレール立飛駅からは、ららぽーと立川立飛の北西側2階に直接入れるようにペデストリアンデッキで繋がっています。

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この日は雨天だったので、大した距離ではないにしろ、濡れないように屋根を付ければいいのにと感じました。

多摩都市モノレールでは、ここだけの効果とも言い切れませんが、一日平均乗車人員が平成27年度は前年度比6.3%増加、28年度は2.4%増加していますし、そもそも、道路上は難しいにしても、敷地内は運営する三井不動産商業マネジメントが屋根を設置してもよいのではないでしょうか。

1階の広場では子供が水で遊べるような遊具も設置されているようですが、雨だからか閉鎖されています。

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ところで、この「立飛」というのはここを含めた広い敷地を所有している立飛ホールディングス株式会社傘下の立飛企業のことで、以前の立川飛行機株式会社でした。

5年前の冬にここに来た時は、当然にららぽーとの影も形もありませんでした。

敷地の北東側から見た2012年(平成24年)12月には、奥に見えるモノレール立飛駅までの間にららぽーとはなく、近くにはゴルフ練習場などがありました。

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駐車場の話に戻ると、無料化された後、車での来場者が増えたものの、平日に道路を渋滞させることはありませんでした。

昨年のある平日に私が訪れた時も、他のショッピングモール同様、やはり店内も駐車場もガラガラでした。

平日とはいえ、お盆休みの日はどんなものかと見に来てみると、駐車場はかなりの混雑です。

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店内やフードコートは多くの家族連れなどで休日並みに賑わっていましたが、周辺道路は少し混んではいるものの大きな渋滞は見られませんでした。

休日の駐車場は1時間500円、以後30分ごとに250円となっていますが、お盆休みの平日の様子を見ることにより、休日無料化ができるかを考える材料になるのではないでしょうか。

休日の駐車料金には、ちょっとややこしい仕組みもあります。

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2017年8月13日 (日)

さきたま古墳群より200年古く、家康も来ていたという新河岸川沿いの権現山古墳群

埼玉県にある古墳といえば、行田市にある「埼玉(さきたま)古墳群」が有名であり、埼玉県という名称の起源とも言われており、4年前に見に行きました。

しかし、それより200年前の3世紀後半の古墳が、ふじみ野市にあるというので行って来ました。

邪馬台国の卑弥呼が3世紀前半の239年ですから、そのたった50年後ということですから驚きです。

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「権現山古墳群」といい、武蔵野台地が新河岸川と接する崖の上の見晴らしのいい場所に造られた古墳12基からなる古墳群です。

今から1700年前の古墳時代前期の古墳が現存することは少なく、埼玉県指定史跡となっています。

↑「権現山古墳群史跡の森」として保全されていますが、全体が小高い丘のようになっています。

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↑一番大きい2号墳は、全長32mの前方後方墳です。

よく耳にする前方後円墳ではなく、前も後ろも「方」、つまり四角形です。

この辺り一帯を治める首長の墓と考えられています。

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手前が前方部ですが、正方形ではなく、扇を広げたように手前部分の方が長くなっていて、初期古墳の特徴を示しているそうです。

↑今では木々に覆われてよくわかりませんが、奥には新河岸川越しに遠くまで見渡せるところです。

道路を挟んで、その新河岸川の崖があります。

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↑見づらいですが下の方の明るいところが新河岸川の流れで、崖から人が誤って落ちないように柵があります。

古墳群は、先程の2号墳以外は、残りはすべて四角形の方墳です。

2号墳と↓の7号墳からは、底にわざと穴をあけた土器が出土されました。

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埋葬儀礼に使われ、後に埴輪に発展する前段階のものと考えられています。

荒川下流域にも古墳文化があり、そんなものもで出土していたとは知りませんでした。

ところで、何でここを「権現山」というのか不思議に思っていました。

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2017年8月 6日 (日)

相模原沈殿池の水は横浜水道みちを流れてきたのではなく、相模原浄水場も関係なかった

前回見てまわった、相模原市を横断している「横浜水道みち緑道」は、明治時代に日本初の近代水道として引かれたところでした。

県立相模原公園のすぐ近くの、この水道道の近くには貯水池のようなところがあり、「相模原沈殿池」と名付けられています。

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ダム便覧にも記載されており、堤高19.5m、堤頂長255mもある立派なダムといえます。

相模原公園の北側に位置し、アースダムの美しい芝生が広がります。

北東方面を見ています。

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取水口らしきものがあります。

北西方向を見てみると、横幅の2倍程度の奥行きがあるように見えます。

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この水は横浜水道みちを流れて来た水を一旦ここに貯め、水道水としてりようするため沈殿させる施設なんだろうと思っていました。

