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2018年5月20日 (日)

新青梅街道からイオンモール東久留米に真っ直ぐ行ける道がようやく開通しそうになってきた

イオンモール東久留米の店舗棟と駐車場棟の間を南北通っている道路は、東村山3・4・18号線という都市計画道路で、都道新小金井久留米線です。

所沢街道、新所沢街道とはアクセスしていますが、新青梅街道の一歩手前の柳新田通りという細い道まででストップして、その先は未開通となっていました。

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↑新青梅街道からイオンモールに行くには、西東京タワー手前の交差点から左折してクランク状に進む必要があります。

新青梅街道からの未開通部分はわずか100m程でしたが、既に5年前の春にイオンモールが開店した時からこの状態です。

未開通部分からは西東京市で、西東京3・4・26号線という都市計画道路になります。

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↑道路計画線上に、田無ファミリーランドのパチンコ店やバッティングセンターがあったのですが、ちょっと様子が変わっていました。

上にあった鉄骨の骨組みとネットがなくなっています。

1階にあるパチンコ店は営業しているようです。

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↑すぐ先にある歩道橋の上から見てみると、どうやら東側の一部を減築したようです。

帰ってから調べてみたら、平成28年12月からバッティングセンターとゲームコーナーは閉鎖されていたようです。

道路導入空間が出来ていることがわかります。

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↑右奥が既開通区間で、左に向かって道路ができる予定地です。

新青梅街道南側から北側を見ていますが、ここに交差点ができることになります。

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↑左奥に見える建物は田無ファミリーランドの社屋のようですが、こちらは計画線には掛かっていないのでしょう。

この敷地北側に行って、そちらから様子も見てみましょう。

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2018年5月13日 (日)

鶴岡ではなく亀岡八幡宮を居城を移すたびに作った伊達氏の梁川八幡神社

伊達市には福島県指定文化財の史跡・名勝が「梁川城跡及び庭園」だけでなく、もう一つあります。

「旧梁川八幡宮並びに別当寺境域」です。

梁川城からは20分近く歩いてくると参道がありますが、かつては城から八幡宮まで延々と続く松並木の参道があったようです。

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前にも書いたように、文治5年(1189年)源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を討つ際に活躍した中村入道念西一族が、頼朝から恩賞として伊達郡を拝領し、姓を伊達としました。

最初は高子岡に居城して、鎮護の神として亀岡八幡宮を山上に祀りました。

11代伊達持宗が居城を梁川に移すと、八幡宮も梁川に移したと言います。

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↑境内にあるこの鬼石観音堂は信達三十三観音の最終札所として信仰を集めたそうです。

伊達氏の氏神として、鎌倉の鶴岡八幡宮に分霊を請じ迎えて祀ったのが亀岡八幡宮です。

梁川城を鶴が岡、八幡神社を亀が岡と呼び、かつては伊達氏の総鎮守でした。

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↑周囲には池がありますが、これは当時のものが一部現存しているものです。

その後、14代伊達植宗が居城を西山桑折へと移した際、八幡宮も桑折に移されました。

次に米沢に移った後には、再びここ梁川に戻されたそうです。

天正10年(1582年)には、有名な17代の独眼竜政宗が、初陣の際、必勝祈願のために参詣しましたといいます。

居城が仙台城に移ると、八幡宮も仙台に移されました。

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↑現在は梁川八幡神社と言いますが、その拝殿の屋根の上には一部シートが被せられています。

瓦崩落危険と書かれたロープが張られています。

ここから先は入れないのかと思いましたが、軒先の瓦が落ちてこない横のところから入って参拝できるようになっていました。

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↑残念なことに、本殿は本格的に修理工事中のようで、全てがシートに覆われていました。

こちらは延享2年(1745年)に改築されたものだと言いますから、見たかったものです。

でも代わりと言っては何ですが、素晴らしいものがすぐ横にありました。

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2018年5月 6日 (日)

伊達市にある伊達氏の梁川城は一時期には奥州の政治的中枢となっていた

独眼竜政宗として伊達氏は有名であり、場所としては東北地方の中でも、仙台をイメージする人が多いと思います。

福島県には伊達市がありますが、あの伊達氏とは関係ないと思われてしまうでしょう。

しかし、奥州攻めの手柄として源頼朝から伊達郡を領地として与えられたことから、伊達氏を名乗るようになったのですから、こちらが本家です。

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↑鎌倉時代に築城されたという伊達市の位置する梁川(やながわ)城は、南に広瀬川、北には塩野川が流れる平山城で、11代伊達持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠として整備されました。

城跡は梁川小学校、中学校、高等学校の敷地となっていますが、一部保存されています。

上の案内図もある北東側の入口から攻め込もう?とすると、かなりの急斜面の上にあることがわかります。

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↑ここはGoogleマップでは梁川城跡と表示されるところで、少し前までの梁川小学校の入口にあたりますが、ロープが張られて立入禁止になっているようです。

