フォト

ブログの記事

無料ブログはココログ

ランキングに参加しております。いずれかポチッとお願いします。

2018年2月18日 (日)

枕草子にも出てくる堀かねの井の本命なのか、堀兼神社の堀兼の井

古くから和歌に詠われる「ほりかねの井」ではないかと言われる狭山市北入曽にある「七曲井」は昨年5月に行きました

同じ狭山市内で2kmほど東に離れたところに、その名も「堀兼の井」があります。

しかも、地名も「堀兼」で堀兼神社の敷地内にあるといいます。

Img_7246_500x375

道路から一歩中に入ると、趣きのあるいい雰囲気です。

神社の敷地内はどこも空気が凛としています。

まず隋身門、両側には二神像があります。

Img_7249_500x375

この創建は不明のようですが、万延元年(1860年)に神像を塗り替えたという記録があるので、少なくとも江戸時代後期までは遡れます。

建造物として狭山市指定文化財です。

Img_7252_375x500

↑門をくぐり階段を上って行くと本殿があります。

社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、水がなく苦しむ住民を見て、富獄(富士山)を遥拝し、井戸を掘らせたところ水を得ることができたため、浅間社を祭ったとのことです。

Img_7253_500x375

↑本殿の傍らにある説明表示板にも、堀兼神社(富士浅間社)と書かれていました。

Img_7256_500x375

↑下に戻ってみると、この社殿に上ってくる階段はもう一つありました。

こうして見ると富士塚のようにも見えます。

Img_7255_500x375

↑その通りで、このもう一つの登り口の手前には、下浅間神社があります。

しかも、下には「一合目」という表示もあります。

Img_7257_500x375

↑登り道の途中には小御嶽神社があり、やはり「五合目」との杭があります。

現在では堀兼神社となっていますが、かつては浅間社だったようです。

それでは、そろそろ堀兼の井を見てみましょう。

» 続きを読む

2018年2月11日 (日)

渋谷にあると思えないほど土偶や埴輪や土器がいっぱいで静かな環境の國學院大學博物館

目的地の博物館は、渋谷駅から歩いて10分ちょっとで道はわかりやすく、六本木通りを東に向かい、実践女子大学と青山学院初等部の間の道を右に曲がったところにあります。

ところで、渋谷駅周辺では再開発工事の真っ最中なので、行くたびに景色が変わっていきます。

この日も駅から歩道橋で明治通りと六本木通りを渡り、渋谷警察署側に行くつもりだったのに、歩道橋が繋がっておらず、2つの歩道橋のために2度も階段を登ることになりました。

Img_7209_500x375

↑國學院大学学術メディアセンターの半地下に「國學院大學大学博物館」があります。

この学校名の「國」も「學」も旧字体であることを初めて知りました。

また、この学校の母体は明治15年(1882年)に創立された皇典講究所であることも知りました。

Img_7211_500x375

↑入口を入っていきなり火焔型土器があります。

レプリカですが、手に触れることができるので、3kgという重さや手触りのザラザラ感も味わうことができます。

この新潟地方で出土する火焔型土器を東京オリンピックパラリンピックの聖火台にしようという運動が行われていることも初めて知りました。

Img_7213_500x375

↑縄文時代の土偶があります。

考古学はまさに文字のない時代のことを、発掘された物から読み解くものですが、土偶には興味引かれます。

主に祈りのために作られたようですが、何千年も前の人達は何を思い、こんな顔や形のものを作ったのかと思うと面白いです。

Img_7227_500x375

↑ここには予想以上多くの展示物があり、土偶も破片のような一部しかないものも多数置いてあります。

見れば見るほど不思議です。

この博物館は、考古、神道、校史の3つがテーマとなっており、撮影可能なものと不可能なものが区別されており、考古ゾーンは撮影できます。

Img_7218_500x375

↑縄文式土器も多過ぎて全部見ることができないほどです。

別のところには弥生式土器もたくさんあります。

土偶と土器のハイブリッドのようなものもありました。

Img_7216_500x375

↑中央にあるのは「挙手人面土器」で、身体の形をした土器で胴部に顔面、口縁部に腕を模した一対の突起があります。

予想外なことに、縄文時代ではなく、古墳時代前期の4世紀のものといいます。

古墳時代ものとしては、埴輪がありますが、大きさに驚かされました。

» 続きを読む

2018年2月 4日 (日)

小金井の地名の由来とも云われる国分寺崖線からの湧水がきれいな貫井神社

国分寺崖線沿いには湧水の湧き出るところが数多くありますが、その一つの貫井神社に行ってきました。

新小金井街道と東京経済大学の間の住宅地の中にあるため、周辺道路も狭く交通量が少ない静かなところです。

Img_7199_500x368

↑本殿の前には神橋があり、両側にいわばひょうたん型に池があります。

天正18年(1590年)に創立され、水の神である水神様を貫井弁財天として祀ったとのことです。

本殿は宝永6年(1709年)に改築されたものが残されていましたが、昭和60年(1985年)焼失してしまったため新たに建て替えられたものです。

Img_7181_500x375

↑右側の池ですが、ちょうど国分寺崖線の下に位置するためか水も豊富です。

小金井の地名は、「黄金に値する豊富な水が出る」ことから、黄金井(こがねい)が小金井になったと云われています。

Img_7183_500x375

↑その対岸に渡り、先程いたところを振り返ると、神橋も美しい景観です。

また、中世には、現在の前原町南部が金井原(かないはら)と呼ばれており、あるいは、土地の支配者金井氏にちなむ地名という説もあり、よくあるパターンで地名の由来は諸説あるようです。