しかし、この沈殿池ができたのは1954年(昭和29年)ですので、1887年(明治20年)にできた横浜水道よりもこちらの方がずっと新しいものとなります。

ちょっとネットで調べながら、全体の様子を見に一周歩いてみました。

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↑半時計回りに半周、北東の端まで来てみると、北西の端に水道施設らしきものがあるようです。

↓沈殿池の北側は住宅もある普通の道路となっていました。

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調べてみると、この水は津久井湖手前の沼本ダムからの取水され、地下の水道管を通って流れて来たものを貯めているようです。

津久井分水池、下九沢分水池を経由して来ており、横浜水道みちとは全く別ルートということです。

横浜市水道局公式サイトにあった「水源系統図」を見ると、津久井湖から川井浄水場まで2本のラインが引かれています。

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2017年7月30日 (日)

県立相模原公園を通り相模原市全体を斜めに横切っている水道みちは横浜まで続いている

相模原市の地図を見ていると、中央区と南区を大きく斜めに北西から南東方向に向かってほぼ真っ直ぐに進む道があります。

こうした形状は多摩湖自転車道などでも見かける、水道を通すための用地なのかと思われます。

自転車で走ってみて確認したいものですが、30℃以上と暑い日に車で県立相模原公園まで行きましたから、この水道みちを下見を兼ねて徒歩でちょっと見て来ました。

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↑南北が逆の公園内の案内地図ですが、右下から上に向けてさらに公園上部を左に向けて「水道みち緑道」が通っており、それが地図上部中央辺りにも記載されています。

その公園を南東に出た先は女子美術大学の敷地になりますが、その中もこの水道みち緑道が突き抜けており↓、さらにその先の市立相模原麻溝公園も突き抜けていきます。

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確かに「水道みち緑道」との標識がありますし、歩行者専用通路とも書かれています。

歩行者専用ということは自転車は通れないということなのでしょうか。

県立相模原公園内の方に戻って、北西側に向かってみます。

木々の間の道となり、「夜間この園路の利用は危険なので通行をご遠慮下さい」と書かれてあります。

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そう言われると昼でもちょっと緊張しますが。確かに薄暗いところではあります。

上流である北西方向に進んで行きますが、振り返って見ると、相模川の河岸段丘のためか結構な下り坂となっています。↓

ということは、相模川からの水がここに流れているのだとしたら、水にとっては辛い登り坂です。

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この先は県道52号相模原町田線を横断しますが、自動車通行量が多い道で、少し迂回して横断歩道を渡ります。

この道の西側も相模原公園なのですが、こちらは「水と緑と人のふれあい空間づくり」をテーマに造られた「せせらぎの園地区」となっています。

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すぐ横を流れる道保川に沿うような位置にあり、いくつかの池などが整備されています。

さらに、この公園に沿うように水道みちも続いていきます。

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2017年7月23日 (日)

岸田んぼや里山民家のある宮野入谷戸の風景を見に野山北・六道山公園に

多摩湖、狭山湖は狭山丘陵の中央部に造られましたが、その尾根の南西側は雑木林の「都立野山北・六道山公園」となっており、度々訪れています。

なにしろ200ha以上の広さがありますから、まだ行ったことのない場所が数多くあります。

田んぼもあると聞きましたので、そんな風景を見てみたいと思い、行ってみました。

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これまで北多摩地域では田んぼを見たことはありません。

ここでは公園内に谷戸の風景を残そうとしており、「岸田んぼ」があります。

広さは0.5haほどしかないとはいえ、いいものです。

でも、水がありませんでした。

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「日本晴」という、うるち米が植えられていましたが、大丈夫なのでしょうか。

他にも、もち米や古代米も植えられているようで、それぞれに名札が表示されていました。

この公園には狭山湖を取り囲むように、大きな尾根道が東西方向にあるとともに、南北方向にいくつかの短い尾根道があります。

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その尾根の間に、ここのような谷戸が南北方向に食い込むような形であります。

この「宮野入谷戸」は比較的大きいほうです。

暑い日でしたが、ここには日陰もあるし、吹いてくる風も木々があるため少し温度が低いようで、涼しく感じられます。

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ここが公園になる前から、ここには田んぼがあったのでしょうか。

北多摩で田んぼを見たことがなかったと書きましたが、それは平地の部分のことであって、今では多摩湖や狭山湖となっている狭山丘陵近辺には田んぼはあったのかもしれません。

この谷戸のまわりの尾根道のある山というか丘の部分も公園の敷地内です。

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↑「宮野入西の森」と名付けられており、この雑木林の間にも通路があり入っていけます。

少しだけこの雑木林の中を歩くつもりだったのですが、途中で道を間違えてしまい、40mもの結構な高低差があるので、汗だくになってしまいました。

通路以外は入っていけないような斜面の林です。

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