そこで、南側にまわり城跡を見てみます。

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↑こちらには、梁川城本丸跡、庭園「心字の池」との案内板が立っています。

低い微妙な位置にはロープがありますが、「ここをまっすぐ」とも書かれています。

ロープは車止めの意味であると解釈して中に行ってみました。

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やはり人が入ってくることが想定されており、福島県教育委員会による案内板もあります。

福島県指定史跡であり、名勝ともなっています。

中世の城郭内庭園では、梁川城のように本丸に庭園が現存する例は少なく、この心字の池は極めて貴重といいます。

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梁川城の築城年は明確にはわかっていませんが、少なくとも嘉吉元年(1441年)に、11代持宗が梁川に輪王寺を創建した記録から、その前には梁川城に居城していたことは間違いないといいます。

石垣も見られます。

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大永2年(1522年)に14代稙宗が室町幕府から陸奥国守護に任命されたことから、梁川が奥州の政治的中枢の位置を占めるようになったと伊達市HPにありました。

↑奥の少し高くなったところに建物らしきものがあるので城と関係するのか見てみましょう。

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2018年4月29日 (日)

福島城のあった場所とその名残と福島という名前の由来、そして日銀東北初の出張所

かつて藩の城が位置していたところに明治維新後、県庁があるところが日本中に数多くあります。

福島県も同様で、福島県庁のあるところに福島城があったようです。

しかし、そこは県庁周囲に堀があるわけでもないし、そもそも福島城ってあまり聞き覚えがありません。

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↑県庁前の案内板を見ると、やはりここに福島城があり奥州街道も通っていたようです。

城郭どころか、本丸、二の丸、三の丸などの区画さえ今では残っていません。

福島県の城というと、会津城の方がずっと有名です。

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↑わずかにある福島城の名残りとしては、県庁駐車場隣りにあるこの紅葉山公園です。

ここは「二の丸御外庭」という江戸時代の福島藩主板倉重寛により設けられた庭で、ケヤキの大木も当時のものだたそうです。

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また、ここには県指定有形文化財の宝塔があります。

大佛城跡出土宝塔で、弘安六年と刻まれており、1283年のものとなりますから、鎌倉時代のものです。

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この辺りにはかつては杉妻(すぎのめ)寺があったということです。

この宝塔は厳密には、県庁西庁舎南の位置から出土したといいます。

そこには、もう一つある福島城の名残である土塁がありました。

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案内板には、平安時代末に信夫庄司佐藤氏一族の杉目太郎行信が居住した杉妻城があったとありました。

また、福島市HPによると、文治5年(1189年)、初代伊達朝宗が奥州攻めの手柄として源頼朝から伊達郡を領地として与えられ、伊達家を名乗り住むようになり、信夫の里の杉目(すぎのめ)郷と呼ばれたここに応永20年(1413年)ころ、当時の伊達盆地の支配者である伊達持宗が城を築いたとあります。

杉妻(すぎのめ)寺の大仏堂があったため杉妻(杉目)城、または大仏城と呼ばれていました。

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城の南東には阿武隈川が流れていますから、こちらは天然の要害となっています。

↑江戸時代の寛文年間に、幕府に命じられた河村瑞賢が江戸までの年貢米の輸送する「東回り航路」を開発して、ここ福島河岸は福島藩、米沢藩の御米倉専用の船着場となり、それが復元されています。

右の壁に何か表示があるのが気になります。

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2018年4月22日 (日)

久米川駅の近くにはない久米川町の鎮守である熊野神社と富士塚

東村山市には久米川町という地名があります。

西武新宿線久米川駅近くの住居表示は栄町で、久米川町は東村山駅より北側の所沢市に近い方にあります。

その久米川町五丁目には熊野神社があります。

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旧久米川村の鎮守で、明治時代には村社に列格されていました。

熊野神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。

創建年代は定かではありませんが、元弘3年(1333年)久米川の合戦の際に新田義貞が後詰、つまり後方部隊を置いた所であるとされています。

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↑拝殿は大正10年(1921年)に落成したものです。

この神社の境内からは、応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口と水鳥形香炉が発見されており、文明18年(1486年)には聖護院門跡主准后が神前で「里人のくめくめ川と」と歌も詠まれているといいますから、鎌倉時代から室町時代にはこの神社はあったようです。

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↑本殿はさらに古く明治14年(1881年)に落成したといいます。

趣のあるいい建物ですが、どの神社も本殿は近くで見られないことが残念です。

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↑拝殿の北西側には、正面に伊勢神宮、左に御嶽神社、手前に神明宮、さらに手前には写ってませんが稲荷神社も祀られています。

また、この熊野神社の北東側には「久米川富士」があります。

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東村山市史跡に指定されています。

富士講が流行したのは江戸時代といいますが、ここは明治時代の記録はあるようです。

登ってみましょう。

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«平安時代の延喜式神名帳にも載っている多摩八座の一つである阿豆佐味天神社