Img_7182_500x375

↑神橋から今度は左側の池を見てみると、正面に水が勢いよく流れ込んでいるところがあります。

これは湧水でしょうから、水の出どころを確認しなくてはいけません

Img_7187_500x375

↑本殿の左側のハケ(崖線)沿いに奥の方から水は流れてきます。

本殿を取り囲むようにハケとなっていますから、すぐに水源に到着です。

ここは水量が多く、これまで枯渇したことがないと小金井市公式サイトにありました。

Img_7188_500x375

↑3つの岩の間から水が湧いています。

東京の名湧水57選にもなっているようです。

ただし、「平成2年2月8日水質検査の結果、飲料水として適しません」とあえて看板が立っていました。

ハケ上も見てみましょう。

» 続きを読む

2018年1月28日 (日)

府中崖線に沿って駅のすぐ目の前と住宅地の真ん中にある御嶽塚と高倉塚古墳

JR南武線に新しく2009年(平成21年)に開業した西府駅のまさに目の前に古墳があり、しかも墳丘が残存しています。

南口から出ると、線路に沿って右側に公園があり、小さな小山があります。

Img_7177_500x375

↑これが「御嶽塚古墳」で、古墳時代後期の6世紀から7世紀初めに築かれたもののようです。

直径約25mの墳丘とその周囲に幅約7mの溝がめぐる円墳でした。

府中市指定史跡となっています。

Img_7172_500x375

↑この周囲では13の同時期に作られた古墳があったということで、御嶽塚古墳群と言われています。

この御嶽塚が中世になると屋敷を堀で囲む約200m四方の区画の中心に位置することとなり、江戸時代には信仰の対象として祀られることになったとあります。

Img_7173_500x375

↑塚上に祀られている石祠には「御嶽大権現」とあり、安政の年号も刻まれています。

御嶽信仰は、山岳信仰のひとつで、中世以降さかんになり江戸時代に各地に広まったといいます。

古墳があるとは言っても、子どもたちが普通に遊んでいる公園で、写真に写らないようにするのに苦労するほど数多くいました。

Img_7175_500x375

そういえば、もう既に5年前のことですが、この少し北側の甲州街道沿いにある「武蔵府中熊野神社古墳」に行ったことを思い出しました。

あれは、きれいに復元されていて立ち入ることなどできませんでした。

同じ府中市内の古墳とはいえ大きな違いです。

Img_7155_500x375

↑この辺りでは南武線は府中崖線のすぐ上を走っており、西府駅のすぐ南は急斜面となっていて、その下には市川が流れていたようで、そこが市川緑道となっています。

この緑道を少し東へ進みます。

Img_7158_500x375

↑広い道路と交差して、何度も見たことのある景色のところに出ました。

府中街道を関戸橋から北に向かって車で走っていくと、突然トンネルのあるところです。

こんなところに山は無いはずなのにと以前は不思議に思っていましたが、今は分かります。

» 続きを読む

2018年1月21日 (日)

西新宿駅のすぐ近くの成子天神社にある富士塚からの眺めとクランク形状敷地での再開発

地下鉄丸ノ内線の西新宿駅のすぐ近く、青梅街道沿いに100mほどで成子天神社の参道があります。

北に向かう参道の左にはマンションが迫りますが、右側は開発されておらず低層住宅などが並びます。

Img_7119_500x368

奥に見える神門の左右には風神雷神像があります。

つい最近の平成26年に成子天神社全体が再整備されたようで、本殿も含めすべて新しいものです。

Img_7121_500x367

↑さすがに西新宿ということで、本殿の左には先程とは別のマンション、奥にもマンション、右は社務所です。

江戸時代中期より江戸庶民の間で盛んになったという富士信仰のための富士塚がこの敷地内にあります。

Img_7144_500x375

しかも、江戸時代でも明治時代でもない、大正9年(1920年)に築かれたという新宿区内では最後に築かれた冨士塚だといいます。

成子天神社内にあった天神山という小山に溶岩を配して築いたそうです。

3か月前に見た清瀬市中里の富士塚と違うのは溶岩があるところですが、この方がより富士山らしく見えます。

Img_7140_500x375

↑途中からは結構急斜面となり、小さなお子様やお年寄りは危険なので登頂禁止と書かれています。

高さは12mでこれは新宿区内では一番高い富士塚となるそうです。

新宿区登録文化財史跡です。

Img_7130_500x375

↑先程の東側からだけでなく、この西側からも登山道はありますが、こちらも急なので、男坂女坂という区分けでもなさそうです。

それでは、いよいよ山頂からの景色を見てみましょう。

» 続きを読む

«石神井の日銀グラウンドは公園になっていて暑いアメダス練馬観測所やオーディオ展示もあった